田端駅前クリニックスタッフのブログ

Category Archives: 透析現場のシステムについて

現場のシステムの課題や改善についての考え

世界を翻弄するギリシャの悲劇と政治の喜劇

「ゆめてれ・ぽぽら」をヨロシク

透析患者さんは、週3回、計12時間以上を透析に費やしている。当院では、この時間を活用できることが患者さんにとって重要なことと考え、「ゆめてれ・ぽぽら」のサービスを無料で提供している。

TVやホテルなどで利用されているVOD(ビデオ・オン・デマンド)、インターネット検索、フェイスブックなどが利用できるタッチパネル式のテレビモニタで、地震を敏感に察知し、患者さんに冷静に対応するよう注意を促すシステムを兼ね備えている。
「ぽぽら」はより「ぽじてぃぶ」に、 より「ぽっぷ」に、 より「らくちん」に、という思いを込めて名付けられたが、イタリア語で「みんなの集まる広場」という意味もあるそうだ。

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時代劇ライムライト

さて最近では水戸黄門が終わるなど、TV番組から時代劇が消えつつある。大河ドラマやNHKのシリーズが細々と放映されているくらいか・・、こういう状況を元に制作された映画に「太秦ライムライト」がある。主人公は、いつもはセリフもほとんどない斬られ役の殺陣師である。活躍の場がなくなっていく映画・TVの世界に生きる昔気質の芸人の悲哀を描いている。

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この映画は、時代劇とは縁遠いハリウッドの映画学校で学んだ新進気鋭の若手日本人監督と、アメリカ人カメラマンが、時代劇の殿堂、太秦に乗り込んで撮影したものだ。

桜吹雪か 印籠か

この映画については、またの機会にするとして、時代劇によく登場するシーンを思い出して欲しい。
母一人子ひとりの貧乏な一家が貧乏長屋で暮らしている。母親の内職でなんとか暮らしていたが、病で伏せってしまった。そこへ、高利貸しが薬代のための借金の取り立てにやってくる。
この高利貸しは、ほかでも悪代官と結託してさらに暴利をむさぶっている。
最後は主人公が、この高利貸しを悪代官をカッコよくやっつける勧善懲悪劇である。

貧乏長屋のかわいそうな家族と時代劇のストーリーはあまり関係ないが、このシーンが高利貸しの悪人ぶりをより際立たせる。
そう、お金を借りて返さない方ではなく、貸した方が悪者なのだ。
こんなに困っていて、払いようがないのだから、金持ちの方が折れて大目に見てやれよというのが庶民感情だ。

同じように落語によく登場する場面を思い出してみよう。ノーテンキで怠け者、おまけに酒付きでお調子ものの店子が、すっとぼけて家賃を払わない。大家は何度も家賃を取り立てに来るのだが、ちっとも話がかみ合わない。ここでも大家は負けている。

ケチでも「貧乏長屋の花見」くらいのほうが愛嬌があってよい。

聴衆は貧乏な庶民の味方である。

ギリシャの丘に桜吹雪はにあわない

さて、ギリシャがユーロから離脱するかどうかを巡って、世界が(かどうかはわかりませんが、少なくとも日本では多くの特集や報道があった。)注目したギリシャの国民投票は、大方の予想に反して、緊縮財政を受け入れないというものだ。

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ギリシャ国民の意向は、ユーロは離脱したくないけれど、緊縮財政はまっぴらというもの。それはそうだけれど、それは都合が良すぎるだろう、と言いたいところ。

借金をしておいて、返さない。しかも自分たちの生活が悪くなるのはまっぴらで、やや怠け者に見える(あくまでも個人的な印象です。失礼)ギリシャ人はけしからんと思う人もいるのではないか?実は仙人もそのように思っていたのだが・・・

問題こそが商機の専門家たちの太刀周り

国民投票の前日には、TVの特集番組が組まれ、国際経済、ユーロ経済、ユーロの政治、ギリシャ現代史などの専門家が議論していた。いくら議論が白熱しても、結果は遠く離れたギリシャの国民に委ねられ、結果とはなんのかかわりもござんせんが
彼らの中に、単純にギリシャを避難するものはおらず、歴史的経緯や、それぞれの専門領域での現状分析を踏まえ、どうすればよいかという答えは見つからないにしろ、一定の借金棒引きをしてギリシャが立ち直れる道筋をさがすというのが大方の意見であった。

チプラス首相が、決定を国民投票に委ねたことに、日本では無責任政治と一部避難もあったが・・
直接民主主義発生の地、ギリシャでは当然のことで国民にとって違和感はあまりないという見解
安全保障関連法案を採決した日本の政治よりましか・・

