田端駅前クリニックスタッフのブログ

Category Archives: 透析スタッフのつぶやき

日常の中で感じた出来事等。

真夏の夜の虫たちの饗宴

東京湾花火大会の夜

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8/8(土)は、ここ数週間では珍しく、朝からお天と様が雲に隠れ、蒸し暑さはあまり変わらないものの、ジリジリと焼けるような暑さは和らいだ。
新橋界隈では、夕刻浴衣姿の若い女性をちらほらみかけたが、その日は東京湾花火大会があったようだ。年をとると、夏は苦痛であるが、若者には開放的な夏が必要なのだろう。
ま、夏がないと、アルプス登山もかなわないとすれば夏もいたしかたないということか。
もっとも、35℃以上が常態になるような酷暑は勘弁してほしい。

田端に虫の音が響いた

田端でもここ数日間にくらべ(この間の不快指数があまりに高すぎたというべきだろうが)しのぎやすく感じられた。
夜が更けると、虫の声が聞こえるではないか。
季節的には立秋で、さすがに昔の人は偉いものである。

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このまま、秋らしくなってほしいものであるが、おそらくはそうは問屋はおろしてくれないであろう。

恋の季節の到来か

しかし、やや気温が下がったその一瞬の間に、虫たちが我が秋を謳歌するという、この用意周到さはどうだろうか

秋に鳴く虫たちの一生を見てみると、(小学生の頃の理科の課題研究のようだが)
夏の終わりから秋にかけて繁殖、産卵をする。
厳しい冬の間は、土中や木の中で卵で過ごし、春から夏になると羽化し成虫となって活動する。

鳴き声は秋の産卵に向けてのオスの縄張り示威とメスへの求愛行動のようである。早い者勝ちというのもあるだろうから、やや涼しく感じられる一瞬の隙も逃さず泣いているのかもしれない。

人の社会もよく似たようなもので、盆踊りとか夏祭りは、忙しい収穫の前の農村社会における「無礼講」のようなもので、若者にとっては、大切な恋の季節ということになる。

人の世界は、恋の季節などとオブラートに包んだ麗しい呼び方をしているが、生き物にとっては、厳しい(遺伝子の)生存競争である。

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*なんていう虫か知りませんが・・なんかかわいい

それは厳しい生存戦略だ

企業の事業戦略では、機先を制し、いち早く世の中に新しいサービスや物を提供することが、常に勝つために重要であるとは限らない。
まだ元気のあった頃のソニーは、現在アップルがi-podで作り上げたようなネットによる音楽配信モデルを、アップルに先駆けてウオークマンを使って可能にしていたし、アイボという犬型ロボットをいち早く社会に投入したりした。常に一歩先の技術開発を行い注目を集めていた。

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しかし、時期尚早であったのか、事業戦略がうまくなかったのか、いずれの事業も大きな成功を収めることができなかった(アイボの事業は売却されている)

患者さんが、自らふさわしい医療機関を選択できるようにーOasisの願い

当院でも、透析患者さんが自らのライフスタイルにあわせて、もっとも望ましいと思われる透析施設やサービスを自分で選択できるよう、早くからインターネットを通じてオープンな情報提供をおこなってきたが、その効果が現れるまでには一定の期間を必要とした。

さて、早鳴きのコオロギたちは、首尾よく子孫を残すことに成功するのであろうか?

はて、早鳴きのコオロギたちは、その早鳴き戦略によって子孫を残すことに成功した物たちの子孫なのかもしれない。

しかし、それもいつも成功するとは限らない(かもしれない)

早鳴き行動は、遺伝特性として彼らの遺伝子に刻まれているのであろうか?

秋よ来い!

昼間は相変わらず蝉の声、夜は虫の声と、ここしばらくは一日中賑やかな日々が続くのであろう。

何れにしても、早く虫の音がふさわしい季節になってほしいものだ。

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運命かシュレディンガーの猫のいたずらか

ふたたび「おーい雲よ」

都心で暮らしていると、列車を待つこともない。次から次へとやってくる列車に飲み込まれ、ローラコースターに乗ったように運ばれていく。
もっとも人混みで埃と暑さでむせかるようなホームで待たされるのは地獄の沙汰だ。

このような日常に慣れてしまった身に、前回コメントしたような、何をする術もなくのんびりと山の端が紅色に染まっていくのを眺められるぽっかりと空いた時間は至福の時である。蚊の大群が襲ってこなければもっと良かったが・・
まるで望んで列車におくれたのではないかと、自分を疑いたくなる気分だ。

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ついてない!しまった!というよりも、半ば諦めつつ、喜んでこの状況をうけいれたということかもしれない。

不運の星か、運命のいたずらか

もしこれがもっと重大な事態ならどうであろうか?
また、そんなことが続いて発生したら

運命や、神様を恨むかもしれない。

この運命というものは一体なんだろうか?、存在するのであろうか?

