田端駅前クリニックスタッフのブログ

Category Archives: 透析医療の方針

私たちの医療に対する姿勢や価値観について

真夏の夜の虫たちの饗宴

東京湾花火大会の夜

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8/8(土)は、ここ数週間では珍しく、朝からお天と様が雲に隠れ、蒸し暑さはあまり変わらないものの、ジリジリと焼けるような暑さは和らいだ。
新橋界隈では、夕刻浴衣姿の若い女性をちらほらみかけたが、その日は東京湾花火大会があったようだ。年をとると、夏は苦痛であるが、若者には開放的な夏が必要なのだろう。
ま、夏がないと、アルプス登山もかなわないとすれば夏もいたしかたないということか。
もっとも、35℃以上が常態になるような酷暑は勘弁してほしい。

田端に虫の音が響いた

田端でもここ数日間にくらべ(この間の不快指数があまりに高すぎたというべきだろうが)しのぎやすく感じられた。
夜が更けると、虫の声が聞こえるではないか。
季節的には立秋で、さすがに昔の人は偉いものである。

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このまま、秋らしくなってほしいものであるが、おそらくはそうは問屋はおろしてくれないであろう。

恋の季節の到来か

しかし、やや気温が下がったその一瞬の間に、虫たちが我が秋を謳歌するという、この用意周到さはどうだろうか

秋に鳴く虫たちの一生を見てみると、(小学生の頃の理科の課題研究のようだが)
夏の終わりから秋にかけて繁殖、産卵をする。
厳しい冬の間は、土中や木の中で卵で過ごし、春から夏になると羽化し成虫となって活動する。

鳴き声は秋の産卵に向けてのオスの縄張り示威とメスへの求愛行動のようである。早い者勝ちというのもあるだろうから、やや涼しく感じられる一瞬の隙も逃さず泣いているのかもしれない。

人の社会もよく似たようなもので、盆踊りとか夏祭りは、忙しい収穫の前の農村社会における「無礼講」のようなもので、若者にとっては、大切な恋の季節ということになる。

人の世界は、恋の季節などとオブラートに包んだ麗しい呼び方をしているが、生き物にとっては、厳しい(遺伝子の)生存競争である。

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*なんていう虫か知りませんが・・なんかかわいい

それは厳しい生存戦略だ

企業の事業戦略では、機先を制し、いち早く世の中に新しいサービスや物を提供することが、常に勝つために重要であるとは限らない。
まだ元気のあった頃のソニーは、現在アップルがi-podで作り上げたようなネットによる音楽配信モデルを、アップルに先駆けてウオークマンを使って可能にしていたし、アイボという犬型ロボットをいち早く社会に投入したりした。常に一歩先の技術開発を行い注目を集めていた。

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しかし、時期尚早であったのか、事業戦略がうまくなかったのか、いずれの事業も大きな成功を収めることができなかった(アイボの事業は売却されている)

患者さんが、自らふさわしい医療機関を選択できるようにーOasisの願い

当院でも、透析患者さんが自らのライフスタイルにあわせて、もっとも望ましいと思われる透析施設やサービスを自分で選択できるよう、早くからインターネットを通じてオープンな情報提供をおこなってきたが、その効果が現れるまでには一定の期間を必要とした。

さて、早鳴きのコオロギたちは、首尾よく子孫を残すことに成功するのであろうか?

はて、早鳴きのコオロギたちは、その早鳴き戦略によって子孫を残すことに成功した物たちの子孫なのかもしれない。

しかし、それもいつも成功するとは限らない(かもしれない)

早鳴き行動は、遺伝特性として彼らの遺伝子に刻まれているのであろうか?

秋よ来い!

昼間は相変わらず蝉の声、夜は虫の声と、ここしばらくは一日中賑やかな日々が続くのであろう。

何れにしても、早く虫の音がふさわしい季節になってほしいものだ。

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MISS THE LAST TRAIN AND GET SOMETHING

旅行透析と「透析患者.COM」

当院では透析患者さんが、出張や旅行でご利用いただけるよう臨時透析に力を入れている。
臨時透析をネガティブに考える施設も多いようだが、「患者さんにアクティブな生活を送っていただきたい」という思いとポリシーに基づいて運営している。
同じように、臨時透析患者さんを受け入れている全国の透析施設は、「透析患者ドット・コム」から検索可能である。www.tosekikanjya.com/