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一定の借金棒引きは仕方がない。
ない袖は振れないし、苦境に追い込むと何をしでかすかわからないし、そもそも借金のかたに国を占領することはできない。第一次世界大戦後の過大な債務負担がドイツにおいてヒットラーの台頭を許したという経験から、第2次世界大戦の戦後処理について、日独伊の3国に対しては比較的寛大な措置が取られたという歴史的事実もある。
本来ならもっと早い段階で一定の借金棒引きがあっても良かったが、リーマンショック後の混乱で、欧州中央銀行にもそのような余裕がなかったというのが大方の認識で、何れにしても、ギリシャが立ち直るのを支援するしかないということのようである。

ユーロ問題は日本の課題の鏡

日本国内なら、自己財源で賄えない自治体には地方交付税が交付されるが、そういうわけにもいかない。

東京都は地方交付税を支給されたことがなく、都民はもっと文句をいってもよいと思うが・・・

話題になっている国立競技場のような巨大な国家プロジェクトが都の経済を潤すことは間違いない。その他、原子力発電所の立地市町村も交付税を必要としない財政状況のようだ。

政治が絡むお金の流れは複雑だ。

ギリシャの国民投票から2週間がたち、ユーロ各国はギリシャへの追加支援を、ギリシャは一定の緊縮財政制作を受け入れるという常識的な妥協点におちついた。

政治家たちの喜劇と太刀周り

お互いに、庶民から嫌われる役回りを巧みに避け、妥協点にたどりついた、職業政治家たちの見事な太刀周りだったのか・・

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さて、観光資源以外にこれといった資源も産業もないギリシャがこれからどう立ち直るかは困難を極めるが、ギリシャとは比べものにならない膨大な借金をかかえ、いまなお放漫な財政政策を続ける日本はどうなることやら・・

しかしギリシャは魅力的ですね

一度は行ってみたいものです。

そうか、みんなミラーマンだったんだ!

診療録の電子化三原則

当透析クリニックでは、電子カルテを導入し、レントゲンの画像情報も電子化している。

カルテを電子化する時の要件は、難しい表現であるが
1 真正性
2 見読性
3 保存性
が確保されていること、とされている。

真正性とは、容易に改竄(かいざん)できないことである。

従来の紙のカルテも、修正液や消しゴムはいけない。筆跡が書いた主の証なら代筆もいけないはずである。

電子カルテでは、他の人の知らないはずのパスワードを使って本人がログインして、入力し、確定後は修正できない仕組みになっている。したがってログインパスワードの管理がキーになる。

見読性は、判読できること。

実は紙カルテの見読性はかなり怪しいようだ。多忙な医師は急いで走り書きをする。仙人も自分の書いた文字が読めないことは日常茶飯事時だ。中には英語、ドイツ語などを駆使して走り書きをする医師もいて、そのカルテに書かれた指示を見て看護行為をする看護師は大変である。カルテに書かれていることが見読できればその病棟では一人前になったなどと訳の分からぬことも以前はあったような。

保存性は、消失しないこと。

紙のカルテだって火災にあったり、誰かが借りて返し忘れれば保存性はおぼつかない。電子化では、サーバーの二重化、ミラーリングの技術が必須とされた。最近では、さらに災害時に備えて、地震の少ない地域にクラウドサーバを設置することもあるようだ。岡山県が比較的地震がすくなく、クラウドサーバの設置場所として選ばれている。

電子カルテが普及する前は、このように、変化に抵抗する勢力が、難癖をつけて電子化に反対したが、紙カルテにしても三原則を満たしているかどうかはかなり怪しい、ケースもありそうだ。三原則を100%満たすことは困難だが一定の条件をクリアすることが必要をされている。

ミラーニューロンとミラーマン

ちょっと難しい導入となったが、本日はミラーリングの話である。とは言ってもコンピュータ技術とは違って、人の脳の中にミラーニューロンと呼ばれる神経があるそうな・・ということである。そう、みんなミラーマンなんですよ。
と言われても、ミラーマンなるウルトラヒーローを知る人は少ないか。
半世紀も前のころにウルトラマンの後継としてちょっとだけ登場したウルトラヒーローである。

ミラーマン

カエルの子はカエル

このミラーニューロンは、脳科学の実験から明らかになったもので、人が他人の真似をする時に活性化するのでこのように名付けられた。考えてみれば、子供はなんでも大人の真似をすることで成長していく。言葉はまさにそうだ。

0歳児は、何にでもなれる、何語でも操れる高い可能性を持っているスーパーマンだが、可能性の芽をつみながら、大人の真似をし、生まれ落ちた環境に適応しているのだ。
遺伝子を受けつぎ、親の真似をして成長すれば、親に似るのはやむを得ない。この子だけは自分のようになって欲しくないという願いは、概ね叶えられないということか。