招き猫ならよいが、シュレディンガーの猫

このことに示唆を与えてくれるのが、シュレディンガーの猫である。

猫といえば運を託すありがたい招き猫があるが、そうではなく、運が悪ければ毒ガスで殺されてしまう、儚い運命の猫である。

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高名な理論物理学者は、凡人には到底理解できない想像の世界を旅する人で、その思考はきわめて哲学的である。
アインシュタインと並ぶ(功績でいえばそれ以上の)理論物理学者のシュレディンガーは、目で見える世界を記述するニュートン力学(古典力学)に対し、ミクロな世界を記述する「量子力学」を確立した人である。
この量子力学が、現代の科学技術の楚になって、我々はその成果を享受している。

ミクロの世界の運命に翻弄される猫

ミクロの世界は、当然のことながら目に見えない世界である。仙人は姿をくらますことはできても、目に見えないミクロの世界は想像だにできない。
シュレディンガーが量子力学について考察した思考実験に「シュレディンガーの猫」というのがある。量子力学では、粒子の存在場所は決定されておらず、存在の可能性が確率的に表現される。いろんな可能性があるということだ。

粒子がある場所に来れば、毒ガスが発生し、そばにいた猫が死んでしまう。理論的には、猫は生きる可能性も死ぬ可能性もあるわけだが、実験結果は生きるか死ぬかのいずれかに決まってしまい、可能性を表現することができないという矛盾である。

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いろんな可能性があるのに、実験をした途端にいつも決定したことしか観察できない。決定されたことがいわゆる運命になってしまうということだろう。

さすらいのギャンブラー

要するに人生は確率、すなわちギャンブルのようなものである、ということではないか。
たとえば、遺伝、これこそまさに確率である。
しかし、ギャンブルに強い人はいるもんだ。それは相当に入れ込んで探求している。すってんてんになっても次にかけるのだ。

試験も同様に、合格する人はそれなりに努力している。しかし、努力すればかならず合格するとは限らない。確率は高めることができるが、しょせんは当たるも八卦である。そしてまた次のギャンブルへ・・

仙人ごときで人生を語るにはおこがましいが・・

「柿の種」の猫

ノーベル物理学者の朝永振一郎を育てた、日本の物理学者に寺田寅彦がいる。物理学者であると同時に第1級の随筆家である。「柿の種」という随筆集を紐解いてみるとやはり「猫」が登場する。

猫が居眠りするということを、つい近頃発見した。
その様子が人間の居眠りの様に実によく似ている。
人はいくら年を取っても、やはり時々はなにかしら発見をする機会はあるものと見える。
これだけは心強いことである。

「柿の種」寺田寅彦著 より

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寺田寅彦は、私生活ではかならずしも幸福とは言えなかったようだ。一人目の奥さんは、ちいさな子供を残し若くして結核でこの世を去っている。感染を恐れた寺田の実家は、二人をひきはなし、寺田は妻の死に目にもあえていない。

フィジ・ガールの出番ですよ

さて、最近は山ガール、歴女、宙ガール、理系女などと女性がブームを作っているが、次は物(物理)女(フィジガールとでも呼ぶのだろうか)の番であろうか?

おっと、今回もまた、透析とは関係のない話になってしまった。

ごめんなさ〜い。

そうか、みんなミラーマンだったんだ!

診療録の電子化三原則

当透析クリニックでは、電子カルテを導入し、レントゲンの画像情報も電子化している。

カルテを電子化する時の要件は、難しい表現であるが
1 真正性
2 見読性
3 保存性
が確保されていること、とされている。

真正性とは、容易に改竄(かいざん)できないことである。

従来の紙のカルテも、修正液や消しゴムはいけない。筆跡が書いた主の証なら代筆もいけないはずである。

電子カルテでは、他の人の知らないはずのパスワードを使って本人がログインして、入力し、確定後は修正できない仕組みになっている。したがってログインパスワードの管理がキーになる。

見読性は、判読できること。

実は紙カルテの見読性はかなり怪しいようだ。多忙な医師は急いで走り書きをする。仙人も自分の書いた文字が読めないことは日常茶飯事時だ。中には英語、ドイツ語などを駆使して走り書きをする医師もいて、そのカルテに書かれた指示を見て看護行為をする看護師は大変である。カルテに書かれていることが見読できればその病棟では一人前になったなどと訳の分からぬことも以前はあったような。

保存性は、消失しないこと。

紙のカルテだって火災にあったり、誰かが借りて返し忘れれば保存性はおぼつかない。電子化では、サーバーの二重化、ミラーリングの技術が必須とされた。最近では、さらに災害時に備えて、地震の少ない地域にクラウドサーバを設置することもあるようだ。岡山県が比較的地震がすくなく、クラウドサーバの設置場所として選ばれている。

