田端駅前クリニックスタッフのブログ

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運命かシュレディンガーの猫のいたずらか

ふたたび「おーい雲よ」

都心で暮らしていると、列車を待つこともない。次から次へとやってくる列車に飲み込まれ、ローラコースターに乗ったように運ばれていく。
もっとも人混みで埃と暑さでむせかるようなホームで待たされるのは地獄の沙汰だ。

このような日常に慣れてしまった身に、前回コメントしたような、何をする術もなくのんびりと山の端が紅色に染まっていくのを眺められるぽっかりと空いた時間は至福の時である。蚊の大群が襲ってこなければもっと良かったが・・
まるで望んで列車におくれたのではないかと、自分を疑いたくなる気分だ。

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ついてない!しまった!というよりも、半ば諦めつつ、喜んでこの状況をうけいれたということかもしれない。

不運の星か、運命のいたずらか

もしこれがもっと重大な事態ならどうであろうか?
また、そんなことが続いて発生したら

運命や、神様を恨むかもしれない。

この運命というものは一体なんだろうか?、存在するのであろうか?

招き猫ならよいが、シュレディンガーの猫

このことに示唆を与えてくれるのが、シュレディンガーの猫である。

猫といえば運を託すありがたい招き猫があるが、そうではなく、運が悪ければ毒ガスで殺されてしまう、儚い運命の猫である。

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高名な理論物理学者は、凡人には到底理解できない想像の世界を旅する人で、その思考はきわめて哲学的である。
アインシュタインと並ぶ(功績でいえばそれ以上の)理論物理学者のシュレディンガーは、目で見える世界を記述するニュートン力学(古典力学)に対し、ミクロな世界を記述する「量子力学」を確立した人である。
この量子力学が、現代の科学技術の楚になって、我々はその成果を享受している。

ミクロの世界の運命に翻弄される猫

ミクロの世界は、当然のことながら目に見えない世界である。仙人は姿をくらますことはできても、目に見えないミクロの世界は想像だにできない。
シュレディンガーが量子力学について考察した思考実験に「シュレディンガーの猫」というのがある。量子力学では、粒子の存在場所は決定されておらず、存在の可能性が確率的に表現される。いろんな可能性があるということだ。

粒子がある場所に来れば、毒ガスが発生し、そばにいた猫が死んでしまう。理論的には、猫は生きる可能性も死ぬ可能性もあるわけだが、実験結果は生きるか死ぬかのいずれかに決まってしまい、可能性を表現することができないという矛盾である。

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いろんな可能性があるのに、実験をした途端にいつも決定したことしか観察できない。決定されたことがいわゆる運命になってしまうということだろう。

さすらいのギャンブラー

要するに人生は確率、すなわちギャンブルのようなものである、ということではないか。
たとえば、遺伝、これこそまさに確率である。
しかし、ギャンブルに強い人はいるもんだ。それは相当に入れ込んで探求している。すってんてんになっても次にかけるのだ。

試験も同様に、合格する人はそれなりに努力している。しかし、努力すればかならず合格するとは限らない。確率は高めることができるが、しょせんは当たるも八卦である。そしてまた次のギャンブルへ・・

仙人ごときで人生を語るにはおこがましいが・・

「柿の種」の猫

ノーベル物理学者の朝永振一郎を育てた、日本の物理学者に寺田寅彦がいる。物理学者であると同時に第1級の随筆家である。「柿の種」という随筆集を紐解いてみるとやはり「猫」が登場する。

猫が居眠りするということを、つい近頃発見した。
その様子が人間の居眠りの様に実によく似ている。
人はいくら年を取っても、やはり時々はなにかしら発見をする機会はあるものと見える。
これだけは心強いことである。

「柿の種」寺田寅彦著 より

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寺田寅彦は、私生活ではかならずしも幸福とは言えなかったようだ。一人目の奥さんは、ちいさな子供を残し若くして結核でこの世を去っている。感染を恐れた寺田の実家は、二人をひきはなし、寺田は妻の死に目にもあえていない。

フィジ・ガールの出番ですよ

さて、最近は山ガール、歴女、宙ガール、理系女などと女性がブームを作っているが、次は物(物理)女(フィジガールとでも呼ぶのだろうか)の番であろうか?