成人まで親元で暮らすようになった現代では特に難しいかもしれない。

ちゃっかりしているミラーニューロン

さて、このミラーニューロンは、目の前で、近しい人が喜んでいる時にも、激しく活性化しているというのである。喜びを分かち合うことで、人との関係性はより親密になる。
では、悲しみ、苦しみはどうであろうか。
実験によると(恐ろしいことになんでも実験済みである)、悲しみや苦しみに対しては、喜びに対するほどは、ミラーニューロンの活性化が見られないということだ。

困難に首をつっこむことになるのは難儀だし、そもそも自分も悲しくなるのは割に合わないので、そういうことは避けたいという本能なのであろう。経済合理性にかなっている。
遺伝学者の手にかかればなんでも、遺伝子の自然選択によるものとなってしまう。

医療スタッフはウルトラ・ミラーマン

患者さんは、当然のことながら身体的な痛み、苦しみを抱え、精神的にも苦しく、辛い気持ちを持っている。多くの人はそのことを避けて通りたいのだが、医療職者は、そのことを察し、共感できなければいけない。

人一倍、ミラーニューロンを発達させ、優れたミラーマン・ミラーウーマンでありたいものだ。

人間ドックの巻(その2)

(前回からの続き)

ああ、地獄の内視鏡

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診察台に横になると女の医者は、「それでは始めますよ」という

と内視鏡を開始しました。

のどから管が通っていく、内視鏡が入っていその実感を分かって

もらえる人もいるかと思います。

内視鏡が喉に通過するか否か。この時にすでに私は猛烈な吐き気

をもよおしていました。

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」

苦しいその時に

「少しは静かにしてください」看護師に言われ、

「おいおい、それどころじゃない」と思いながら、喉に内視鏡が

通っているために、何も反論できずただ冷や汗が額を流れまし

た。

苦しさのあまり目から涙、口からは涎、しまいには嘔吐の連続で

した。

意識がもうろうとする中、これがどれだけ続いたのでしょうか。

私には時間の流れがわかりませんでした。

頭はもう思考能力が停止状態でしたが、しばらくすると冷静さを

取り戻し、そのうちに少し慣れてきたようです。

医師は「もう胃に到達していますよ」と言うと内視鏡の先端を

胃壁につけはじめました。

そしてそのまま胃壁に内視鏡の先端が当たったまま、グルっと

一回転させたのです。

「いててててててて」

「何てことすんだ」

こう思いましたが当然声にはならず身体中が緊張しました

しかし医師は、私のこの反応に我慢ができない患者だ、と思った

のでしょう。

「少し我慢してください」

と冷たく言い放ったのでした。

痛さを我慢して、苦しさを我慢して、鼻から鼻水、目から涙、口からヨダレ、お腹の痛みを抱えながら、内視鏡は終了しました。

もはや、体の力は残っていなく、ふらふらと診察台から降り、

診察室を後にしました。

それから、どうしたのか?私の記憶が消されていました。

これが私の内視鏡の初体験でした。

それ以来、内視鏡は絶対やるものかと心に決めていました。

その大病院の若い女の医師は、おそらく内視鏡のベテランではなく、

経験をこれから積んで習熟するために、経験を積んでいたの

でしょう。

その後、新聞紙上で内視鏡により、胃壁に穴をあけ、患者が重体

になるという記事を読んだのでした。

もしかして、私も医療事故の犠牲になっていたかもしれないと

思うと背筋が寒くなったのでした。

基幹病院での内視鏡の経験は10年前、こうして私の中に恐怖の記

憶として刻み込まれたのでした。

仙人 病院へゆく

ハムレットの心境だ

とはいへ、前回コメントした手術のために探索した病院の外来にかかるだけなので大層なことではないか。

田端からマウンテンバイクを駆って、紆余曲折して迷いながら約30分で到着。

想像していた以上にコテコテ(関西弁?剣道の技ではありません)の下町・下駄ばき病院。

病院の状況は、ホームページや外来に、◯年◯月移転新築とのアナウンスがされていることから容易に想像できるが、期待以上のものだ。

これでは、病室や手術室はどんな状況であろうかと想像すると、思わず躊躇してしまう。引き返すなら今だ・・、だがそこは、アドベンチャー精神で踏みとどまり、受付へ!

