田端駅前クリニックスタッフのブログ

Category Archives: 透析スタッフ教育

そうか、みんなミラーマンだったんだ!

診療録の電子化三原則

当透析クリニックでは、電子カルテを導入し、レントゲンの画像情報も電子化している。

カルテを電子化する時の要件は、難しい表現であるが
1 真正性
2 見読性
3 保存性
が確保されていること、とされている。

真正性とは、容易に改竄(かいざん)できないことである。

従来の紙のカルテも、修正液や消しゴムはいけない。筆跡が書いた主の証なら代筆もいけないはずである。

電子カルテでは、他の人の知らないはずのパスワードを使って本人がログインして、入力し、確定後は修正できない仕組みになっている。したがってログインパスワードの管理がキーになる。

見読性は、判読できること。

実は紙カルテの見読性はかなり怪しいようだ。多忙な医師は急いで走り書きをする。仙人も自分の書いた文字が読めないことは日常茶飯事時だ。中には英語、ドイツ語などを駆使して走り書きをする医師もいて、そのカルテに書かれた指示を見て看護行為をする看護師は大変である。カルテに書かれていることが見読できればその病棟では一人前になったなどと訳の分からぬことも以前はあったような。

保存性は、消失しないこと。

紙のカルテだって火災にあったり、誰かが借りて返し忘れれば保存性はおぼつかない。電子化では、サーバーの二重化、ミラーリングの技術が必須とされた。最近では、さらに災害時に備えて、地震の少ない地域にクラウドサーバを設置することもあるようだ。岡山県が比較的地震がすくなく、クラウドサーバの設置場所として選ばれている。

電子カルテが普及する前は、このように、変化に抵抗する勢力が、難癖をつけて電子化に反対したが、紙カルテにしても三原則を満たしているかどうかはかなり怪しい、ケースもありそうだ。三原則を100%満たすことは困難だが一定の条件をクリアすることが必要をされている。

ミラーニューロンとミラーマン

ちょっと難しい導入となったが、本日はミラーリングの話である。とは言ってもコンピュータ技術とは違って、人の脳の中にミラーニューロンと呼ばれる神経があるそうな・・ということである。そう、みんなミラーマンなんですよ。
と言われても、ミラーマンなるウルトラヒーローを知る人は少ないか。
半世紀も前のころにウルトラマンの後継としてちょっとだけ登場したウルトラヒーローである。

ミラーマン

カエルの子はカエル

このミラーニューロンは、脳科学の実験から明らかになったもので、人が他人の真似をする時に活性化するのでこのように名付けられた。考えてみれば、子供はなんでも大人の真似をすることで成長していく。言葉はまさにそうだ。

0歳児は、何にでもなれる、何語でも操れる高い可能性を持っているスーパーマンだが、可能性の芽をつみながら、大人の真似をし、生まれ落ちた環境に適応しているのだ。
遺伝子を受けつぎ、親の真似をして成長すれば、親に似るのはやむを得ない。この子だけは自分のようになって欲しくないという願いは、概ね叶えられないということか。

成人まで親元で暮らすようになった現代では特に難しいかもしれない。

ちゃっかりしているミラーニューロン

さて、このミラーニューロンは、目の前で、近しい人が喜んでいる時にも、激しく活性化しているというのである。喜びを分かち合うことで、人との関係性はより親密になる。
では、悲しみ、苦しみはどうであろうか。
実験によると(恐ろしいことになんでも実験済みである)、悲しみや苦しみに対しては、喜びに対するほどは、ミラーニューロンの活性化が見られないということだ。

困難に首をつっこむことになるのは難儀だし、そもそも自分も悲しくなるのは割に合わないので、そういうことは避けたいという本能なのであろう。経済合理性にかなっている。
遺伝学者の手にかかればなんでも、遺伝子の自然選択によるものとなってしまう。

医療スタッフはウルトラ・ミラーマン

患者さんは、当然のことながら身体的な痛み、苦しみを抱え、精神的にも苦しく、辛い気持ちを持っている。多くの人はそのことを避けて通りたいのだが、医療職者は、そのことを察し、共感できなければいけない。

人一倍、ミラーニューロンを発達させ、優れたミラーマン・ミラーウーマンでありたいものだ。

仙人の入院記 3の巻

手術台にのせられて、両手に華の夢ごごちで眠りについたところまではよかったが・・

夢なら覚めないでほしいものだが、現実はそんなに甘くはない

そもそも手術なのだから当たり前である。

どうやら意識が戻ってきたようで、腹部に鈍痛を感じる。何時間眠っているのだろうか、あたりはスッポリと闇に包まれている。もう夜のようだ。
おそらく長時間寝返りもうたず同じ姿勢で寝続けていたせいであろう、体が鉄の塊のように固まっている。腰がベッドにめり込んでいるようで、こちらも鈍痛がする。

呻き声をあげるほどではないが不快である。
しばらくすると、夜勤の看護師が見回りにきた。
どうやら、知らぬまに酸素吸入器や心電計、血栓防止用のストッキングなどを装着していたようで、それらを外していく。血栓防止用のストッキングは、電気仕掛けで空気を送り込んで足を圧迫、弛緩するようになっているらしい。