おっと、今回もまた、透析とは関係のない話になってしまった。

ごめんなさ〜い。

世界を翻弄するギリシャの悲劇と政治の喜劇

「ゆめてれ・ぽぽら」をヨロシク

透析患者さんは、週3回、計12時間以上を透析に費やしている。当院では、この時間を活用できることが患者さんにとって重要なことと考え、「ゆめてれ・ぽぽら」のサービスを無料で提供している。

TVやホテルなどで利用されているVOD(ビデオ・オン・デマンド)、インターネット検索、フェイスブックなどが利用できるタッチパネル式のテレビモニタで、地震を敏感に察知し、患者さんに冷静に対応するよう注意を促すシステムを兼ね備えている。
「ぽぽら」はより「ぽじてぃぶ」に、 より「ぽっぷ」に、 より「らくちん」に、という思いを込めて名付けられたが、イタリア語で「みんなの集まる広場」という意味もあるそうだ。

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時代劇ライムライト

さて最近では水戸黄門が終わるなど、TV番組から時代劇が消えつつある。大河ドラマやNHKのシリーズが細々と放映されているくらいか・・、こういう状況を元に制作された映画に「太秦ライムライト」がある。主人公は、いつもはセリフもほとんどない斬られ役の殺陣師である。活躍の場がなくなっていく映画・TVの世界に生きる昔気質の芸人の悲哀を描いている。

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この映画は、時代劇とは縁遠いハリウッドの映画学校で学んだ新進気鋭の若手日本人監督と、アメリカ人カメラマンが、時代劇の殿堂、太秦に乗り込んで撮影したものだ。

桜吹雪か 印籠か

この映画については、またの機会にするとして、時代劇によく登場するシーンを思い出して欲しい。
母一人子ひとりの貧乏な一家が貧乏長屋で暮らしている。母親の内職でなんとか暮らしていたが、病で伏せってしまった。そこへ、高利貸しが薬代のための借金の取り立てにやってくる。
この高利貸しは、ほかでも悪代官と結託してさらに暴利をむさぶっている。
最後は主人公が、この高利貸しを悪代官をカッコよくやっつける勧善懲悪劇である。

貧乏長屋のかわいそうな家族と時代劇のストーリーはあまり関係ないが、このシーンが高利貸しの悪人ぶりをより際立たせる。
そう、お金を借りて返さない方ではなく、貸した方が悪者なのだ。
こんなに困っていて、払いようがないのだから、金持ちの方が折れて大目に見てやれよというのが庶民感情だ。

同じように落語によく登場する場面を思い出してみよう。ノーテンキで怠け者、おまけに酒付きでお調子ものの店子が、すっとぼけて家賃を払わない。大家は何度も家賃を取り立てに来るのだが、ちっとも話がかみ合わない。ここでも大家は負けている。

ケチでも「貧乏長屋の花見」くらいのほうが愛嬌があってよい。

聴衆は貧乏な庶民の味方である。

ギリシャの丘に桜吹雪はにあわない

さて、ギリシャがユーロから離脱するかどうかを巡って、世界が(かどうかはわかりませんが、少なくとも日本では多くの特集や報道があった。)注目したギリシャの国民投票は、大方の予想に反して、緊縮財政を受け入れないというものだ。

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ギリシャ国民の意向は、ユーロは離脱したくないけれど、緊縮財政はまっぴらというもの。それはそうだけれど、それは都合が良すぎるだろう、と言いたいところ。

借金をしておいて、返さない。しかも自分たちの生活が悪くなるのはまっぴらで、やや怠け者に見える(あくまでも個人的な印象です。失礼)ギリシャ人はけしからんと思う人もいるのではないか?実は仙人もそのように思っていたのだが・・・

問題こそが商機の専門家たちの太刀周り

国民投票の前日には、TVの特集番組が組まれ、国際経済、ユーロ経済、ユーロの政治、ギリシャ現代史などの専門家が議論していた。いくら議論が白熱しても、結果は遠く離れたギリシャの国民に委ねられ、結果とはなんのかかわりもござんせんが
彼らの中に、単純にギリシャを避難するものはおらず、歴史的経緯や、それぞれの専門領域での現状分析を踏まえ、どうすればよいかという答えは見つからないにしろ、一定の借金棒引きをしてギリシャが立ち直れる道筋をさがすというのが大方の意見であった。