コテコテの下駄履き病院

当然のことながら世間のIT化の流れなどはどこ吹く風、事務職員が忙しそうにカルテや会計表の受け渡しをしていた。どうしたものかと、突っ立って様子を眺めていても、誰も気にする様子はなく、諦めて、こちらから声をかけて問い合わせる。

リハビリやインフルエンザの予防接種を希望されるお年寄りが多いようだ。

事務の方に案内されて、外科外来へ。とはいえ、診察室の前の狭い廊下に椅子が置いてあるだけで待合スペースはない。

椅子に座って待っていると、看護師さんの大きな声が聞こえる。そう、高齢の患者さんにお薬のの説明をしているのだけれど、全く要領を得ないのである。大きな声で、ゆっくり、3回くらい説明をしているのだが、患者さんは「はぁー?」とうわのそらの様子である。

看護師さんも大変だ。忍耐とパワーである。が、報われているのか?ほんとうにこれでよいのか?

と疑問に思うのである。

看護師不足の中、人海戦術ではなく、制度的にも、運営的にも何か他の方法があるような・・・、

待合の廊下のすぐ隣が救急外来になっており、医師や看護師、時にはストレッチャーに乗せられた患者さんが前を通り過ぎるが、重症患者さんはいないので緊迫感はない。救急外来の扉は開けはたれており、病院の中も、下町長屋の風情である。

実は多くの病院はこんな感じであるが、なんとなくこれがあたりまえと思っている風でもある。

さすがは専門特化?

てなことに思いを巡らしていると、程なく名前を呼ばれ診察室へ。思っていたより待ち時間は短い。

医師からは丁寧に自己紹介をされ、こちらも症状を説明する。

ここから後はトントン拍子である。

すべての検査がパッケージ化されており、心電図、レントゲン、CT、採血とすべての検査を終え、再度診察を受け、確定診断、手術日を決定するまで1時間もかかっていない。看護師の説明も要領を得ており、ここは、さすが専門特化というべきか。

狭い病院も悪くはない

大病院は、患者さんも多いので当然なのかもしれないが、広い外来ホールがあって立派に見えるが、お年寄りにはホールを渡りきって目的地にたどり着くのも大変だ。仙人も数年に一度はぎっくり腰になって近所の整形外科医院にお世話になるが、そういう状態での移動はほんとうに大変である。

この病院は、玄関、受付、診察室、検査室などがそれぞれ目と鼻の先の位置にあり、移動距離が短く助かる。長居をしない前提であれば狭い病院も悪くはない、かも・・・

何より、専門特化とパッケージ化で、初診で躊躇なく即日に入院日・手術日が決まるのはありがたい。また、手術日も週末近くで希望通り、翌週から仕事ができる(手術がうまくいけばの話だが)。

最初は受診をためらいはしたものの、気をとりなおして、入院することにする。

看護師さんご苦労様、でも・・

どこの病院でもそうだが、看護師さんは走り回っていて大変だ。種々雑多な仕事は引き受けてはさばいている。なんとか工夫はないものか、走り回っていて工夫どころではないというのが実態か。

また、一人暮らしのお年寄りが多くなれば、病院の受診は大変だし、きちんと服薬できなければ本当に効果があるものかも疑問である。制度的に病院ではなく、かかりつけ医やかかりつけ薬局など在宅での医療やケアをすすめているもの理解できる。

慢性透析医療では

さて、慢性透析医療は専門特化、パッケージ化に適した医療で、前回紹介したカナダの病院のように、特定の領域に絞って技術とサービスを磨くことで効率的で質の高いサービスの提供が可能ではないかと思われる。

当院では、患者さんにとって気持ちの良い、また効果性の高い医療サービスを目指して努力をしているが、まだまだ、これが当たり前で、しょうがないと思っているところがないか、もっとブラッシュアップできるところがないか、常に検証し、改善を続ける必要があるのだろう。

年末のクリニックで起きた出来事ー後編

上から下に押さえる意味とは?

 

看護師に突然言われ、なんのことかわかりませんでしたが、

次第にわかってきました。

想像すると針を留置したまま採血管を替える作業の事のようです。

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「針をさしたまま、管を替えるじゃない、替えるときにどうしても針が動くので患者さん痛いのよ。

私それが心配なのよ。まあ私が新しいものについていけない、ということもあるけどね。」

私は、何となくいたたまれなくなり、(少々哀れにも思い)

「そっ、そうですよね。新しいことがすべていい訳じゃありませんよね。」

「そう、あなたもそう思うの♡」

「そりゃそうですよ。」

そして採血が終わりました。

 