電子カルテが普及する前は、このように、変化に抵抗する勢力が、難癖をつけて電子化に反対したが、紙カルテにしても三原則を満たしているかどうかはかなり怪しい、ケースもありそうだ。三原則を100%満たすことは困難だが一定の条件をクリアすることが必要をされている。

ミラーニューロンとミラーマン

ちょっと難しい導入となったが、本日はミラーリングの話である。とは言ってもコンピュータ技術とは違って、人の脳の中にミラーニューロンと呼ばれる神経があるそうな・・ということである。そう、みんなミラーマンなんですよ。
と言われても、ミラーマンなるウルトラヒーローを知る人は少ないか。
半世紀も前のころにウルトラマンの後継としてちょっとだけ登場したウルトラヒーローである。

ミラーマン

カエルの子はカエル

このミラーニューロンは、脳科学の実験から明らかになったもので、人が他人の真似をする時に活性化するのでこのように名付けられた。考えてみれば、子供はなんでも大人の真似をすることで成長していく。言葉はまさにそうだ。

0歳児は、何にでもなれる、何語でも操れる高い可能性を持っているスーパーマンだが、可能性の芽をつみながら、大人の真似をし、生まれ落ちた環境に適応しているのだ。
遺伝子を受けつぎ、親の真似をして成長すれば、親に似るのはやむを得ない。この子だけは自分のようになって欲しくないという願いは、概ね叶えられないということか。

成人まで親元で暮らすようになった現代では特に難しいかもしれない。

ちゃっかりしているミラーニューロン

さて、このミラーニューロンは、目の前で、近しい人が喜んでいる時にも、激しく活性化しているというのである。喜びを分かち合うことで、人との関係性はより親密になる。
では、悲しみ、苦しみはどうであろうか。
実験によると(恐ろしいことになんでも実験済みである)、悲しみや苦しみに対しては、喜びに対するほどは、ミラーニューロンの活性化が見られないということだ。

困難に首をつっこむことになるのは難儀だし、そもそも自分も悲しくなるのは割に合わないので、そういうことは避けたいという本能なのであろう。経済合理性にかなっている。
遺伝学者の手にかかればなんでも、遺伝子の自然選択によるものとなってしまう。

医療スタッフはウルトラ・ミラーマン

患者さんは、当然のことながら身体的な痛み、苦しみを抱え、精神的にも苦しく、辛い気持ちを持っている。多くの人はそのことを避けて通りたいのだが、医療職者は、そのことを察し、共感できなければいけない。

人一倍、ミラーニューロンを発達させ、優れたミラーマン・ミラーウーマンでありたいものだ。

「人イヌにあう」ならぬ「ひとイスにあう」

人イヌにあう

「人イヌにあう」は動物学の碩学、コンラッド・ローレンツの著作である。

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犬好きの貴兄には、ぜひお勧めしたい1冊である。学生の頃読んだもので内容についてはほどんど記憶にないが、とても面白ったことは記憶している。全くええ加減な推挙である。

犬は人生の良き友とはよく言われる。
我が家にも愛犬がいる。もう15・6歳なので老犬である。
最近では耳も遠くなり、呼んでもやってこない。
残念ながら犬の寿命は人の10分の一ほどである。
物語になるような賢い名犬でもない、ただの雑種であるが、その間抜けな行動に家族が一喜一憂する。雨や雷が嫌いである。

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*横向きになってしまったが、ゴロゴロ言い出して中に入れろという催促である

嫁さんは、最近、腹に据えかねることがあると、この犬に不満をぶちまけ、同意を求め溜飲を下げている。犬もこの後にはおやつがもらえるのでおとなしく聞いている。
家庭の平和にも不可欠な存在となっている。

「シエ」

浅田次郎の短編に「シエ(けものへんに解と書いていた)」という作品がある。
愛犬家のようであるが、犬ではない、ペットショップで勧められた奇妙な動物の話。
どんなペットフードも食べないがちゃんと生きている。飼い主は失恋をしたり、なかなか幸せを感じられないでいる。そう、飼い主の不幸を、涙を食べて生きているのである。
シエは心の中でつぶやいている「不幸の分だけちゃんと幸せになれるよ、ほんとだよ・・」と
そして、飼い主がしあわせになって、シエも死んでいくのである。

雑種の言い分

これから犬を飼おうという人には、是非雑種を勧めたい。
何世紀か忘れたが、オランダでチューリップが投機の対象となり、人々は珍しいチューリップに群がり、育種が盛んになり黒いチューリップが作られた。
犬も同じで、人が育種によって作ってきたものだ。珍しい犬、特殊な技能を持った犬、血統書付きの犬はそれだけ近親相姦の状態になっており、遺伝的に不健全で、精神疾患や持病を持っていることが多いということだ。雑種は幾分そのリスクは低く、しかも全くのユニークな存在ではないか。