新潟県に足を踏み入れる

振り返ってみると、仕事やレジャー、野暮用などでいろんなところへ行っている。全国の都道府県のうちまだ足を踏み入れたことがないのは(バスや列車での通過もありとして・・)、沖縄県、新潟県、秋田県、青森県、茨城県であったが、先日、幸か不幸か止むを得ず新潟県に足を踏み入れることになってしまったのである。

夏の谷川岳

先週末は、都内にいても灼熱地獄で早朝から谷川岳に退避した。2千メートルの頂上付近は、ガスで覆われていてさすがに涼しい。
谷川岳連邦の最高部の峰々はちょうど群馬県と新潟県の県境を形成している。
JR土合駅に降りて登山口まで約30分の道のりを歩く。
標高800mあたりはさすがに暑く、夏の日差しが照りつけ厳しいスタートとなった。

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これほんまに登れるのかいな

さすがに真夏の中程度の高度の登山は厳しく、体力を消耗し、コースタイムを大幅にオーバーしてしまった。
上り列車が18時台にもあることは確認していたが、昨年6月の下山時刻が16:00だったので、さすがに18時までには降りてこれるだろうという楽観と、まさかこれが最終とは思わない甘さから悠然と構えていた。なんといっても上越線である。

頂上から少し下るとガスもなく、眺望もよく、涼しい風にあたりながら「おーい雲よ!』とのんびりしていた。

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天空のお花畑(横向きですが・・)

 

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マチガ沢には、まだ大きな雪渓が残っており雪解け水がゴーゴーと流れている。
下山してマチガ沢で、冷たい雪解け水で体を洗い一息つく。

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谷川岳の勇姿に別れを告げる。

MISS THE LAST TRAIN

と時計をみると18:00近い。

あわてて土合駅にむかう。

土合駅にたどり着いた時には、列車もすでにホームにいる。
駅舎までには、やたらと広い空き地があってとても間に合わない。

駅にたどり着いて時刻表をみると、上り最終 18:19となっている。
あとは下りが1本だけ、20:51とある。
やれやれである。

おーい雲よ、新潟県よ

まずは、自販機で飲み物を確保し喉を潤す。残念ながらビールはない。
スマホの電源を入れて、時刻表アプリを立ち上げ田端にたどり着けるか確認する。
最終の下りで越後湯沢まで行って、上越新幹線の最終東京行き「たにがわ』に乗れば、OKである。助かった。

というわけで、期せずして新潟県に足を踏み入れることになってしまったのだ。

さて、さっきから不思議に思っていたのだが、駅の待合室に1人の男がいる。列車が行ってしまったのに悠然と構えている様子なので、「おたくもさっきの列車に乗り遅れたのですか」と聞いてみると、今夜はこの駅に泊まって、明日早朝3時に出発し、谷川岳に登ってからピークハントし新潟県の苗場に降りるというツワモノである。

お互いにすることもないので、駅舎の玄関にある階段に腰をおろし、ぼんやりとくれゆく空を眺める。カジカの鳴き声と沢の音に癒されながら、山の話で盛り上がる。

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地中深くにある土合駅ホーム

そもそもこの土合駅は変なところである。
上りのホームは駅舎に連続して地上にあるが、下りのホームは、遠く離れた地下深くにある。スカイウェイで国道をまたぎ、そこから500段近い階段を下ったところだ。

エスカレータもエレベータもなく、途中に申し訳程度にベンチが置いてあるが、登山客以外は利用しない前提としか考えられない。
当然無人駅である。改札口には、「上りのホームは、480段の階段を降りたところにあります。ホームまで10分程度かかりますのでお早めにホームにお越しください」といった内容が掲示されている。

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新潟県に行ったは良いが、車窓から見えるけしきは真っ暗で味気ない。

機会があれば苗場山(新潟県越後湯沢)の頂上でゆっくりと日の出・日の入りを拝み、新潟県を満喫したいものである。

りんご

りんご

赤いりんご

美しいりんご

手のひらに乗せると

冷たいりんご

ずっしりと重いりんご

毎朝かぶりつくりんご

甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる

美味しいりんご

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偉大なりんご

今日の科学文明の種となったりんご

戦後の日本人を励ましてくれたりんご

pop musicの神様を世界に羽ばたかせた りんご

世界中をつなぐかじられたりんご

偉大なりんご

りんごがなければニュートンの第一法則は発見されず

”りんごのうた”がなければ、今日の日本の発展はなかったかもしれない。

歯周病の検査にも使われている

・・りんごをかじると血がでませんか?