介助をしてもらいながら、固まった体をまげやっとベッドの上に起き上がる。
腹腔鏡は侵襲の少ない手術とはいえ、ブズッ、ブズッ、ブズッ、とお腹に3つの穴を開けているので、さすがに傷口が痛む。点滴台を転がしてトイレにいくのだが、痛みのため背中を丸め、のそりのそりと恐る恐る歩を進める。なんともはや情けない格好であるが、いたしかたない。

なんとか用を足してベッドに横たわり、再び色々な器具を装着する。
十分に寝た上にお腹と腰が痛むので、ウトウトとするのが関の山だ。お腹の痛みは我慢できるが腰の鈍痛はなかなか厳しい。

 

金属製の窓格子で切り取られた空が白んでくる。
夜が明けるようである。

自由に身動きできないベッドのうえで、膝を立てたり、お腹を気にしながら体位ををかえていると、看護師さんがやってきた。今日の担当看護師は男性である。背はそれほど高くはないが、体育会系風のがっしりした体格で、言葉もはっきりとし動作もテキパキとしている。
この看護師さん、隣の爺さんにどう適応するのか、面白がって聞いていると・・

相手に抵抗する隙を与えないスピードで、・・しますよ。といって行動に移していく。
爺さんは反抗することもできず、やけに従順である。
時に反抗を試みるが、聞き入れる風でも、やり込める風でもなく、取り合わず、どんどんことを勧めていくのである。

看護師は、ものがなんだったか忘れたが、爺さんが食べ物(果物だったか)を隠しもっているのを発見して、「こんなところに隠していたらダメじゃないですか、腐りかけていますよ」といって取り上げてしまう。
これにも反抗できず、従順である。
こういうタイプに弱いらしい

前回登場の宇宙人のような新人看護師は、長続きするだろうか、どのように成長するだろうか?

 

 

主治医の回診である。
手術の状況説明をうけて、特に問題はないとのこと。やれやれである。
退院はいつにされますか?と聞かれ、即座に本日と答える。
とにかくこの狭いベッドのうえで、身動きが取れない上に、腰痛と戦うのは勘弁してほしい。
もう一泊する人が多いようであるが、特に積極的な治療があるわけでもなく、なんとなく不安というだけで、病院にいる理由は見当たらない。

主治医も笑顔で、わかりました、とこたえ、さらに退院後の注意事項などを説明してくれる。
非常に好感が持てる。

 

昼食を済ませ、退院である。
スタッフステーションに声をかけ、会計へ・・
ところが、土曜日でお昼を過ぎてしまったため、会計ができないとのこと。
お支払いは、次の外来の時にということ、このまま来なかったら、未収金になるがどうするんだろうと心配になるが、知ったこっちゃない。

タクシーを呼んで、やっと我が家(とはいえ仮住まいであるが)へ帰ってくる。

 

まずは音楽をかけ、コーヒーを淹れる。
ほっとする。
そして布団を敷いて横になる。
狭い部屋ではあるが、なんといっても伸びのびと横になれるところがよい。

透析患者さんの過ごす4時間、5時間、我が家にいるようにとはいかないが、アメニティはよくしなくてはいけないとつくづく実感したものであった。

たったの3日であるが、仙人の入院記もこれにておしまいである。

次からはまた、徒然なるままに

高級店のホスピタリティ 〜後編(再起)

 

 前回の「高級店のホスピタリティ」編の後半です。

 

さてはて、そんな出来事があってから、今年は一度もその高級店の敷居をまたぐ事はなかったのです。

無意識に記憶からデリートしていたかも知れません。

しかし。。。冒頭でもお伝えした通り、ど〜しても美味しいチョコレートが食べたくなり、久々にそのお店を訪ねてみたのです。

 

脱皮した高級店?!

先ず、訪問時の時間帯が良かったためか、他のお客さんが居なかったのです。

「今日は久しぶりに、ゆっくり見れるなぁ〜」と鼻歌交じりに、X’masディスプレイと限定商品を楽しみに、いそいそ入店。

 

すると、ある店員さんが常時接客して下さったのですが。。。

その方が高級店には異色だったのです。

最初の声がけは、当店初体験の時と同様。

「ご自由に御覧ください。気になる商品がございましたらご案内させて頂きます」

そこから『怒涛の「接客」』が始まったのです。

 

何が怒涛かというと、まぁ〜よく喋るのです。

 

私も実家に帰ると「あんたが帰ってくると本当にうるさいわね」と皮肉られるほど・・・

 ※もちろん、そこにはた〜っぷりの愛情があると信じています。

・・・よく喋るらしいのですが、

 ※自覚なし!・・・すみません。十分自覚している確信犯です。

その方も、それはそれは気持ちよさそうにお話をされるのです。

 ※再確認:チョコ好きマネも、良く喋るでしょ(ヒッヒッヒッ)なんてご意見は、しっかり棚に上げております。

 

『怒涛の接客』などという表現をしてしまうとネガティブイメージを持たれるかもしれませんが、決してそんなことはなく、

『チョコが大好きで、このショップが大好きで、お客さんにもチョコとショップを末長く愛していただきたい♥』

そんな思いが、とても伝わって来る接客だったのです。

ただ、高級店には稀な程、とてもよくお話になる方というだけ。

 