人イスにあう

前置きが長くなったが、
今日は、犬ではなくイスの話である。(全く関係ないか)

仙人は、若い時から腰痛に悩まされ、30年ちかくこの椅子を愛用してきた。

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確かに腰痛には良い。優れものであるのだが、くつろぐという感じではない。

オフィスワーカーは、少なくとも1日8時間は同じ椅子に座っていることになるが、行動の不自由さからいうと、透析患者さんはもっと大変である。
入院経験からわかったことだが、病院のベッドはなかなか厳しい環境だ。長時間寝たきりにさせられると褥瘡ができることは容易に想像できる。
そのため、当院では可能な限り快適な椅子をということで、低反発素材を使用したフルフラットのリクライニングチェアを用意している。

快適さとプライバシーの確保を兼ねて、旅客機のファーストクラスに使われているフルフラットシートを活用したいと考え、メーカーの調査をしたこともあるが、1客1000万円近くするとのこと(他の業種には売りたくないということかもしれないが)で、さすがにこれは断念した。

東京ステーションギャラリーでイスにあう

東京で出会ったお気に入りの椅子は、東京ステーションギャラリーにある。
3階から作品を鑑賞し、煉瓦造りの回廊を螺旋階段を降りて2階へ、そして最後のビデオギャラリー兼休憩室に置かれている2客の木製の椅子。

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やや低い、大きめの座面と広がりのある肘掛、背もたれもちょうど良い位置にフィットする。
歩き疲れて腰を下ろすと、全身の力が抜けてゆったりとした気持ちになる。
シンプルでおおらかな椅子である。

世界は夜つくられる

今日は、丹沢登山で、ホウホウの程となったお話しである。

丹沢山系へ

5月10日午前4:00 不思議とスカッと目が覚めた。天気も上々、さすが関東、この時間でもう外は明るい。

5時前に山手線に乗って、小田急で丹沢山系の麓、新松田駅へ。リュックを背負った登山客が一斉に下車し、駅の階段を上っていく。駅前の狭いロータリーにはすでに行列が。

2台の路線バスに登山客が詰め込まれる。バス会社のかかり員も慣れたもので手際がよい。

ここからバスにのって登山口まで1時間以上の行程である。やれやれ

一抹の不安・・

5月になって日が長くなってきたので、丹沢主脈走破に挑戦である。1月末に奥多摩・雲取山に登って以来なので、足腰が心もとなく、一抹の不安はあるが・・

バスは夜8時台まであるし、ヘッドランプも装備しているのでなんとかなるか

ということで、9:00より檜洞丸へ登り始める。空気は澄んでいて登山日和だ。ゴーゴーという沢の音、鳥のさえずり、気分は上々である。ゆっくり自然を満喫しながらといきたいところだが、標準コースタイム11時間なので、普通に歩いても日没である。うかうかしておれず、ペースを上げて歩く。

絶景富士山

登り始めて約2時間、富士山が良く見える。

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いつも比較的好天(予報では晴れ)の日を選んで登山をしているが、奥多摩や丹沢から富士山が望めるチャンスはそれでも少ない。ラッキー

檜洞丸山頂で30分ほど休憩をし、これから縦走である。せっかく稼いだ高度であるが、一気に尾根を下っていく。

これから先を目指す人はごくわずかのようだ。

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丹沢最高峰蛭が岳

アップダウンを繰り返し(約3時間の行程)、丹沢山系最高峰の蛭が岳頂上へは、400mの急な登りが待っている。

丹沢山系最高峰で山頂での眺望も素晴らしいというのになんという不名誉な名前でしょう。

確かに丹沢には蛭が多いらしく、夏になると登山口には蛭対策の塩が置いていあるし、実際蛭につかれたこともある。

丹沢山より百名山にふさわしいと思うのだが・・。名前が悪いのではないか

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*3月 蛭が岳山頂から富士山を望む

ところがである。すでに檜洞丸を下る段階で、膝の裏の筋肉が釣りだした。これはまずい。登りは問題ないのだが、時間を稼ぐべき下りに時間がかかってしまう。引き返すにも追う遅い、ここまでくれば前に進むしか手はなさそうだ。

蛭が岳、丹沢山を経て、塔の岳にたどり着いたのは、すでに午後5時をまわっている。夕暮れの相模湾を一望する景色はすばらしい。三浦半島もよく見える。

が、これからが大変、足を引きづり約1200mの高度差の大倉尾根をひたすら降りなければならない。

世界は夜つくられる

塔の岳にはまだ若者2人ずれがいたが、さすがにヤングマンである、スタスタと下っていった。標準タイムは2時間半、おちおちしていられない。下手をすると終バスに間に合わない。(もっともタクシーを呼んでも、小田急渋沢までは大した距離ではないが)