チプラス首相が、決定を国民投票に委ねたことに、日本では無責任政治と一部避難もあったが・・
直接民主主義発生の地、ギリシャでは当然のことで国民にとって違和感はあまりないという見解
安全保障関連法案を採決した日本の政治よりましか・・

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一定の借金棒引きは仕方がない。
ない袖は振れないし、苦境に追い込むと何をしでかすかわからないし、そもそも借金のかたに国を占領することはできない。第一次世界大戦後の過大な債務負担がドイツにおいてヒットラーの台頭を許したという経験から、第2次世界大戦の戦後処理について、日独伊の3国に対しては比較的寛大な措置が取られたという歴史的事実もある。
本来ならもっと早い段階で一定の借金棒引きがあっても良かったが、リーマンショック後の混乱で、欧州中央銀行にもそのような余裕がなかったというのが大方の認識で、何れにしても、ギリシャが立ち直るのを支援するしかないということのようである。

ユーロ問題は日本の課題の鏡

日本国内なら、自己財源で賄えない自治体には地方交付税が交付されるが、そういうわけにもいかない。

東京都は地方交付税を支給されたことがなく、都民はもっと文句をいってもよいと思うが・・・

話題になっている国立競技場のような巨大な国家プロジェクトが都の経済を潤すことは間違いない。その他、原子力発電所の立地市町村も交付税を必要としない財政状況のようだ。

政治が絡むお金の流れは複雑だ。

ギリシャの国民投票から2週間がたち、ユーロ各国はギリシャへの追加支援を、ギリシャは一定の緊縮財政制作を受け入れるという常識的な妥協点におちついた。

政治家たちの喜劇と太刀周り

お互いに、庶民から嫌われる役回りを巧みに避け、妥協点にたどりついた、職業政治家たちの見事な太刀周りだったのか・・

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さて、観光資源以外にこれといった資源も産業もないギリシャがこれからどう立ち直るかは困難を極めるが、ギリシャとは比べものにならない膨大な借金をかかえ、いまなお放漫な財政政策を続ける日本はどうなることやら・・

しかしギリシャは魅力的ですね

一度は行ってみたいものです。

「人イヌにあう」ならぬ「ひとイスにあう」

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「人イヌにあう」は動物学の碩学、コンラッド・ローレンツの著作である。

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犬好きの貴兄には、ぜひお勧めしたい1冊である。学生の頃読んだもので内容についてはほどんど記憶にないが、とても面白ったことは記憶している。全くええ加減な推挙である。

犬は人生の良き友とはよく言われる。
我が家にも愛犬がいる。もう15・6歳なので老犬である。
最近では耳も遠くなり、呼んでもやってこない。
残念ながら犬の寿命は人の10分の一ほどである。
物語になるような賢い名犬でもない、ただの雑種であるが、その間抜けな行動に家族が一喜一憂する。雨や雷が嫌いである。

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*横向きになってしまったが、ゴロゴロ言い出して中に入れろという催促である

嫁さんは、最近、腹に据えかねることがあると、この犬に不満をぶちまけ、同意を求め溜飲を下げている。犬もこの後にはおやつがもらえるのでおとなしく聞いている。
家庭の平和にも不可欠な存在となっている。

「シエ」

浅田次郎の短編に「シエ(けものへんに解と書いていた)」という作品がある。
愛犬家のようであるが、犬ではない、ペットショップで勧められた奇妙な動物の話。
どんなペットフードも食べないがちゃんと生きている。飼い主は失恋をしたり、なかなか幸せを感じられないでいる。そう、飼い主の不幸を、涙を食べて生きているのである。
シエは心の中でつぶやいている「不幸の分だけちゃんと幸せになれるよ、ほんとだよ・・」と
そして、飼い主がしあわせになって、シエも死んでいくのである。

雑種の言い分

これから犬を飼おうという人には、是非雑種を勧めたい。
何世紀か忘れたが、オランダでチューリップが投機の対象となり、人々は珍しいチューリップに群がり、育種が盛んになり黒いチューリップが作られた。
犬も同じで、人が育種によって作ってきたものだ。珍しい犬、特殊な技能を持った犬、血統書付きの犬はそれだけ近親相姦の状態になっており、遺伝的に不健全で、精神疾患や持病を持っていることが多いということだ。雑種は幾分そのリスクは低く、しかも全くのユニークな存在ではないか。