そもそも

アダムとイブの時代から”りんご”は禁断の果実であった。

それでも、僕には美味しいりんご

今日銀座で出会った APPLE

Apple Storeかとおもったが、google mapではギャラリーと表示されている。

りんご

よく見ると、かじられていない”りんご”だ、中に入ってみると”ken miki design works”の展覧会

そこは「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」であった。

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世界一のりんご研究者を目指す 三木健 のりんご観察とデザインの世界

美味しい、偉大な だけでなく 楽しく 美しい ”A ha!”な りんご たちがあった。

りんごについてのイメージを広げるマインドアップル(マップ)

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りんごのパーツいや失礼、そこのは未来のりんご、りんごの木が詰まっている、そうりんごの種

りんご のコピー 2.001

りんごの種の形、その流線型の美しさを意識したことはなかった。

りんごの色

もしもりんごがクロだったら

とても食べたいとは思わない。

アダムとイブは楽園を追放されず、キリスト教世界は存在しなかったかもしれない。

パンフレットには、・・・デザインは単に「見える化」することじゃない。何かが「見えて来る化」すること。「気づきに気づく」デザイン・・と記されている。

ハッピーなひとときであった。

透析クリニックの運営も「気づきに気づく」ことが必要かもしれない。

人間ドックの巻(その2)

(前回からの続き)

ああ、地獄の内視鏡

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診察台に横になると女の医者は、「それでは始めますよ」という

と内視鏡を開始しました。

のどから管が通っていく、内視鏡が入っていその実感を分かって

もらえる人もいるかと思います。

内視鏡が喉に通過するか否か。この時にすでに私は猛烈な吐き気

をもよおしていました。

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ」

苦しいその時に

「少しは静かにしてください」看護師に言われ、

「おいおい、それどころじゃない」と思いながら、喉に内視鏡が

通っているために、何も反論できずただ冷や汗が額を流れまし

た。

苦しさのあまり目から涙、口からは涎、しまいには嘔吐の連続で

した。

意識がもうろうとする中、これがどれだけ続いたのでしょうか。

私には時間の流れがわかりませんでした。

頭はもう思考能力が停止状態でしたが、しばらくすると冷静さを

取り戻し、そのうちに少し慣れてきたようです。

医師は「もう胃に到達していますよ」と言うと内視鏡の先端を

胃壁につけはじめました。

そしてそのまま胃壁に内視鏡の先端が当たったまま、グルっと

一回転させたのです。

「いててててててて」

「何てことすんだ」

こう思いましたが当然声にはならず身体中が緊張しました

しかし医師は、私のこの反応に我慢ができない患者だ、と思った

のでしょう。

「少し我慢してください」

と冷たく言い放ったのでした。

痛さを我慢して、苦しさを我慢して、鼻から鼻水、目から涙、口からヨダレ、お腹の痛みを抱えながら、内視鏡は終了しました。

もはや、体の力は残っていなく、ふらふらと診察台から降り、

診察室を後にしました。

それから、どうしたのか?私の記憶が消されていました。

これが私の内視鏡の初体験でした。

それ以来、内視鏡は絶対やるものかと心に決めていました。

その大病院の若い女の医師は、おそらく内視鏡のベテランではなく、

経験をこれから積んで習熟するために、経験を積んでいたの

でしょう。

その後、新聞紙上で内視鏡により、胃壁に穴をあけ、患者が重体

になるという記事を読んだのでした。

もしかして、私も医療事故の犠牲になっていたかもしれないと

思うと背筋が寒くなったのでした。

基幹病院での内視鏡の経験は10年前、こうして私の中に恐怖の記

憶として刻み込まれたのでした。

人間ドックの巻(その1)

苦しい時の神頼み!

 

先日、久しぶりに人間ドックに行きました。

実は、胃の内視鏡が大の苦手です。

そのために、最後に健診をしたのが3年前。

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「そんな間あけたら意味無いじゃん!」と突っ込まれそうですが、いや本当に内視鏡嫌なんです。