仕方がない、こちらは2本のストックを松葉杖のように使いながら、そろりそろりと下っていく。

下りが厳しい。

下山半ばで日もとっぷり暮れてしまい、視界不良。ヘッドランプの登場である。

大倉尾根は道が良く整備されて、何回か通っているので道に迷うことはないが・・・

夜の山中は、全く違う景色である。(というか真っ暗である)

鳥のさえずりは鳴りを潜め、時々フクロウの声が聞こえる。

森のあちこちで命をかけた狩りが繰り広げられているのであろう。

良く見るとヘッドランプの明かりにてらされて、まるで霧雨のように空中を無数の白いものが舞っている。

木々の種や花粉が、種の繁栄のため次なる生き場所をさがして舞っているのだろうか。

昼間にはわからなかったが、山の中の木々の生命活動もにぎやかなものである。

人にはよく見えるはずの昼間には見えないものが見えて来る。

世界(森)は夜つくられる。(もちろん昼間も種は舞っているのであろうが・・)

やれやれ・・

足を引き擦りながらホウホウの程で、大倉バス停にたどり着く。

時計を見ると20:00である。

それでも最終バスにはまにあった。やれやれ

当然だれもいない。

1600mの山頂付近ならわかるが、5月というのに下山をしても風が強く、やけに寒い。

ヒートテックのシャツに着替え、レインウェアを身につけ暖をとる。

バス停のベンチに仰向けに寝転がって空を見上げると一面の星空である。

だから登山は止められない。

大地に身を任せ、みあげる空、清明な森の空気、頂上に登り着いた時の眺めと達成感もよいが、なんといっても下山した時の、やれやれという安堵感と、めちゃうまいビールには何物にも代えがたい快感がある。

ビール乾杯

ネットで膝裏の痛みについて調べると、それは筋力・脚力不足のせいで

足の筋肉を鍛えるか、コースを改めるかすべしとのこと

やれやれ

ということで、本日のキーワードは、世界は夜つくられる

夜間透析は重要ということで・・

”帰ってきた酔っ払い”も真っ青、恐るべし尾久銀座

帰ってきた酔っ払い

帰ってきた酔っ払いという、歌をご存知だろうか

半世紀も前に、日本レコード大賞に輝いた(と思うのだが・・)、フォーク・クルセダーズの曲である。

フォーク・クルセダーズは、加藤和彦、はしだのりひこ、北山修の3人によるフォークグループである。

と言っても、もはやフォークグループやフォークソングそのものが死語となっている。

本日のお話は、フーク・クルセダーズとも、「帰ってきた酔っ払い」という歌とも関係がない。ただの酔っ払いである田端仙人が、華やかな東京銀座から帰ってきて、尾久銀座をチャリンコでぶらついていてそのバイタリティに驚いたというお話である。

生物学の法則を地で行く尾久銀座

法則その1 群知能ー集団から生まれる知性

ある日、尾久銀座の空き店舗に出現した八百屋さん

新玉ねぎ、新じゃが、そらまめ・・旬の野菜が無造作に並べられている。共通項は、旬のものであること、恐らくは規格外の物であること、国産であること(輸入コストもかけられないとことか)、そして(安全性はわからないが)やすいということ。(上記の条件からすると当然か)

面白いことに、いつ出現したかはしらないし、仙人の知る限り土曜日限定のようであるが、仙人が確認して1ヶ月後には、人だかりになっていた。

皆さんは、或る日突然、家の中に一糸みだれぬアリの行列が出現しているのを見て、甘い物を放置してしまったことを後悔した経験をお持ちではないだろうか?

アリたちは、自分の巣から餌場まで最も効率的な経路をたどって行進しているらしい。

群れをなす生物は、前の物に従う、隣との距離を一定に保つという行動をとる。

魚群も同じで、特に目的地があるわけでもリーダーがいるわけでもない、らしい。

アリはさらに移動中にその痕跡を示すフェロモンを分泌する。

それは、自分が最短距離の道筋を知っていることを示すような物ではなく、単に痕跡を示すだけである。多くのアリが様々な経路を通ると、時間の経過ととも結果として、最短距離の経路にのこされたフェロモンの濃度が最も高くなり、最短の経路が明らかになる、ということらしい。

もちろん、人も同じである。流行のファッションのよさなどには何の根拠もなく、ただこの性質を利用して売りまくっているだけである。尾久の人たちも忠実にこの法則に従っているのであろう。