人イスにあう

前置きが長くなったが、
今日は、犬ではなくイスの話である。(全く関係ないか)

仙人は、若い時から腰痛に悩まされ、30年ちかくこの椅子を愛用してきた。

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確かに腰痛には良い。優れものであるのだが、くつろぐという感じではない。

オフィスワーカーは、少なくとも1日8時間は同じ椅子に座っていることになるが、行動の不自由さからいうと、透析患者さんはもっと大変である。
入院経験からわかったことだが、病院のベッドはなかなか厳しい環境だ。長時間寝たきりにさせられると褥瘡ができることは容易に想像できる。
そのため、当院では可能な限り快適な椅子をということで、低反発素材を使用したフルフラットのリクライニングチェアを用意している。

快適さとプライバシーの確保を兼ねて、旅客機のファーストクラスに使われているフルフラットシートを活用したいと考え、メーカーの調査をしたこともあるが、1客1000万円近くするとのこと(他の業種には売りたくないということかもしれないが)で、さすがにこれは断念した。

東京ステーションギャラリーでイスにあう

東京で出会ったお気に入りの椅子は、東京ステーションギャラリーにある。
3階から作品を鑑賞し、煉瓦造りの回廊を螺旋階段を降りて2階へ、そして最後のビデオギャラリー兼休憩室に置かれている2客の木製の椅子。

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やや低い、大きめの座面と広がりのある肘掛、背もたれもちょうど良い位置にフィットする。
歩き疲れて腰を下ろすと、全身の力が抜けてゆったりとした気持ちになる。
シンプルでおおらかな椅子である。

”帰ってきた酔っ払い”も真っ青、恐るべし尾久銀座

帰ってきた酔っ払い

帰ってきた酔っ払いという、歌をご存知だろうか

半世紀も前に、日本レコード大賞に輝いた(と思うのだが・・)、フォーク・クルセダーズの曲である。

フォーク・クルセダーズは、加藤和彦、はしだのりひこ、北山修の3人によるフォークグループである。

と言っても、もはやフォークグループやフォークソングそのものが死語となっている。

本日のお話は、フーク・クルセダーズとも、「帰ってきた酔っ払い」という歌とも関係がない。ただの酔っ払いである田端仙人が、華やかな東京銀座から帰ってきて、尾久銀座をチャリンコでぶらついていてそのバイタリティに驚いたというお話である。

生物学の法則を地で行く尾久銀座

法則その1 群知能ー集団から生まれる知性

ある日、尾久銀座の空き店舗に出現した八百屋さん

新玉ねぎ、新じゃが、そらまめ・・旬の野菜が無造作に並べられている。共通項は、旬のものであること、恐らくは規格外の物であること、国産であること(輸入コストもかけられないとことか)、そして(安全性はわからないが)やすいということ。(上記の条件からすると当然か)

面白いことに、いつ出現したかはしらないし、仙人の知る限り土曜日限定のようであるが、仙人が確認して1ヶ月後には、人だかりになっていた。

皆さんは、或る日突然、家の中に一糸みだれぬアリの行列が出現しているのを見て、甘い物を放置してしまったことを後悔した経験をお持ちではないだろうか?

アリたちは、自分の巣から餌場まで最も効率的な経路をたどって行進しているらしい。

群れをなす生物は、前の物に従う、隣との距離を一定に保つという行動をとる。

魚群も同じで、特に目的地があるわけでもリーダーがいるわけでもない、らしい。

アリはさらに移動中にその痕跡を示すフェロモンを分泌する。

それは、自分が最短距離の道筋を知っていることを示すような物ではなく、単に痕跡を示すだけである。多くのアリが様々な経路を通ると、時間の経過ととも結果として、最短距離の経路にのこされたフェロモンの濃度が最も高くなり、最短の経路が明らかになる、ということらしい。

もちろん、人も同じである。流行のファッションのよさなどには何の根拠もなく、ただこの性質を利用して売りまくっているだけである。尾久の人たちも忠実にこの法則に従っているのであろう。