人間ドック嫌いは思い起こせば、10年程前の事です。大手の病院で人間ドックを受けたことがあります。

その時、基幹病院なので熟練した内視鏡の医師がいて、きっと苦しくないのだろう?と

思い、うけることに。

「大きいことはいいことだ」は誤り

これが間違いの始まりとは知らず、勝手な思い込みで涼しい顔をしていました。

着替えを終えて内視鏡室の前の待合室のベンチに。既に4人の男性がベンチにこしかけていました。

しばらくすると、看護師がきました。

凛としたというか、事務的というか、冷たい感じの看護師でした。手には、小さなカップ持っていて

それを渡されました。

そのカップの中には少量の液体が入れてあり「この薬を口に含んでください」と指示されました。

少量を口に含むと何か苦い味がしました。そして、しばらくすると舌や喉がしびれてきました。

「ああ、これ麻酔だな」と素人でも判りました。

「それでは、順番にお呼びしますからね、ここでお待ちください」と看護師は処置室に入り

待合室で待たされること30分以上。私は最後の5番目でした。

そうか、5番目かと思い自分の番が来るまで待っていました。

そのうちに、時間がたつにつれ次第に舌や喉の痺れがなくなってきました。

人生最大の過ちとは?

(おいおい、麻酔が切れきているけど、このままで大丈夫か?)と不安がよぎりました。

ここでも、きっと大病院、基幹病院だから大丈夫さと高をくくっていました。

しばらくして、4人目の患者さんが終わり看護師に呼ばれ、私の番です。内視鏡室へ。

部屋の扉を開けると若い女医が待ち受けていました。

(おいっ、この出立ちは何だ?)

上半身はナイロン製の前掛け。顔にはゴーグル、手はグローブという出立ち。

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嫌な予感がしました。

もしかして、検査中に嘔吐物が多いために、防御のために全身をおおっているのでは。

という予感がしました。まさかその時にこの予感が的中すると思わずに、言われるままに診察台に横になりました。(続く)

大江戸新宿人情長屋のザ・サードプレイス

暮らしの保健室に感服

最近、久しぶりにテレビを見ていて、感動した。

先般NHKスペシャルというTV番組で、新宿の団地にある秋山正子氏主宰の「暮らしの保健室」が紹介されていた。

ご覧になられた方も多いのではないだろうか?

絶妙の距離感と包容力でお年寄りに寄り添う看護師さんには感服する。

通帳がいつものところにない(そもそもいつものところがわからなくなっている)と言って1日に何回か訪れるおばあさん。

そうね、一緒に探しましょうねと言って訪問し、「あったあった、良かったわね」と安心させる。

おばあさんは、狐につままれたような面持ちである。どうなっているのかわからないのである。

 

受容する力

これまでの長い人生の過程で、努力してスキルを獲得する、慣れて当たり前のこととして気が付かずにこなしてきたことなどが、できなくなっていく、剥がれ落ちていくプロセスを自分自身で目の当たりにして、一体どうしたのか、これからどうやっていけばいいのか途方に暮れている。

 

しかも、努力すれば何とかなるというものでもない。

受け入れる、受容するしかないのである。

このことはいつかだれにもやってくる、この私にも・・。

秋山さんは別のところでもこう語っている。

近所のお年寄りの方が、ちょっとした忘れ物をする。認知症がはじまったかと不安になって、大病院の精神科を受診する。

慣れない旅程をバスに乗っていき、長時間待たされ緊張を強いられ、より一層不安になる。

診察する医師は、検査結果とご自身(医師)の専門領域のところしか診ないので、向精神薬を処方する。

処方された向精神薬が原因で、調子がおかしくなっていく。悪循環が始まる。

新宿人情長屋のザ・サードプレイス

日常のなかで、ちょっとした不安があれば、立ち寄って気楽に相談できる、同じような仲間が「そうそう、私もそうよ。いやになっちゃうけど仕方がないわね~。」といって安心できる場がコミュニティにあると、より多くの高齢者が地域の中で何とか自立して暮らしていけると。

透析患者さんの気持ち

透析患者さんは、身体機能としてではあるが、透析の導入にあたっては、相当厳しい現実を受け止めてこられたのではないだろうか。

その具体的な経緯が患者さんのブログに記されており(http://透析患者ブログ.com/)、その一端を垣間見ることができる。

なんで自分が・・・、自分だけは治るはずだ・・、そして身体的な苦痛、精神的な大きな負担、

現実は言葉で表現されている以上のものであったと思われる。

当透析クリニックに通院していただいてる患者さんも、このような現実を乗り越えられているのであろう。

当院のスタッフは、このようなことを理解し、また、組織一丸となって、少しでも患者さんに活き活きとした生活を送っていただけるよう努力を続けていきたいと考えている。

ミミズの振り見て我が振り直せ

週末には、時々荒川河川敷をサイクリングしている。川沿いのサイクリングロードはほとんど日影がなくじりじりと太陽が照りつける。夏場は注意してこまめに水分をとならいと、干からびてしまう、熱中症には要注意である。(写真は丹後半島から見下ろす天の橋立)