しかし、多くの場合は、生存のために有効な原理のようであり、生物学的には群知能と言われている。

ニッカウイスキー「竹鶴」の値上げ報道から、ウイスキーを買うときは自然と「竹鶴」に手が出てしまう仙人行動も同じか。

法則その2 合理的な縄張り行動

尾久銀座にはアーケードはない。

地方の銀座もどきにはアーケード街が多い(調査をしたわけではない勝手な推論だが)ようだが、本家本元の東京銀座にはアーケードなんてない。

さすが尾久銀座である。

雨の降らない日は(雨の日に通過したことがないが)、どの店も、公道に大きく張り出して商品を並べ商売をしている。

たくましいのだ(このたくましさは東京銀座にはない)。

道路交通法違反などと訴える人もいないし、訴えられても警察も困るだろう。

魚屋と八百屋が隣り合っていて、いつもはそこも比較的賑わっている。今日は魚屋がお休みらしく、また上述の店に客をとられたか、人だかりはほとんどなさそうだ。

ところがである。

今日は魚屋の前も、八百屋に変身しているではないか。しかも、全面的にではなく、占拠といわれない程度の按配のよさである。公道であるから誰にも所有権はなく、文句のつけようもないはずだが・・

しかし、やっぱり、自分の門前は自分のものという縄張り意識はあるのだろう。

それでも、恐らくは魚屋は八百屋に文句を言ったりしないのだろう。今度八百屋が休業のとき、魚屋の店先がどのように広がっているかが楽しみだ。

そう、お互いに利用しあったほうがハッピーなのである。

鮎は石についたコケなどを餌とし、比較的広い縄張りを持っているが、個体数が多くなると、縄張り行動(侵入者への威嚇)をしなくなるのだそうだ。

侵入者が多くなると、威嚇行動に追われ、餌をとるひまがなくなってしまうというのがその理由(単なる理由付けであるが)らしい。

いやはや、たくましくも合理的な尾久銀座でありました。

法則その3 尾久銀座の活力

高齢者の多いこの地域であるが、なんと、若者が経営する、若者向けの衣料・雑貨やさんが新しく開店したようだ。

よく見ると、この界隈は、若いアジア人や、子供連れの家族も多いのである。

しかも、子供づれの家族に一人っ子はほとんどいない。若いお母さんは、下の子を抱きかかえ、2番目の手を引いいて、走り回る上の子を怒鳴り散らしている。これが標準の家族の姿である。

世界経済を牽引する新興国のように、この地は活力を取り戻すのであろうか

楽しみである。

今日もまた、透析医療や患者さんのためのホスピタリティーには関係のないことをつぶやいてしまった。

またそのうちに、乞うご期待!

世界は一冊の本

世界を支配する虫たち

緑輝く新緑の季節
虫たちが世界を支配する季節
そう、虫たちが湧いてくるのだ

人は「虫けら」というけれど
人はこの虫たちがいなければ生きていけない

少なくとも、みずみずしい果実を口にすることはできない

この世界を支配しているのは人ではなく
微生物と虫たちなのだ

いや、世界には支配者がいないのだ

「たちどまる」

立ちどまる
足をとめると
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば。
雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?

立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。

何もないところにしか
見つけられないものがある。

そして空白のページ

長田 弘 「世界は一冊の本」より

空白のページ

「そして空白のページは」もちろん詩の一片ではない。
本の一ページをめくった時に現れた空白のページである。

ジョン・ケージが明らかにした沈黙の音のように
毎日の眠りのように
大切な空白のページ

空白を楽しんだ画家

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空白を埋めつくそうとする画家

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そして 空白と対峙した画家

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空白には色彩さえない。

世界は一冊の本

七色に輝く虹のように美しい蝶のはね
彼らはその色を所有しない。

太陽の光を反射しているだけなのだ

富も成功も貧困も
幸福も不幸も
人は所有することはできない

感じることができるだけだ

その一瞬に

そう
世界は一冊の本

また めくる空白のページ

しかし、残念ながらブログには空白のページがない

それはあなたの世界にゆだねることにしよう

スパイダーマン現るあらわる!

恐るべしお釈迦様

仏教といえばお釈迦様、情け深い仏様
実は仙人も、道教には登場するのであるが・・
なんか仙人の方が杖やキントーンなどのツールがあって、なんでもできそうだが、お釈迦様は、たなごごろを広げて、薄笑いを(これは失礼)、いや高貴で慈悲深い微笑みをたたえているだけで
、そう、微笑みを浮かべ、座しているだけで、数多の人の心を捉え、時には、煩悩まで捨てさせるというから恐ろしいものだ。