しかし、多くの場合は、生存のために有効な原理のようであり、生物学的には群知能と言われている。

ニッカウイスキー「竹鶴」の値上げ報道から、ウイスキーを買うときは自然と「竹鶴」に手が出てしまう仙人行動も同じか。

法則その2 合理的な縄張り行動

尾久銀座にはアーケードはない。

地方の銀座もどきにはアーケード街が多い(調査をしたわけではない勝手な推論だが)ようだが、本家本元の東京銀座にはアーケードなんてない。

さすが尾久銀座である。

雨の降らない日は(雨の日に通過したことがないが)、どの店も、公道に大きく張り出して商品を並べ商売をしている。

たくましいのだ(このたくましさは東京銀座にはない)。

道路交通法違反などと訴える人もいないし、訴えられても警察も困るだろう。

魚屋と八百屋が隣り合っていて、いつもはそこも比較的賑わっている。今日は魚屋がお休みらしく、また上述の店に客をとられたか、人だかりはほとんどなさそうだ。

ところがである。

今日は魚屋の前も、八百屋に変身しているではないか。しかも、全面的にではなく、占拠といわれない程度の按配のよさである。公道であるから誰にも所有権はなく、文句のつけようもないはずだが・・

しかし、やっぱり、自分の門前は自分のものという縄張り意識はあるのだろう。

それでも、恐らくは魚屋は八百屋に文句を言ったりしないのだろう。今度八百屋が休業のとき、魚屋の店先がどのように広がっているかが楽しみだ。

そう、お互いに利用しあったほうがハッピーなのである。

鮎は石についたコケなどを餌とし、比較的広い縄張りを持っているが、個体数が多くなると、縄張り行動(侵入者への威嚇)をしなくなるのだそうだ。

侵入者が多くなると、威嚇行動に追われ、餌をとるひまがなくなってしまうというのがその理由(単なる理由付けであるが)らしい。

いやはや、たくましくも合理的な尾久銀座でありました。

法則その3 尾久銀座の活力

高齢者の多いこの地域であるが、なんと、若者が経営する、若者向けの衣料・雑貨やさんが新しく開店したようだ。

よく見ると、この界隈は、若いアジア人や、子供連れの家族も多いのである。

しかも、子供づれの家族に一人っ子はほとんどいない。若いお母さんは、下の子を抱きかかえ、2番目の手を引いいて、走り回る上の子を怒鳴り散らしている。これが標準の家族の姿である。

世界経済を牽引する新興国のように、この地は活力を取り戻すのであろうか

楽しみである。

今日もまた、透析医療や患者さんのためのホスピタリティーには関係のないことをつぶやいてしまった。

またそのうちに、乞うご期待!

世界は一冊の本

世界を支配する虫たち

緑輝く新緑の季節
虫たちが世界を支配する季節
そう、虫たちが湧いてくるのだ

人は「虫けら」というけれど
人はこの虫たちがいなければ生きていけない

少なくとも、みずみずしい果実を口にすることはできない

この世界を支配しているのは人ではなく
微生物と虫たちなのだ

いや、世界には支配者がいないのだ

「たちどまる」

立ちどまる
足をとめると
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば。
雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?

立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。

何もないところにしか
見つけられないものがある。

そして空白のページ

長田 弘 「世界は一冊の本」より

空白のページ

「そして空白のページは」もちろん詩の一片ではない。
本の一ページをめくった時に現れた空白のページである。

ジョン・ケージが明らかにした沈黙の音のように
毎日の眠りのように
大切な空白のページ

空白を楽しんだ画家

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空白を埋めつくそうとする画家

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そして 空白と対峙した画家

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空白には色彩さえない。

世界は一冊の本

七色に輝く虹のように美しい蝶のはね
彼らはその色を所有しない。

太陽の光を反射しているだけなのだ

富も成功も貧困も
幸福も不幸も
人は所有することはできない

感じることができるだけだ

その一瞬に

そう
世界は一冊の本

また めくる空白のページ

しかし、残念ながらブログには空白のページがない

それはあなたの世界にゆだねることにしよう

銀座で盆栽

GWのニュース

今年のGWは連日好天にめぐまれた。

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これは50年ぶりのことらしく、行楽地は連日人出で賑わったようだ。そのあおりをくらったのが百貨店、来客数は予想を大幅に下回ったとのニュースがあった。