そんな時、周りの店員さんはというと、そんな『怒涛の接客』を微笑みながら決して介入せず、その方の接客サポートをしているように見えたのです。

(過去の職業柄)その方の名札を見たのですが、特に役職の記載はなく、名刺を頂くこともなかったので、偉い方なのか教育係の方なのか、単なる個性的な一般職員なのか。。。

真相は全く分からなかったのですが、

『一皮むけた高級店の接客』を見た思いだったのです。

メルトチョコ

 

もちろん気持ちよく、30分程の時間をその高級店で過ごし、美味しいチョコを惜しげもなく山ほど購入し、至福の気持ちでその日1日を過ごしたのです。

 

 ※今も体型のことなど気にせず、至福の日々を過ごしています
 いずれ「至福の代償ストーリー」をお伝えする日が訪れる事でしょう。(恐怖)

 

 

基本の上に成り立つ個性

これはあくまでも私の想像ですが、おそらくこの店員さんは個性を発揮されている方なのだろうと思うのです。

何故なら、私に限って言えば、今回の接客は全く不快ではなかったのです。それどころか、次に訪ねた時もこの店員さんに接客してもらいたいと思ったのですから。

 

一昔前は、当時の若者たちを「没個性」とネガティブに表現しましたが、

その時代を経て「個性を大切に」と表面的に欧米社会を真似ようとした時代があったように記憶しています。

しかし「個性優先」を履き違えると、基本を知らない被害者を生むことになる。

 

挨拶の意味、相手を思いやる心、学ぶことの大切さ、努力をするということ。。。そして「基本の大切さ」

全人的な原理原則を学び、理解し、発揮出来るようになったその上で、自分らしさを乗じることで、初めて光る個性が生かされる。

私は常々そう思っているのです。

 

敬語を使いこなせることができるから、失礼にならない表現をTPOによって使い分けることが出来る。

人に優しくできるから、人から優しくされたことを感じることができる。

知識がありその使い所をわきまえているから、その知識が活かされる。

努力することの大変さを経験しているから、努力している人を労うことができる。

 

 個性だけで生きていけるほど、世の中は甘くない。

 

「他人にはない個性があれば、基本なんて関係ない」

もしそう思っている方がいらっしゃるのであれば、それは周りが妥協してくれているだけ。そう思うのです。

若くても、未熟でも、懸命に健全に努力している姿は、問答無用に応援されるべき。

そして努力を止めた時、その人は必然的に社会から淘汰されていく。

透析施設のホスピタリティを常に考えている身としては、今回のような高級店の変化を垣間見た時、

「基本の大切さ」と「おごりが命取りになること」を、やはり考えてしまうのです。

 

努力は一時で終わるものではなく、続けるもの。

 

 健全な努力を続け、基本に個性を乗じ、

     かけがえのない自分を育んでもらいたい。

 

極上のチョコレートを堪能しながら、

後進に向けて、そんな思いを巡らせたある日の出来事でした。

 

クリスマスツリー(白)

 

 

 ※只今、新たなチョコレートショップの発掘に邁進中ぅ〜♥

 

おもてなしの心は何処へ

 日本人に生まれて良かったと言えるのか?

 

日本人といえば最近おもてなしの心をもった国民という評価があります。

インターネットの記事を見れば、日本嫌いの中国の人達からも、

実際日本に行くと中国国内の風評とは違い「日本人って、礼儀正しく、とても親切❤️」という記事が多く見られます。

これ日本人にとってはとても嬉しいですよね。

実は私も時々、そんな記事を眺めながら「そうだろう、日本人は結構すごいだろう、日本人をなめるなよ」

などと、ほくそ笑んでいます。

ホスピタリティについて研究していると、時々マニュアルが必要だという指摘にぶつかります。

なるほど、欧米の有名なホテル、テーマパーク、レストランはマニュアルが成功要因と言われています。

しかし、マニュアルの効用をくつがえすような出来事に遭遇しました。

恥ずかしながら初ハワイ

実は私はハワイに昨年人生で初めて行きました。

 

Maui Coastline, Hawaii Islands

ハワイなんか何時でも行けるから行かない。などと言っていましたが、実は

ただの天邪鬼なだけです。

皆んなが行くところに行きたくなーい、芸能人が行くところなんか行きたくなーい

理由はそれだけです。

しかし、年に一度の自転車イベントがあり、(私自転車が趣味です)

そこに参戦するために行くことになりました。

単独行動でしたので、食事はホテルの隣りのサンドイッチショップへ(日本でも有名なチェーン店)

そこで、店員の対応は、実に事務的、待たせるのは当たり前、笑顔は一切ない、つっけんど。

しかし、業務的には過不足ない。

うーん、しかしなあ、そこまで、つっけんどにしなくても?

怒ってるのか?