芥川の蜘蛛の糸

田端文士村の住人であった、芥川龍之介の短編「蜘蛛の糸」は皆さんもご存知であろう。

お釈迦さんが、極楽から地獄を眺めていて、
かつて、踏みつぶそうと思った蜘蛛を、命あるものだからといって助けてやった男を、慈悲深く、助けてやろうとする話である。
この男は、天上から降りてきた金色の蜘蛛の糸を手に、上に上に昇り地獄から逃げ出そうとする。しかし、下をみると多くの罪人たちが、自分の後に続いてくる。この男は「こらっ!この蜘蛛の糸は俺のものだ」と言って彼らを蹴落とすのである。
途端に蜘蛛の糸が切れ、もろとも地獄へ落ちていく。
なんとも象徴的な物語である。

小学校では、道徳の教科書に掲載されていたような記憶があるが

運命のいたづら
諸行無常
人の愚かさ
世の摂理(お釈迦さん?)は本当に慈悲深いのか、つれないのか

おそらく小学生では、考えられない、様々な要素が詰まった物語である。

この、人がたくさん捕まっても切れない「蜘蛛の糸」、皆さんには、映画スパイダーマンの操る糸の方が身近であろう。

この、強力な蜘蛛の糸を工業的に生産することが可能になったということだ。

スパイパーの技術でスパイダーマンが現実に

ー以下日経電子版より抜粋編集ー
開発したのは、山形県にあるベンチャー企業『スパイパー』である。
同社が開発した新素材「QMONOS(クモノス)」はクモ糸に近い弾力性や軽さ、切れにくさを兼ね備え、工業用途での活用が期待されている。ちぎれにくさでは防弾チョッキに使われるアラミド繊維や、飛行機の機体に使われる炭素繊維をしのぐという。

スパイバーが突き詰めたのは「遺伝子工学的アプローチでクモの糸をつくる」手法。
遺伝子組み換え微生物を使って大量生産する技術を確立した。

自然界のクモが吐き出す糸は、たんぱく質からなる。一口にクモ糸といってもクモの種類によっても様々なうえ、1匹のクモも縦糸や横糸、けん引用の糸など複数の種類を使い分けるという。それぞれの物性は20種類のアミノ酸の配列で決まる。その組み合わせは実に20の3000乗ほど。同社は天然のクモ糸の構成に近いアミノ酸の配列をデザインし、それを作り出す遺伝子を微生物に組み込んで培養・発酵させ、目的のたんぱく質を大量につくる。精製して粉末状にした原料を紡糸し、繊維状に加工する。ー

というのである。スパイパーの他にも、蜘蛛の遺伝子を蚕に組み込んで糸を吐き出させる技術も確立されているようである。
日経では、ここまでに至る過程とベンチャー経営、未来の産業的な可能性について語られている。
現在、世界の素材・特に繊維素材の雄は、東レ、帝人など日本の繊維メーカーである。
最新の航空機のボディに利用されている炭素繊維や透析に使用されている膜素材もこれらのメーカーのものであり、大きな世界シェアを誇っている。

やはり恐るべしは蜘蛛!

さて、より合わすと強靭な蜘蛛の糸であるが、日常、山道で蜘蛛に出会ってもその強靭さを感じることはない。顔面で蜘蛛の巣をかぶり、閉口することも多々あるが、蜘蛛の巣は脆くも破壊され、蜘蛛はそそくさと逃げ去る。(私は極楽へは昇れない)
もしも、蜘蛛の巣が、糸をより上げて作られ強靭なものであれば、低山帯の山歩きは危険であり、蜘蛛の大掃除が始まるかもしれない。また、鳥などが巣にひっかかってしまえば、蜘蛛にとっても脅威であろう。自然界の中の住人として生存のためには適度な壊れやすさも重要ということか。

一つの機能、特性を極めるのは、科学的には可能であっても、複雑な環境のなかで適応させるのは難しい。

蜘蛛の糸、いや、蜘蛛恐るべしである。

仙人の銀ぶら考

りんごに出会った街 「銀座」

前回、「”A ha!”な りんご たちの話をしたが、
そのりんごに出会った場所

そこは、全国に無数に散在する銀座たちの総本山である東京銀座である。
仙人の住む田端界隈にも田端銀座、尾久銀座などがあるが、それぞれが勝手に銀座を名乗っているだけで、東京銀座にとってははた迷惑なことであろう。
しかし、さすがに東京銀座である。全国の銀座たちに、文句を言ったり、のれん代を要求したりしない(はずである)のである。

そのそも銀座は江戸時代の貨幣鋳造所である。
本家本元の金座は、お上の管轄であり、厳しいだけておもしろくもないが、銀座には、銭を扱う商人たちがあつまり、さらに銭を集めるための情報交換を行う場ができる。
銭を持っていれば使う
欲望の原点は、食欲と・・欲と・・欲、あとはひとそれぞれ
必然的に人を魅了するもの、ことが集積していったのであろう。
築地も近いし・・
差異と欲望がエンジンとなる資本主義の発展の歴史に近いのかもしれない。