また、人々を驚かせたのは、箱根山の火山活動が活発になり、あたりが立ち入り禁止になったことだ。昨年の御嶽山の噴火に続いてのニュースである。いきなり噴火せずに良かった。

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「東京新橋透析クリニック」がオープン

GWの5月1日に、人気もまばらになったビジネスマンの街新橋に密かにオープンしたのが「東京新橋透析クリニック」である。

明治から続く老舗の牛鍋屋「今朝」、そのビルの7階にある。

ホテルオークラ風の落ち着いた待合スペース

柔らかな間接照明に包まれた透析室

ここで白神山地の鳥や虫の音などの環境音に包まれていると、日常の喧騒を忘れ、ついうとうとしてしまう。

オット、東京新橋透析クリニックについては、ホームページにお任せするとしよう。

http://www.toseki.tokyo/

仙人は再び銀座へ

さて、のんびりとした気配の休日の新橋と比べ、隣の銀座は、連日歩行者天国で大いに賑わっている。特に、中国からの観光客が大型バスを連ねて大挙してやってきている。

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しかし、銀座も通りをひとつ中に入ると、昼間はひっそりとしている。

その銀座の片隅に不思議な空間を演出している店がある。

銀座に盆栽?

覗いてみるとなんと盆栽屋ではないか。

銀座はまだ、呉服屋さんが普通に営業をしている街であり、さすがと思ったものだが、盆栽屋とはさらなる驚きである。この盆栽屋「雨竹庵」というらしい。

「MATSUYA GINZA の銀座まちがたり」http://www.matsuya.com/m_ginza/about/ginza/

によると、雨竹庵は、先祖代々ここで盆栽屋を営んでいた老舗ではなく、一代でここに「雨竹庵」を構えたとのこと。もっともオーナーは江戸時代から将軍家に仕えてきた由緒正しい造園業の家系であり、盆栽職人ではあったらしい。

銀座だから、高価な盆栽もよく売れるのだろうとは思うけれど、単に愛好家に販売するだけでなく、ここで盆栽をショーアップして、料亭や割烹などに季節や設えにあった盆栽をレンタルしているとのこと。

ネットによる販売もしている。(ま、これは普通か)

自然の中で運よく成長できると、100年もすると二抱えもある大木に育つものが、小な鉢の上で相似形のような形で生きている。

高山で森林限界を超えたあたりに育っているハイマツはいつも下から吹き上げてくる強風にさらされているため低くねじ曲がって、地を這うように成長している。

むしろ、成長しないことが生き残る条件のようにも思える。地中の養分も少なく幹も細い。樹齢について考えたことはないが、盆栽のようなものなのかもしれない。

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*写真はさいたま市の盆栽美術館のページより転載

さて、実はこの仙人、盆栽のことはよく知らないし、わかっていないのである。

マンガ「サザエさん」で、磯野波平が、パチパチハサミを入れている・・ぐらいのもので、盆栽を語るとはおこがましいが、これを機会に、少しは仙人らしく盆栽に興味をもって、鉢の上の生き物と対話を始めてみますか。

仙人の銀ぶら考

りんごに出会った街 「銀座」

前回、「”A ha!”な りんご たちの話をしたが、
そのりんごに出会った場所

そこは、全国に無数に散在する銀座たちの総本山である東京銀座である。
仙人の住む田端界隈にも田端銀座、尾久銀座などがあるが、それぞれが勝手に銀座を名乗っているだけで、東京銀座にとってははた迷惑なことであろう。
しかし、さすがに東京銀座である。全国の銀座たちに、文句を言ったり、のれん代を要求したりしない(はずである)のである。

そのそも銀座は江戸時代の貨幣鋳造所である。
本家本元の金座は、お上の管轄であり、厳しいだけておもしろくもないが、銀座には、銭を扱う商人たちがあつまり、さらに銭を集めるための情報交換を行う場ができる。
銭を持っていれば使う
欲望の原点は、食欲と・・欲と・・欲、あとはひとそれぞれ
必然的に人を魅了するもの、ことが集積していったのであろう。
築地も近いし・・
差異と欲望がエンジンとなる資本主義の発展の歴史に近いのかもしれない。