何か後味が悪く、「なんでこんな店選んだんだ」と自分の選択のミスを呪ったものです。

少し冷静になり考えると、アルバイトの店員は多分スパニッシュ系の若い女性で、英語が堪能ではない、仕事に慣れていない、等のハンデがあったのでしょう。

逆に言えば、その人でも一応の対応ができるのは、マニュアルのおかげとも言えそうです。

こう考えると、業務の最低限はマニュアルで規定することができるが、ホスピタリティをマニュアルで高めようとするのは無理がありそうです。

ところ変わって、日本の話です。

フレーフレーニッポンのJR

出張で新幹線に乗っていた時のことです。

20141215新幹線

 

例によって移動中はパソコンを開いてメールチェックや仕事するのが習慣になっています。

その時は、パソコンは開くは、ノートやら、書類やら、で座席一杯に。

そこで、うら若き女性の車掌さんが来て切符の確認に。

切符の確認を終わりその若き女性は「おくつろぎのところ失礼しました」

と去って行きました。

私呆然「・・・・・・・」「私くつろいでないし」「見りゃわかるでしょう!」

「お仕事中失礼いたしました」でしょう。

ああ、人を見る、観る、診ることが出来ていないんだなアと思いました。

透析クリニックも気をぬくと、こなし業務になり同じような事が起こるのだろうと

心を引き締めました。

あーあ、アメリカのマニュアル批判をしていたのに、日本の新幹線でも似たような事が?

本当に日本のサービスは良いのか?

再度、透析医療のホスピタリティについて考えるきっかけになりました。

少し凹みました。

放任主義の教育とは(その2)

 

さて、前回の「ゴロゴロ体操」の“オレンジ色の彼”をめぐるお話から、考えさせられたことを少し続けさせていただきます。

 

放任主義の教育

オレンジ色の彼が、やんちゃに駆けまわっていながらも、結果的に誰にも迷惑をかけていなかったこと。加えて、母親のあきれ果ててささやくような声がけに、ス〜ッと言うことを聞く姿を見て、『おっ!出来る子!』と思ったのです。

が、しかし、実は。。。

流石(さすが)なのは、「オレンジ色の彼」ではなく「お母さん」だったのかもしれません。

もし「彼」が人に迷惑をかけながら蛇行したりゴロゴロしたりしていたら、きっと『あの子の母親は何をしているんだ!(怒)』という雰囲気になったかもしれません。

しかし、そんな雰囲気にならなかったのは、

 ・オレンジ色の彼が、なんだかんだ人に迷惑をかけていなかったこと

 ・母親が、きちんとさりげなく「見守り」行動をしていたこと

にあるように感じるのです。

私は、単にそれぞれの親子関係の断片を見ているに過ぎないのですが例えば、

金切り声を上げて「いい加減にしなさい」「いい子にしていないと、もうおやつあげないよ」という母親もいれば、子供がどこで何をしようがスマホいじって子供に全く無関心の母親を見かけることもある。

「放任」と「放置」は全く違う。私は国語学者でも文系知識に長けているわけでもないので、2語の違いの議論できないのですが、

しかし「オレンジ色の彼」の母親は、ある一定のところまでは「放任=彼の判断に任せる」ことができる原理原則の教育(しつけ)ができていて、既に信頼関係が築けているように感じたのです。

傾聴

 

社会人教育に放任はあり?それともなし?

「いい加減」ってどんな加減なのか。「いい子」ってどんな子なのか。

親子の間に、その共通理解がないのに「いい子にしなさい」って金切り声で言われても子供はピンと来ていないかもしれない。

「いい子ってどんな子?」(子どもの疑問)

 

さすがに大人はそこまでではない…ことを願うが、

『これをやってごらん。あなたのセンスで。』と言われた時、言われた側の社員は、一体どう思っているのか、ちょっと気になったのです。

「やり方を教えてくれないから、出来るわけないしぃ〜」なのか、それとも

「私のセンスを信頼してくれているのかも。頑張ろ!」なのか。

どちらに転ぶも、「見守り」のあり方は、「原理原則の教育」と「信頼関係」のあり方次第なのかもしれない。

 

「相手の気持ちを考えて行動しなさい」と言われた時、言葉は分かっても何を意味しているのか、本質の理解ができていないことの方が多いかもしれない。

 

 ため息

 

こちらが「こんなこと当たり前」と思っていることに限って、他者にとってはスペシャルなことで、「それって、◯◯さんだから出来るけど、普通の人には無理だよね。」くらい思っているかもしれない。

こうなってくると、どちらの良し悪しの問題ではなく、どちらにも改善ポイントがある。

 ・「できて当たり前」は、指導者の怠慢

 ・「普通の人には無理」は、努力したくない者の言い訳

その溝を埋めるのは、言葉を交わすこと、思いを交わすこと。

やはり『コミュニケーション』なのだと思うのです。

 

やる気ギラギラ

 

そして、透析患者さんと医療者も同様。

「毎日毎回顔を合わせているから、わかっているはず。わかっているつもり。」

そんな「おごり」が私たちにあってはならない。

決してそんな思いを持ってはいけない、行動を取ってはいけないのです。

 

『質の高い医療』を提供するためには、先ず心からの対話を積み重ねることこそが、その基板になる。

そんな事を考えさせられた、ある日の午後でした。


この続きは、また別の機会に。

 

放任主義の教育とは(その1)

皆さん、久しぶりの投稿です(チョコ好きマネージャーです)。

今日は、先日地下鉄の乗り継ぎ通路で、ある親子を見かけた時のお話をひとつ。。。

 ※少し長くなるので、今回は2回に分けて。
  いずれも全編を通して気軽に読み進めていただけたら幸いです。

 

元気が一番!