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「はい、上から下に腕を軽く押さえてください」

と穿刺部位に絆創膏をはりながら

「上から下にですからね。決して下から上に押さえてはいけません。

わかりましたか?上から下方向に向けて軽く押さえるんですよ。

何故かと言うと、血管を下から針を刺しているので、その逆の上から下に抑えると

切れた部分がきちんと接着するの。

逆にやるとうまく接着しないので血液が止まりにくくなるのよ。

また、強く圧迫するのはダメね。

強く圧迫すると、血流がとまり血管の圧力が高まるので、圧迫を離した途端に

反動で血流が勢い良く流れだし塞いだ血管から出血しやるくなるの。

だから、これもだめね。」

なんだか余計なことばかり言っちゃったわね。

「いえ、そんなことありません。ありがとうございました」

それだけ言うと看護師は次の患者さんを呼びに行きました。

待合に行きながら「お大事に」と声がしました。

年配の看護師の話は少々くどかったものの、決して嫌な感じはせず、むしろ親近感を

感じたのでした。

普通であれば事務的に終わるところですが、採血一つとっても色々な知識や考え方

の上に成り立っている事は、聞いてみなければ判りません。

当たり前の事が当たり前じゃない

プロは当たり前と思っていることであっても、素人にとっては初耳。それを聞いた時は

新鮮な驚きがあり、決して悪い気はしません。

高い鰯と安い鰯の見分け方とは?

この見分け方分かりますか?

以前に、こんなことを聞いたことがあります。

ある魚屋さんでの出来事。台の上に様々な魚が並んでいるお馴染みの光景です。

 

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スーパーではありませんから、開いてトレイのにのりパックになっているのではなく

魚が一匹づつ並んでいます。

鰯が台の上にあり値段を見ると、一匹300円です。隣に一匹500円の鰯があります。

何で同じ時期の鰯なのに値段が倍程も違うのでしょう。

値段の高い商品を売る秘訣とは?

二匹を見比べても若干大小の差はあるようですが、倍も大きいわけではありません。

お客さんが魚屋の主人に聞きました。

「値段が倍ほど違うけど、大きさはあまり変わっていない。何が違うの?」

主人はぶっきらぼうに「あ、それはね、背中から見てごらん。魚の厚さがちがうだろ。

魚の厚さは、脂のノリ具合と関係しているんだよ。

背中の厚さが厚いものほど、脂が乗っていて美味しいんだよ」

お客「ふーん、そうなの」

しかし、その説明表示はどこにもなく、ただ値段が書いているだけです。

魚の厚さと脂のノリ具合に関して、漁業関係者にとっては当たり前の事でしょう。

しかし、素人の消費者にとっては全く知らないことです。

説明されれば、納得するものの、説明されなければ安いほうがお得感があり

安いものを買う人も多いのではないでしょうか。

ところが、魚屋さんは高い鰯も買ってほしいはずです。

きちんと説明すれば、お客さんは納得し、高い商品でも買う可能

性が高くなります。

この例のように、プロの説明が実は重要になります。

プロに説明されれば納得する事が多いからです。

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問題は、プロが常識と思っていることと素人のお客の知識には大

きな差があるという事です。

常識と思っていることを説明しなければ、素人のお客はわからな

いということなのです。

判りきっていることが実は判っていないという事実

プロは素人に話をするときに、プロであれば常識と思っているこ

とでも話をすることで素人が納得することも多いのです。

どうでしょうか? 説明って大事ですよね。

先ほどの注射の件も言われなければわからない、

言われれば「なるほど」

と納得します。

納得すると何が生まれるでしょうか?

実は何よりも相手の事を少し尊敬したり、親近感をもったりと

相手との距離が縮まって行きます。

そうです、信頼が生まれるきっかけになるのです。

透析医療現場でも、プロはちょっとしたことを説明するか?

しないか?の差は大きいということを忘れないようにしたいもの

です。

年末のクリニックで起きた出来事ー前編

妄想クリニック

 

年末になると、不摂生がたたり、体調を崩すのが毎年の恒例になっています。

(わかっているなら、何とかすればいいのに、毎年同じです)

健康管理をとは思いますが、

これがなかなか思うようにいかない。

透析患者さんの自己管理が難しいのがよくわかります。

正直、私が透析患者になったらきっと不良患者でしょうね。

食事制限→無理、水分制限→無理。
これ太鼓判押します。

威張ることではありません(患者さんすみません)

先日、年中行事のごとく体調を崩した時のことです。

とあるクリニックに飛び込みました。

そのクリニックはビルの3階にある内科クリニックで、駅から近

いということがわかり予約なしで。

エレベーターで雑居ビルの3階に上がると、エントランスはなく

エレベーターがあくと既に待合になっている、そんな狭小な

クリニックでした。

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院長一人(おそらく60代半ば)看護師一人(間違いなく60代)