銀座の公式ホームページによると

「銀座」という座組織は幕府のために銀貨をつくる組織で、銀の買い入れや銀の管理、事務を取り扱う役所と、銀貨の鋳造を行う工場とがありました。ちなみに金を扱う金座は日本橋の、現在の日本銀行本店のところにありました。
銀座は日本橋を起点とする東海道の一部でもある銀座通りに大きな商店がにぎわいをみせ、取り囲む川で活発な舟運流通が行われる一方、裏手に職人町がひろがり、能役者や歌舞伎役者、常盤津の師匠、画家たちの住む町でもあったのです。

とある。

画廊が集積しているのも歴史的必然のようである。

芸術・芸能・文化などというが人々の欲望の表現の一つの形なのだ。

田舎者の目にも銀座の街はなかなかの優れものである。

街全体がケバくない程度に瀟洒にデコレートされている
旧いとは言っても、戦争で焼け野原になった東京のことだから戦後のものだろうが、鉄とガラスのモダンな建築物に混じって、旧い石造りの建築物が残され利用されているのである。それぞれ自己主張はあるが節度が感じられる。
建物の高さが適度に抑えられていて、突出したものがない。
吉田健一のエッセイには、行きつけの小料理屋や文人が集まり呑んだくれるバーがよく出てくるが、一つ路地を入るとまだそのような飲み屋がありそうだ。

巨大ビル銀座に出現か?

山野楽器の前の広い土地が更地になって工事が進んでいる。一体何ができるのだろうか。なんとかヒルズのような巨大な高層ビルができるのであろうか

できればそうあって欲しくないものだ。

最近話題を呼んでいるなんとかヒルズや渋谷ヒカリエなどの巨大ビルは、ビルの中はモダンにデザインされているし、外観もカッコよく主張してはいるが、街をそぞろ歩く人のサイズではない。ビルそのものが街を飲み込んみこんでしまい、街から人間的な表情がなくなってしまうような気がする。

「急ぐ」  谷川俊太郎

こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通り過ぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない

この速度は早すぎて間が抜けている
苦しみも怒りも不公平も絶望も
すべてが流れてゆく風景

こんなに急いでいいのだろうか
私の体は速達小包
私の心は消印された切手
しかもなお間にあわない
急いでも急いでも間にあわない

そう、巨大ビルは超特急なのである。

銀座の街は、街そのものがショーウィンドウになっていて魅力的だ。
そのショーウィンドーには、自分や様々な人の姿や表情、欲望が映されているではないか。
街は、人々の欲望が複雑に絡み合って集積していく結果でありその過程であるから面白い。
おおまかなデザインはしても設計はしないほうがよい。

田端銀座をブラつく(これも銀ブラというのか)仙人の愚痴になってしまったが、生粋の銀座通はどう感じているのであろうか。

りんご

りんご

赤いりんご

美しいりんご

手のひらに乗せると

冷たいりんご

ずっしりと重いりんご

毎朝かぶりつくりんご

甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる

美味しいりんご

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偉大なりんご

今日の科学文明の種となったりんご

戦後の日本人を励ましてくれたりんご

pop musicの神様を世界に羽ばたかせた りんご

世界中をつなぐかじられたりんご

偉大なりんご

りんごがなければニュートンの第一法則は発見されず

”りんごのうた”がなければ、今日の日本の発展はなかったかもしれない。

歯周病の検査にも使われている

・・りんごをかじると血がでませんか?

そもそも

アダムとイブの時代から”りんご”は禁断の果実であった。

それでも、僕には美味しいりんご

今日銀座で出会った APPLE

Apple Storeかとおもったが、google mapではギャラリーと表示されている。

りんご

よく見ると、かじられていない”りんご”だ、中に入ってみると”ken miki design works”の展覧会

そこは「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」であった。

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世界一のりんご研究者を目指す 三木健 のりんご観察とデザインの世界

美味しい、偉大な だけでなく 楽しく 美しい ”A ha!”な りんご たちがあった。

りんごについてのイメージを広げるマインドアップル(マップ)

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りんごのパーツいや失礼、そこのは未来のりんご、りんごの木が詰まっている、そうりんごの種

りんご のコピー 2.001

りんごの種の形、その流線型の美しさを意識したことはなかった。

りんごの色

もしもりんごがクロだったら

とても食べたいとは思わない。

アダムとイブは楽園を追放されず、キリスト教世界は存在しなかったかもしれない。

パンフレットには、・・・デザインは単に「見える化」することじゃない。何かが「見えて来る化」すること。「気づきに気づく」デザイン・・と記されている。

ハッピーなひとときであった。

透析クリニックの運営も「気づきに気づく」ことが必要かもしれない。