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朝、荒川を上るときはそれほどきつくはないが、たいてい向かい風である。

しかし、午後の帰りも(下り)なぜか、これは厳しい向かい風となる。理不尽さを恨みながら、海風、山風なんていうのがあったことを思い返し、諦めてひたすらペダルをこぐ。

勢いうつむき姿勢になり下に目をやると、なにやら得体の知れないものが・・。

よく目を凝らして見てみると、ミミズが干からびてあちらこちらに。

実際に、路上には、ミミズたちがあちらこちらに干からびている。

その時、私の脳裏をよぎったのは、「やばい、熱中症になったら自分もミミズと同じ運命をたどるかも」同じようにならないようにしなければならない。

ミミズの成れの果てを我が運命に照らし合わせた、瞬間であった。

ミミズたちの受難の旅

しかし、???

常日頃湿気の多い土中に生息するミミズたちが、この炎天下にアスファルトの路上に迷い出ているのはなぜなのか・・大きななぞである。

などと、大きな生物学的謎と格闘していると・・・大きな水たまりに突撃し、全身水しぶきを浴びてしまった。

干からびることを心配していたが、全く逆であった。「とほほ」

本当にみずたまりでよかった。危ないところであった。

夏のサイクリングは、向かい風、熱中症(干からびミミズにならないように)に気を付けて、

そして生物学的夢想(というとカッコイイが余計なことは考えず)に引き込まれず、しっかり前をみて安全運転で行かなければと改めて思ったのであった。

グレートジャーニー 人類の旅

 

昨年、国立科学博物館で「グレートジャーニー 人類の旅~この星に、生き残るための物語」という展示があった。残念ながら観ることができなかったが。

紹介文によると(展覧会HPより抜粋編集)

アフリカに生まれた人類は、長い年月をかけ、進化をしながら世界中に拡散していった。このことを、イギリス人の考古学者ブライアン・M・フェイガンは「グレートジャーニー」と名付けた。

700万年前の人類誕生から説き起こし、人間が住むのに決して快適ではない地域(熱帯雨林、高地、極北、乾燥地帯)で人はどうやって生きてきたのか。

地球上の様々な環境で今も暮らす人々の生活を紹介することなどにより、その土地ならではの「生きる知恵」と「文化」を見て、「人間の生きていく強さ」を再発見し、そこから人類と地球の未来を考えていただこうという壮大なコンセプトに基づくもの

ということで、非常に興味深い。ご覧になられた方も多いのではないだろうか。

彼ら(ミミズたち)も人類と同じ行動をとるとしたら・・・

新天地を探し、そして壮大な進化の旅をしているのかもしれない。

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我々のグレートジャーニー

当田端駅前クリニックの「マネージャー」は、

「私たちは徹底した患者さん指向」で「挫折を繰り返しながらも前を向いて考える、行動を変える、そして望む結果を得る、これがこのクリニックの考え方です。」と語っている。

当院も、透析患者さんに良質なサービス提供し満足してもらえるよう、グレイトジャーニーを歩んでいるのだ。患者さんのためであり、同時に当院の生き残りのためでもある。

ミミズのようにひからびないように・・、注意深く、かつ、果敢に

 

映画のおと

映画って本当にいいもんですね~

田端駅前クリニックでは、患者さんの時間を大切にし透析中の時間を、できるだけ有効にまた楽しく過ごしていただこうという目的で、VOD(ビデオ・オン・デマンド)で透析中に映画を楽しんでいただいたり、インターネットを利用していただいたり、お仕事ができる環境を用意してる。

これは、数ある透析施設の中でも当院が最初に手がけた事であると自負している。

その根底には、患者さんにとって透析は治療であると同時に、日常生活の一部であり、少しでも快適かつ有意義にこの時間を過ごしていただきたいという思いがある。

特にVODは比較的早く最新作が観れることもあって、患者さんにも好評のようである。

「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」・・・

しかし、最近のアメリカ映画の大半は、アクションと爆発の連続で、上映中ずっと爆音と大音量の音楽が鳴り続け、早い画面展開で緊張を増幅している。観客を高度の興奮状態にすることが、興行収入を上げることに最も効果的であると考えているように思われる。