受付2名(一人50代、もう一人30代二人とも主婦のバイトのようです)
4人体制のそのクリニックでの出来事です。

何かどんよりとした雰囲気で、やる気が感じられません。

ここからは、あくまで勝手な予測です。

なんかこんな感じです。院長は、大病院の内科部長をつとめあげ、定年後に開業し今に至る。
開業する以前は大病院の消化器部長で、勤務中に開業準備をしていたところ、

看護師「先生ご開業されるのですか?」
医師「うん、そうだけど、どこで聞いたの?」
看護師「何となく、そう感じただけです」
医師「もし、先生がご開業されるのでしたら、私ついていこうかな?♡」
「えっ、本当に。いや実は困っていたんだよ。君みたいにベテランが来てくれた
ら助かるよ。♡♡」
看護師「私もあと2年で定年ですから、次の職をどうしようかと思っていた矢先なので、まして先生となら、気心もしれていますし、是非お願いします♡♡♡」
医師「よかった、それでは来月から準備に入るので頼むよ」
とトントン拍子、めでたく交渉成立。パチパチ。
そんな経緯からに、一緒に以前の職場で仕事をしていた看護師がついていき、
看護師がいれば何とかなるから、ということで、頭数をあわせて

何とか開業したといった感じのクリニックでした。

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古い人間とお思いでしょうが?

 

やる気のない医療事務に呼ばれ、保険証を提出し、問診票に記入

し、カルテ等、一連の事務作業を終えて、何となく気怠い雰囲気

の待合に座っていた時に、年配看護師から呼ばれ「それでは採血

しますからね。処置室にどうぞ」

処置室に入り丸椅子をすすめられるまま腰を下ろすと「腕をまくってくださいね」

私「右と左とどちらがいいでしょうか?」
看護師「ああ、それは好きな方で構いません」
私「じゃあ左腕でお願いします」
看護師「ちょっとチクっとしますからね」
(年配の看護師だけど、それなりに丁寧な感じだ)

そこから看護師のトークが炸裂しました。
「私は古い人間だからねえ。」
(何も聞いていないんですけど)
「だからさ、患者さんが痛いんじゃないかと思って。
(何で”だからさ”からはじまるんだ)
私はシリンジで採血し、それを私が分注するようにしているの。

これが私が昔からやっている方法なのよ。

私は古い人間だからね。」
何か、はにかみながら、笑いながら話をしていました。
私「はあ、」

看護師は私が何も話さないのに、一人で話し始めました。
何となく、これからの事を予測すると、気が重くなったのでした。

待合を見回すと、近所の常連の年配の患者さんばかりで、ビジネスマンは私一人。

常連の患者さんで定期的に通院しているという様な人ばかりで、

妙に緊張感がないのもそのせいのようでした。

心の中で「しまった、選択を間違えたかもとの思いがよぎりまし

たが既に後の祭りでした」

つづく。

しずかさんのホスピタリティ

またまた「社食」のお話。

読者の皆さまにおかれましては、少々辟易とされているかもしれませんが、今回は郷愁の念を込めて、かつての「社食」への思いをはせて綴ります。

 

「社食」のしずかさん

前店長が采配を振るわれていた頃は、女性2人と男性1人が前店長と共に4人でフロアを回していらっしゃいました。そのスタッフの中でも個性満点で接客して下さっていたおばちゃん。その名は「しずかさん」。

 

 ※おばちゃんなんて言ってごめんなさい

 

年の頃は、サラリーマンで言うと定年前後、アラ還といった所でしょうか。

お名前は「しずか」でいらっしゃいますが、接客はそのお名前に反して、昼夜を問わず、いつもハツラツ、明るく元気に接客して下さるのです。

「いつも格好良くパリッとスーツを着てらっしゃるわねぇ〜」とか、

「立ち方がいつもスっとして素敵よ!」とか、「あら、久しぶりじゃない。どこ行ってたのぉ〜」等々、気さくに声を掛けて下さるのです。

人によっては、そんなやり取りを嫌がるお客さんもいらっしゃるかもしれません。

一見おばちゃんにありがちな、ズカズカ感が否めないと想像する方もいらっしゃるかもしれません。

しかし長く接していると「しずかさん」はズカズカと入り込んだりしていない事に気づくのです。

例えば、こちらが内輪の話に花を咲かせている時は、一歩引いて決して話に入り込んで来たりしないのです。

その立ち居振る舞いを観察すると、単なる居酒屋でパートしているおばちゃんとは違い、実はとても育ちの良い、空気を読む事が出来る「女性」なのではないかと、思わせる程。

 

『しばらくお見かけしなかったですが。。。』と声を掛けると、

「ちょっと、ゴルフ行って来たのよスコアはボロボロだったけどね。あははっ。」なんて会話から垣間見られる、私たちの知らない「しずかさん」のプライベート。

もしかしたら、パートは社会勉強もしくは人と関わる事が大好きで、その機会を求めてここに居るだけに過ぎず、全然働く必要なんてない生粋の「奥様」なのでは。。。

 