先日、都内の地下鉄乗り継ぎ通路で、ある親子を見かけました。

その日は、昼過ぎの平日ということもあり人出はまばらで、の〜んびりとした雰囲気。

リッチなランチミーティング(井戸端会議?!)帰りの奥様方や、少し早めの夕食の買い物に出かける主婦、外回り中のサラリーマンなど、それぞれの目的に向かってそれぞれの早さで歩みを進めていたのです。

そんな中、パキッと目の覚めるような鮮やかなオレンジ色の上着を着た子供の姿が通路の先に見えたのです。その子は私の100m位前にいたのですが、それは間違えなく男の子!

私の目に入ってきたのは、人の間から見え隠れするオレンジ色の上着、上体を右に左にと傾けながら蛇行する様子は、紛れも無く幼稚園位の年代の男の子特有の動きだったのです。

ジェット機のプラモデルを片手に『びゅぅ〜ん』っと叫びながら走り回っているのかしら。。。

そんなことを考えながら、徐々にその男の子との距離を詰めていくと。。。

予想通り、その子は幼稚園位の男の子でビビットなオレンジ色のフリースに渋い紺色のコーデュロイパンツを履いていました。その時、ふと昔母から聞いた話を思い出したのです。

 

 〜回想〜

私には3歳年上の兄がいるのですが、子供の頃それはそれはやんちゃで、ちょ〜っと目を離すと、どこに行ったか分からなくなる。「もぉ〜本当に嫌になっちゃう(母)」

その上、好奇心旺盛でサービス精神満載な可愛い男の子「だった」ものですから。。。行った先々で『ニコッ』の笑顔で一瞬にして人気者になり、その場の雰囲気に同化してしまう。

『そりゃ〜大変だったわよ。何とか見失わないよう少しでも目立つように「赤い色の洋服」を着せたの。だから初孫長男なのにお兄ちゃんは赤い服が多いのよ。』(母、談笑)

赤ちゃん笑顔

 ※誰にでも好かれる笑顔の持ち主。

 

なるほど。。。

地下鉄の乗り継ぎ通路で、真っ直ぐに伸びる通路をワインディング・ロードの如く蛇行を決行しているオレンジの彼に対しても、きっとそんな母親心(苦難)があるのでしょう。

 ※お母さんは大変です。。。

 

 

「しつけ」って。。。

さてさて、そんなことを数十秒間で考えながら歩みを進めていると、オレンジの彼の声が聞こえるエリアに突入!・・・ん?

おやおや??

さぞかし騒がしいのだろうと思っていたのですが、一人で上手に人の迷惑にならないように呟きながら遊んでいる。お行儀の良さすら感じたのです。

「お外では大きなお声で話してはいけません。他の皆さんのご迷惑にならないように。」

そんな、お母さんの言うことをオレンジの彼は彼なりに受け入れているかもしれない…むしろしつけの良さを感じたくらいです。

しか〜し!動きはめちゃくちゃアグレッシブ。

この話だけを聞くと、さぞかし周りに迷惑をかけているのだろう。とご想像の方も多いかと思いますが、実にオレンジの彼は絶妙だったのです。

蛇行して進んだかと思うとお母さんの周りをクルクル。今度は後方へ引き返したと思ったらまたお母さんの元へ戻ってきて、クルクル。。。クルクル。。。

その間、誰一人として彼にぶつかる者はおらず、彼の動きに合わせて道を譲らなくてはならない大人もいない。実に巧みに人の間をすり抜け、「お邪魔にならないように」一人遊びをしているのです。

『小僧、やるな!!』そんな感じなのです。

 ※きゃ〜小僧なんて表現を使ってしまい失礼を致しました。

こども海賊

 

その時、お母さんは。。。

そのアクティブさに限界はなかったのです。

オレンジの彼は、一人でS字道路をスイスイ走行するオートバイの如く、自由走行を存分に楽しんでいたのです。

しかし次の瞬間!! 「彼」が私の視界からスッと消えたのです。

「あっ!転んじゃった!!」と一瞬、ハッとしました。

ところが、ドスンという音も鳴き声もしないのです。

あれあれ???

 

なんとオレンジの彼は、両手両足を上下にピンと伸ばし、広い通路の上で大変姿勢の良い『ゴロゴロ』していたのです。

自分が太巻きの具にでもなったかのように、楽しそうな笑顔で『ゴロゴロ』

通路幅の1m20cmは占領しているはずなのに、奇跡的にも誰にも迷惑をかけずに『ゴロゴロ、ゴロゴロ』

 

 

 

転がるハリネズミ

 

 

・・・クスッ(笑)・・・

さすがの私も、思わず笑ってしまいました。

まぁ、その一連の行動があまりにも自然で、楽しそうで、よくよく観察すると誰にも迷惑をかけていない。「流石」の一言に尽きるのでした。

「やるなぁ〜こいつぅ〜 ただ者ではないぞ!!」

そして私がクスッとした瞬間、オレンジの彼のお母さんが、初めて彼に声をかけたのです。

「・・・もう勘弁してぇ…」

力無げに、乳飲み子(オレンジの彼の妹さんでしょう)を抱っこしながら、荒らげるでもなく声なき声をオレンジの彼に向けて一言発したのでした。

 

「いやいや、そんなヤワな声掛けに応じる「彼」ではなかろう。。。」

他人の私は勝手にそう思ったのですが、なんと!何も見えない、何も聞こえていない体(てい)で『ゴロゴロ』していた彼が、す〜っと母親の側に寄り添い、母親の腰辺りの洋服を握って一緒に歩き始めたのです。

その一連の光景を目にした時、ふと「放任主義」の教育。。。という言葉が脳裏によぎったのです。

少し長くなりましたので、続きは次回に。

 

 

寄り添うチューリップ

組織のハーモニーを高めるコツとは?