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舟を編む

邦画はそれほど騒々しくないが、三浦しおんの原作を映画化した「舟を編む」は、明らかに趣が異なっていた。映画音楽は相当控えめである。

ストーリーには言及しないが、音楽の代わりに立ち現われてくるのが音そのものである。

松田龍平と宮崎あおい演じる夫婦が、二人で小さな食卓で食事をする。箸を並べるおと、そばをすするおと、こんにゃくをかんで飲み込むおとなど・・、たしかに、実生活は大げさな効果音や音楽ではなくこのような音とともにある。

ただ、控えめなはずのこれらの音が、少し前に出すぎて不自然になってしまったことは残念だ。食事の場面では、ゴクリ、ごくりとうるさいのである。自分が飲み込むおとは自分の耳に響いても、他人のそれはあまり聞こえないはずなのだが・・

しかし、最後に小さくなった(本当に小さいです。)八千草薫が、にこやかに、そして、心から発する 「ありがとう」 はいい。これほど価値のある 「ありがとう」 はしばし、聞いていないような気がするくらいだ。

すみません。映画を見た人しかわかりませんが・・・

音を削る大切さ

1996年に亡くなった作曲家の武満徹は「映画音楽 音を削る大切さ」というエッセイを残している。

彼は、映像には、映像でしか表現できない素晴らしい音、音楽があり、映画音楽がそれを殺してはいけない・・といったたぐいのことを言っている。

こういう話をハリウッドの監督や演出家にしても、「たくさん音楽が入ればはいるほど、お前のフィーも上がっていいじゃないか」と言って取り合わないのだそうだ。

ハリウッドらしいけれど、映画の本当のよさがわからないこんな映画人とは一緒に仕事はしたくない、と言いそうであるが・・

さにあらず、全く考え方の異なる人たちとのこんな協働作業を刺激的で楽しいと語っている。こういう闊達なやりとりと孤独な作曲の作業とのバランスをうまくとっているようである。

戦後アメリカの進駐軍からジャズを吸収し、独学で音楽を学んだ、そして、映画音楽や難解そうに聞こえる現代音楽の領域では、日本人では数少ない、世界に知られた作曲家武満徹、このしなやかさが魅力的な音楽を生む秘訣なのかもしれない。

真剣に考えてみましょう!!!!!!

このクリニックのコンセプトは、徹底した患者さん指向。

「言うのは易く行うは難し」ということわざの通り、簡単な事ではありません。

しかし、私たちは挫折を繰り返しながらも前を向いて考える、行動を変える、そして望む結果を得る、これがこのクリニックの考え方です。

実は、大声では言えませんが、このクリニックのコンセプトの中に、サードプレイスという考え方があります。

皆さん既にご存知の方もいると思います。

この「サードプレイス」、実はかの有名なスターバックスのコンセプトです。

スターバックスでは、自宅が人と人がふれあう第一の場(ファーストプレイス)。

 

職場を第二の場(セカンドプレイス)とするならば、カフェ(スターバックス)を第三の場所(サードプレイス)と重要な時間と機会の場と位置づけているとのことです。

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よく考えてみると、週に3回4時間以上もクリニックで過ごす患者さんにとってはクリニックこそが大事な第三の場所(サードプレイス)であるはずです。

そこで過ごす4時間が生きた意味のある時間になるか、苦痛や絶望、そして諦めの時間になるかでは、患者さんの人生に大きな違いが生まれるのではないでしょうか。

 そうです。私たちが考えている事とスターバックスが考えている事が大変似ていましたので、使わせていただくことにしました。

カミングアウトします。真似させていただきました。

 

特にこのクリニックでは、仕事を持たれているビジネスマンの方が多くいらっしゃいます。

その方々が、元気を取り戻し、また仕事に家庭に充実した時間を使っていただけるよう、お手伝いが出来ればどんなに素敵な事でしょう。

患者さんは、平均月に50時間以上クリニックに滞在しています。

この時間は人生で貴重な時間になるはずです。

この時間という限られた、しかし誰にも平等に供される時間という資源を患者さんに有効にそして心地よく使っていただく事が出来ればそれが私たちの望みです。

 私たちは、異業種であれ優れた考え方であれば躊躇無く取り入れる姿勢を貫こうと考えています。

(物真似を正当化するわけではありませんが)

 

重要なのは、それが患者さんのためになるかどうかが、全ての判断基準です。

医療は万能ではありません。

だから、私たちが学び続ける事、行動を起こす事、変革をもたらす事、が重要だと考えています。

 

サードプレイスを掲げている私たち職員がどのような考えで日々過ごしているのか?少しずつ発信をして行きたいと思います。

出来るだけ飾らず、率直に書き綴りたいと思います。