食堂のおばちゃん

 ※今となっては、その真相は闇の中です。

 

そんな「しずかさん」だけが、ごくたまに提供してくれるサービスがあったのです。

 

1杯のコーヒー

ランチタイムも既に過ぎ、賄いの時間に差し掛かろうというタイミングで「社食」に行くと、「しずかさん」が、たま〜に食後のコーヒーを出して下さるのです。

「これサービス! 店長には内緒ね 他の人に言っちゃだめよ!」

いつも出して下さる訳ではないのですし、『内緒』と言われるとコソコソと頂かなければならないのかしら。。。なんて思ったりもするのですが、「しずかさん」に笑顔で耳打ちされると常連としては悪い気はしないのです。

何となくグッと来ちゃったりするわけです。

 

 ※「しずかさん」には大変失礼なのですが、彼女は決して絶世の美女ではありません。

 

そうは言っても、実のところは前もってパートさんに与えられている『裁量』であったのかもしれません。

しかし重要なのは、コーヒーを無料で提供する行為そのものではなく、たった1杯のコーヒーサービスを次の来店につなげる「しずかさん」のハートだと思うのです。

 

コーヒーカップ(ハート)

 

心からのサービス

そこに感じるのは、「いつも来てくれてありがとう」の気持ちを彼女なりに表現してくれているということ。

たった1杯のコーヒー。特別なコーヒー豆をドリップしたものではなく、業務用の色気のない白い紙パックに入っているものでしょう。決してスペシャルな物ではないことは、飲んでみればすぐに分かります。

だからこそ、その『ごく普通の1杯のコーヒー』をスペシャルにするには、重要なポイントがある。

 

それが『ハート♥』だと思うのです。

 

サービスを提供する瞬間だけではなく、それまでの長い時間を経た中で実行して来た対応がそのサービスをより効果的にする。

常に心から「ありがとう」と思っている人の言動と、マニュアル的に「ありがとう」と発している人の振る舞いとでは、受け手に伝わる「心」は明らかに違う。

器用であろうが不器用であろうが、言葉数が多かろうが少なかろうが、心から表現される「ありがとう」の重みは絶対だと思うのです。

何気ない日々の接客で提供された「心の力」が、1杯のコーヒーにも効力を与える。

 

心を育む

無料で提供されるコーヒー1杯を当てにして「社食」に行く人は、きっと少ないでしょう。当然、私たちも同じです。

しかし「しずかさん」が「内緒ね」って言いながら気まぐれに出してくれるコーヒーは、マニュアル重視の新店長が「サービスです」と出してくれるコーヒーと比べると、その重みはきっと全く異なるだろうなぁと想像するのです。

 

 ※新店長からそんなサービスをしてもらった事がないので、あくまでも想像です。

 

透析医療機関でも、常に「ありがとうの心」を携えながら患者さんと接することが極めて重要になります。

医療を提供する者として「患者さんが1日おきに来院するのは『当たり前』」などと思う瞬間が一瞬でもあってはなりません。

『当たり前』などと思う気持ちが、ほんのひとかけらでも心のどこかにあれば、必ずそれが日常の医療行為、患者さんへの接し方に出ます。

透析することが流れ作業になり、患者さんとの接し方がこなし仕事になってしまいます。

「患者さんの快適」を考えながら行動する時、『心』を抜きには語れません。

『心』を抜きに「患者さんの快適」を第一に考えて行動することなど出来ないと思うのです。

 

 マニュアルでは育めない『心』

 

社会人教育で、どこまで培うことが出来るのか。

素直に「ありがとう」と思える心、素直に「ありがとう」と表現できる力。

本来これらを育むサポートをするのは親の責任、そう考える私は無責任でしょうか。

 

 「三つ子の魂百まで」

 

少なくとも共に働く人達には、この『心』と『力』を持っていて欲しいと願うのです。

 

ハートツリー

 

人はすすんで騙される

良く行くコーヒーショップ(スターバックス)での話です。

いつもの通り、会計をすませてコーヒーを受け取ろうと、カウンターに行ったときの事。

お客さんがコーヒーを受け取るカウンター台に小さなメッセージボードが掲げてありました。

そのメッセージボードにカードがのせてあり、手書きで「心をこめて ミイ」と名前入りのメッセージカード。

 

よく見ると、スタッフ全員のメッセージカードがあり、それぞれお客様へのメッセージを一行程度でカードにまとめ、それを時々入れ替えているようです。

 

カードはハガキ大でそれほど大きくありません。さり気なく置いてあります。

 

「これいいなあ」と思い、気になったので女性のスタッフに聞いてみました。

 写真 2

このあたり、好奇心が疼いてしまうのですが、

 