引き続き、たまらんうまいは、焼きナスは!

またまたナスの話で恐縮だが、私は大のナス好きである。

漬物、焼き物、油との相性も抜群だし、和風にもイタリアンにもあう。

料理は、様々な素材のハーモニーだ。どんなに高級な素材も組み合わせがまずければ台無しである。

焼きナスには、ポン酢(願わくはすだちがよい)におろししょうが、そして削り節だ。ゆらゆらとゆれている削り節をなすを覆うようにしてはしでつまみ口に入れる。ほのかに甘い茄子の肉汁としょうがの刺激が口のなかで混ざり合う。ああ、至福の時!

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日本酒をちびりちびりやっても、ビールをぐびぐびとやっても、これがまたよく合うのである。

料理は素材同士の関係、調味料、調理方法等で絶妙なハーモニーが生まれる。

よくよく考えると、組織においても「この考え方は当てはまるのでは?」と思う。

「いや、いや何言ってるの料理と組織は全くの別物だろ!」とツッコミ覚悟で話を進めたい。トク・トク・トク・・

atukan

働きアリの2割が実はサボっているという事実!!

組織論では、仕事のできない人(しない人?)をどう処遇するかが問題になる。2対8、2対6対2の法則などと言われ、2割はポジティブだが、同じように2割がネガティブ、残りの6割は中間層でいずれかに引っ張られる。勢い仕事をしない2割の人は排除したくなる。

蟻の社会も同じだそうで、働きアリの中にも2割は働かない怠け者がいるそうだ。そして、その怠け者を取り除いてもまたあらたな2割の怠け者が発生するといわれている。排除を続けていったら誰もいなくなったという顛末になってしまう。

著者によると、しんどくなったら怠けられるということがコロニーの安定に必要なのだそうだ。

蟻たちに

あいつらはけしからんとか、働いてばかりでああ~しんどとか、わてらばっかりやってられまへんな~

といった感情や意識があるとは思えないので、自然の摂理とはなかなか奥深い。

hatarakiari

組織のハーモニー

では、2割は怠け者のままでどうしようもないのか?

ある中小企業の社長さんは、中小企業に優秀な人材が来ないとなげいてもしょうがない、とおっしゃっている。

そして障害のある人を積極的に採用する。みんなが一生懸命面倒をみてチームワークが良くなるからだといっている。人を分類するのではなく、どのようなチーム・組み合わせの時にパフォーマンスが上がるのか、それを見極めよといっている。

高級食材はそれだけで十分おいしいものだが、高級食材を組み合わせてもおいしい料理になるとはかぎらない。焼きナスに高級食材はないが・・至福の料理である。

そして、焼きナスのてっぺんには一つまみのおろしショウガが自慢げな顔をしてのっかっているではないか

どのような組み合わせにすれば、みんなが輝けるのか、そして良い成果をだせるのか?

当透析クリニックは、小さな組織でありネガティブな2割は存在しないことを願うが、チームワークは重要である。

そういえば、一般的には若い人はナスが嫌いという人が多いようであるが、新人ながら「なすび」が大の好物(好きなもののベスト3に入るらしい。。。)という変わったスタッフがいる。

※ちなみにこの新人、なすに次いで好きなモノの2位がホタルイカ、3位が。。。ホットドック(笑)

hotdog

このスタッフはどこか奥が深く・・時々鋭い輝きを発するのである。仙人力ではとても太刀打ちできない。

青山でホスピタリティ研修?!(その3)

 

※前回の青山でホスピタリティ研修?!(その2)からの続き(ラストです)。。。

 

歓迎されている感、満載!

さてさて、Wating Spaceで「凄ぉ〜い」なんて感じながら店内をさり気なく見回していると、『こちらへどうぞ』とシャキッとしたスタッフに誘(いざな)われ奥のテーブルに案内されたのです。

 

そこで、まず目に入ってきたのは完璧なテーブルセット。決して仰々しいものではなく、可愛かったりキュートだったり、ちょっとな感じのセッティングでした。

そして、その並びにポストカードくらいの大きさのメニューリストが置かれていたのですが、ここまでの流れからすれば皆様もご想像の通り、メニューリストに各人の名前がそれぞれ印字されていたのです。

ここでもダメ押しの『歓迎されている感、満載のお出迎え』。

 ※「さりげない」けれど、さすがです。

 

食事がスタートしても、このホスピタリティ溢れるおもてなしは続き、皆で感動しまくりだったのです。

 

感激のおもてなし

飲み物の好みを短時間で見極め、「サービスです」とフレッシュで可愛いドリンクをサーブしてくれたり、食事中に上着を羽織ると、「空調を弱めておきましたので」と、すかさず先回りの対応。

丁寧な言葉遣いでありながら、かしこまり過ぎず、快適な距離感を保ちながらユーモアを交えた小気味の良い会話。

スタッフ同士も、常に声がけや目で合図を送ったりと意思疎通をを心がけ、テーブルの状態、振る舞いなどを気遣っている姿は、「最高のホスピタリティを提供するために必要かつ重要な行動です」というお店の姿勢。