「このカードは自主的にやっているの?それとも本社の指示でやっているの?」

 

騙されたけど、気持ち良い

 

恐らく全店対象に本社からの指示ではないか?と推測して意地悪な質問を投げかけましたが、その応えは「ピンポン」

 

「本部からの指示でやってます」との答えでした。

 

「やっぱり」と心の中で思いましたが、女性スタッフの顔からは、なんとなく喜んでやっているという雰囲気が言外ににじみ出ていました。

 

きっかけは、本社からの指示という事ですが、その実職員が嬉々としてやっていれば、何であれ、お客さんには通じる物です。

 

正直、私自身が「いいなあ」と思ったわけですから。

 

我々お客は完全にスターバックス本社の策略にまんまと騙されているのですが、でも良いじゃないですか?

たとえそれが本社の指示であったとしても、そこで働いている人の思いが伝わってくるのですから。

 

やるなスターバックス

その時ここだと思いました。レストラン、タクシー、美容室、カフェ、バー、世の中には様々なサービス業があります。

 

そして、その多くは本社がマニュアル化をすすめたり指示を出しているのですが、優れたサービスというものは、例えマニュア化がされていたとしても、意図的でないというか、わざとらしさがないのです。

 

お客としては判ってはいるのですが、そこに職員の気持ちがのっていると、知らず知らずのうちにまんまと騙されてしまいます。(良い意味で)

 

 

マニュアルを超えた時、ホスピタリティがはじまる

 

つまり、きっかけは本社から与えられた物ですが、それを職員が自分の物として実行した時に、自分が主体的に関わろう、関わるべきだと思ったときに持ちが伝わって来ます。

 

システムに魂が宿るというか?少し大げさですけどそんな気持ちになりました。

 

医療機関は良くマニュアル化が進められています。それは医療の質を底支えする重要なのものだと思います。

 

しかし、更に重要なのはそのマニュアルを超えた時に、医療の質とホスピタリティが高いレベルで実現するのだと思いました。

 

やるな、スターバックス!!!

サンキューカップ②

※末筆ではございますが、決してスターバックスの回し者ではございません。念のため。

台所のおと

台所のおと

幸田文の小説に「台所のおと」という短編がある。

幸田文は、明治時代の文豪幸田露伴の娘である。

台所で支度をする妻の包丁の音、その音に微妙な心の変化をききとる。お互い苦労してきた料理人夫婦の心の機微が凛とした文章で描かれている。名品である。

小説の紹介文には・・

「女はそれぞれ音をもっているけど、いいか、角だつな、さわやかでおとなしいのがおまえの音だ。料理人の佐吉は病床で聞く妻の包丁の音が微妙に変わったことに気付く」・・

とあり、書き出しは「・・あきはもとから静かな台所をする女だが、この頃はことに静かで、ほんとに静かな音しかたてない・・」である。

台所の音

 おいしいおと

「あきはくわいの椀だねをこしらえていた。すり卸したくわいをはしでほそながくまとめて、から揚げにする。はなやかな狐いろになる。佐吉の好きな椀だねのひとつだった。くわいはあまり油をはねず、さわさわとおとなしく火がとおる。」(引用下線 仙人)

というくだりがある。天ぷらを揚げたことのある人はおわかりだろうが、油の温度が低いと、じゅるじゅるという鈍い音しかしないし、温度が高すぎるとパチパチと油がはねて大変だ。天ぷらダネを油に滑り込ませた瞬間に、味が決まるといって過言ではないだろう。

さわさわという音、こまかな泡とともに浮き上がってくるタネ、こおばしい香りがしてくるようで、はふはふとほおばりたくなる。(私が書けばこのレベル)

tennpura

扉のおと

当院は透析クリニックなので、患者さんとは何年もの長いお付き合いになり、しかも2日に1回のペースで通ってこられる。いわば、家族のような関係だ。

先に紹介した仙人好みのクリニックの扉、その扉を開けるときこえるウィンドベルの音、扉を開けるそのおとで患者さんのその日の体調や気分がなんとなくわかる・・・なんてことはあり得るだろうか・・

それは、さすがに難しいだろう。

仙人がクリニックに入るときは、「忍び寄るような気配」などとスタッフから言われているが・・

やはり言葉で表現してもらわないとわからないのである。だから、当院では、目をあわせあいさつをし、患者さんと言葉を交わすことをたいせつにしている。患者さんの気持ちを和らげ、いろんなことをはなしやくし、日常生活のことなどもお聞きし適切なケアに結びつけるためである。

また、患者さんとたわいのない会話をすることも、職員の楽しみでもある。

「台所のおと」幸田文(講談社文庫)をクリニックの本棚においておきます。