そんなおもてなしを受けながら、私たちはとても心地よいひと時を過ごしたのです。

そして、食事も終盤。女子の楽しみはディナーの最後に訪れる。

そう、デザート♥〜゜

そんなウキウキ気分の時、スタッフの方が声をかけてくれたのです。

『よろしければテラス席が空きましたので、風にあたりながら。いかがですか』

 

“最後の最後まで、最高の時間を過ごしていただきたい”

 

そんな、言葉ではない「おもてなしの心」を感じたのでした。

 

マンハッタン夜景

 

 

私たちの気付き、そして透析施設でできること

さて、感動の研修を終えた後、先の「青山でホスピタリティ研修?!(その2)」でお伝えした「研修レポート」でコンシェルジュ達は、様々な気付きと学びがあったことを伝えてくれました。

 

「患者さんにお薬をお渡しするときなど、今まで意識したことのなかった状況で、笑顔と姿勢を気をつけることで、とても印象が変わることに気づいた」

「シャキシャキした歩き方はとても美しく、自分も目指したい」

「患者さんをお迎えする時やご案内する時、透析室内を歩く時など、服装の整え方や姿勢がしっかりしているだけで十分好印象かつ質の良さが伝わるのだと感じた」

「今までは、声をお掛けしたらご迷惑かな。。。とか、気を使わせてしまうかな。。。と気が引けていたことも、気遅れせずチャレンジしてみたい」

「作りこんだものより『にじみ出るようなもの』の方が気持ち良いので、心からできるような人間性を持てるよう成長していくことが大切と思った」

「相手の立場に立った接客の立ち居振る舞いをクリニックで実践したいと思う」

 

私たちならでは…のホスピタリティ

ホスピタリティを考え始める最初の頃は、ともするとやり過ぎではないかと心配になることもあります。

良かれと思ってして差し上げたことが「余計なお世話」だったのでは。。。と心配して、気にして、気になって。。。なんて経験、誰しも1度や2度はあるのではないでしょうか。

また一方で、「こんなこと言ったらお嫌かな、ご迷惑かな。。。」って心配し続けるあまり、結局何も出来ずじまいになることも、日々多々遭遇する経験です。

しかし思うのです。

結果として余計なお世話になってしまったり、思い切って行動したことを後悔したとしても、大切なのは『行動すること』と、そこにある『気持ち』『心』だと思うのです。

 

透析患者さんは、1日おきにクリニックにいらっしゃいます。頻繁に顔を合わせていると「また他愛もない会話をしたらご迷惑かも」って考えが頭によぎったりしてしまうのです。

慢性疾患である透析と共に人生を送られている患者さんは、これまで様々な葛藤や悩みを繰り返し、乗り越えられ、また今もなお抱えていらっしゃる。そんな思いと共に生きられている患者さんに、どんな声をお掛けしたら良いのか躊躇することも多々あるのです。

しかし、そんな時こそ「患者さんの快適のためにできること」を真剣に考え、そこに「誠実で、真面目で、本当の心」があるのならば、きっとその思いは通じる、そう信じているのです。

 

先のホスピタリティ研修先でのサービスですが、

一方的に「サービスです」と持ってきてくれたフレッシュフルーツのカクテルが好みでなかったとしても、私たちを思って提供してくださったサービスは、決して不快なものではないのです。恐縮することはあっても「迷惑だ!」ってことにはならないと思うのです。

そこには間違えなく、嬉しい思いが “ほんわ〜か♥”と心と記憶に残る。

そう思うのです。

 

トロピカルドリンク

 

 

 透析施設におけるホスピタリティとは何か。。。

 

日々考え、日々チャレンジではありますが、異業種の最高のホスピタリティに触れ、学び、日常の何気ないサービスに気づくことができるアンテナを育み、バリ3※状態を保持することが重要と思うのです。

 

 

『心』を育む努力を止めないこと!

 

人は弱い生き物ですから。。。

 

 

 

 ※バリ3(ばりさん):携帯電話のアンテナが「バリバリ3本立ってる」という古語
(古〜い!なんて声がちらほら。。。「バリィさん」ではございませんので悪しからず。失礼致しました(^^);)

バリィさん

 

 

青山でホスピタリティ研修?!(その2)

 

※前回の青山でホスピタリティ研修?!(その1)からの続き。。。

 

立ち居振る舞いは「質」を物語る

まずはWaiting Spaceに着座。

「社長との会食」というシチュエーションで、コンシェ2名は緊張の面持ち。

そんな中にあっても、彼女たちは後の研修レポートでこんな第一印象を語ってくれました。

 

・自然でスマートなお出迎えに感動

・一つ一つの行動が、とても丁寧

・立ち姿、歩き姿がシャキッとしている

・これらがとても好印象で『質の高さ』を感じた。。。と。

 

身だしなみや立ち居振る舞いは、雄弁に「質」を物語る。

 

よく「見た目は重要」といいますが、体裁を整えるだけの見た目は、本来の「見た目の重要性」を語れないと思うのです。

むしろ形ばかりの見た目は、場合によっては滑稽に映ったりすることもある。

 

人の内なるものが見た目に反映される。

 

見た目を綺麗に着飾っても、内なる怠慢はカバーしきれない。

すなわち内面が育まれれば、自ずと「見た目」が変化するのではないでしょうか。

 

良い緊張感を持って仕事をしていれば、自然と行動がシャキッとする。

温かい心を持って対応していれば、自然な笑顔が現れる。

 

未熟さを補うために形から入ることも、成長のステージの一時には重要であり必要なことです。

 ※一般的にそれをマニュアルというのではないかと思っておりますが。

 

しかし、人は怠惰で弱い生き物ですから、いずれ府の習慣が顔を出し楽な方向へと流されれる。。。そうなる前に(マニュアルに沿って行動する中で)心が鍛えられる必要がある。

そういうことだと思うのです。

 

センスは育つか。。。

さて、私達はまだWating Spaceに通されただけなのですが。。。

ここで、ひとつ問題提起!

「素晴らしいことを直感的に『素晴らしい!』と感じることができるセンス」

私たちは、日常的にこのように感じることができる「センス」を持っているでしょうか。

 

このセンスがあれば「人間力の成長」に限界はないと思うのです。

その「センス」を育てるためには「素晴らしいもの」に触れ、感じる機会が必要。

その機会は、高級なものの中にのみあるものではなく、ごくごく日常にもたくさんあふていているのです。

 ※本ブログに登場する、社食やSバックスがその一例

 

しかし、そのセンスが成長段階にある時期は、圧倒的なホスピタリティに触れる機会を設けることで「センス」を喚起することも時には必要。

今回の研修は、そんな趣旨も含んでいるのです。

 

さてさて、本研修の本題はこれから。。。

一流のホスピタリティとは何か?

コンシェルジュ達は、この後さらに何を感じたのでしょうか。。。

 

ガーベラピンク

この続きは、次回と致します。

リーダーになるひと、名前だけリーダーのひと

何処にいても、誰といても、たとえ自分一人だったとしてもリーダーシップは重要です。私たちは自分のリーダーだからです。

四人の人の物語

 

みなでやらなければならない

重要な仕事があった

誰かがきっとやるだろう

と皆が思った。

誰でもやることができただろうに、

だれもやらなかった。

皆の仕事なのに

と誰かが腹を立てた。

誰でもやれることだと

皆が思った。

しかし、誰もやらないだろうとは、

誰も気づかなかった。

誰かに頼んだ人は

誰もいなかったのに、

最後にはみなが誰かのせいにした。

(引用:新将命「経営の処方箋」)

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程度の差こそあれ、よくある話だと思いませんか?あなたの組織ではどうでしょうか?

誰かのせいにしていませんか?

同僚のせい?

上司のせい?

組織のせい?

患者さんのせい?

 

その原因は何でしょうか?

残念ながら、どのような言い訳をしてもその責任はリーダーにあると言わざるを得ません。

 

自分を蚊帳(かや)の外に置く至福

 

でも、ここだけの話、人のせいにすると楽でいいですよね。

「だって私は関係ないもーん」「私は悪くない」「上司が悪い」「部下の能力がない」「組織が悪い」と理由をつけて涼しい顔をしていられますから。

いやはや、不謹慎な話ですが。

 

しかし、逃げ回っているうちに最終的には付けが回ってくることになり、楽した分だけ損をするのですけどね。

 

そして、人に依存し責任を取ろうとしない人は、そのうちに誰からも当てにされなくなり、それこそ組織の蚊帳(かや)の外です。

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さて、話を元に戻すと各部門のリーダーが、部下に対して率先垂範し主体的な行動をとっていれば自ずとこのような事にはならないでしょう。

 

私たちのクリニックではいつも参考にしている本があります。「7つの習慣」です。

その中の「第一の習慣 主体的である」という項目があります。

著者のコヴィー博士は、仕事でも人生においても、よりよい結果をえるためには、最初に主体的に行動することが必要と指摘しています。

確かに職員一人一人が主体性を発揮すればこのような事態は避けられるでしょう。

しかし、言うのは易し、本質的に組織に根付かせるのは根気がいることです。

 

本当に大事な事は実行されないという事実

 

組織の変革は一朝一夕にはできません。

それは、透析施設でも同じです。

 

先ほども言いましたが、根気のいることですから、どうしても後回しになってしまいます。

人は目の前にある仕事、急いでいる仕事を優先してしまいます。

日常の忙しさにかまけているうちに

だんだんと忘れてしまいます。

本当に大事なことを忘れ去ってしまいます。

放置してしまいます。

本当に大事なことが放ったらかしになってしまいます。

 

各部門のリーダーが後回しにし、わかってはいるものの誰かがやるだとうと思ってしまいます。

 

だから行動が起きません。

 

行動が起きないので、何も変化が起きません。

 

その結果、1月前、半年前と何も変わりません。

 

そして、ある時、変化が起きていないことに気がつきます。

 

その理由を探し始め、リーダーは他のリーダーのせいにしはじめます。

 

アレレ!これどこかで聞いた話し!

そう先ほどの「四人の人の物語」

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ウーん、ここに「わかっちゃいるけど出来ない」といったパラドックスの構造があります。

ああ、リーダーシップとはかくも難しく、忍耐が必要なものです。

 

少なくても、第一の習慣だけでも忘れないようにしたいものです。