銀座の公式ホームページによると

「銀座」という座組織は幕府のために銀貨をつくる組織で、銀の買い入れや銀の管理、事務を取り扱う役所と、銀貨の鋳造を行う工場とがありました。ちなみに金を扱う金座は日本橋の、現在の日本銀行本店のところにありました。
銀座は日本橋を起点とする東海道の一部でもある銀座通りに大きな商店がにぎわいをみせ、取り囲む川で活発な舟運流通が行われる一方、裏手に職人町がひろがり、能役者や歌舞伎役者、常盤津の師匠、画家たちの住む町でもあったのです。

とある。

画廊が集積しているのも歴史的必然のようである。

芸術・芸能・文化などというが人々の欲望の表現の一つの形なのだ。

田舎者の目にも銀座の街はなかなかの優れものである。

街全体がケバくない程度に瀟洒にデコレートされている
旧いとは言っても、戦争で焼け野原になった東京のことだから戦後のものだろうが、鉄とガラスのモダンな建築物に混じって、旧い石造りの建築物が残され利用されているのである。それぞれ自己主張はあるが節度が感じられる。
建物の高さが適度に抑えられていて、突出したものがない。
吉田健一のエッセイには、行きつけの小料理屋や文人が集まり呑んだくれるバーがよく出てくるが、一つ路地を入るとまだそのような飲み屋がありそうだ。

巨大ビル銀座に出現か?

山野楽器の前の広い土地が更地になって工事が進んでいる。一体何ができるのだろうか。なんとかヒルズのような巨大な高層ビルができるのであろうか

できればそうあって欲しくないものだ。

最近話題を呼んでいるなんとかヒルズや渋谷ヒカリエなどの巨大ビルは、ビルの中はモダンにデザインされているし、外観もカッコよく主張してはいるが、街をそぞろ歩く人のサイズではない。ビルそのものが街を飲み込んみこんでしまい、街から人間的な表情がなくなってしまうような気がする。

「急ぐ」  谷川俊太郎

こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通り過ぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない

この速度は早すぎて間が抜けている
苦しみも怒りも不公平も絶望も
すべてが流れてゆく風景

こんなに急いでいいのだろうか
私の体は速達小包
私の心は消印された切手
しかもなお間にあわない
急いでも急いでも間にあわない

そう、巨大ビルは超特急なのである。

銀座の街は、街そのものがショーウィンドウになっていて魅力的だ。
そのショーウィンドーには、自分や様々な人の姿や表情、欲望が映されているではないか。
街は、人々の欲望が複雑に絡み合って集積していく結果でありその過程であるから面白い。
おおまかなデザインはしても設計はしないほうがよい。

田端銀座をブラつく(これも銀ブラというのか)仙人の愚痴になってしまったが、生粋の銀座通はどう感じているのであろうか。

りんご

りんご

赤いりんご

美しいりんご

手のひらに乗せると

冷たいりんご

ずっしりと重いりんご

毎朝かぶりつくりんご

甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる

美味しいりんご

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偉大なりんご

今日の科学文明の種となったりんご

戦後の日本人を励ましてくれたりんご

pop musicの神様を世界に羽ばたかせた りんご

世界中をつなぐかじられたりんご

偉大なりんご

りんごがなければニュートンの第一法則は発見されず

”りんごのうた”がなければ、今日の日本の発展はなかったかもしれない。

歯周病の検査にも使われている

・・りんごをかじると血がでませんか?

そもそも

アダムとイブの時代から”りんご”は禁断の果実であった。

それでも、僕には美味しいりんご

今日銀座で出会った APPLE

Apple Storeかとおもったが、google mapではギャラリーと表示されている。

りんご

よく見ると、かじられていない”りんご”だ、中に入ってみると”ken miki design works”の展覧会

そこは「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」であった。

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世界一のりんご研究者を目指す 三木健 のりんご観察とデザインの世界

美味しい、偉大な だけでなく 楽しく 美しい ”A ha!”な りんご たちがあった。

りんごについてのイメージを広げるマインドアップル(マップ)

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りんごのパーツいや失礼、そこのは未来のりんご、りんごの木が詰まっている、そうりんごの種

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りんごの種の形、その流線型の美しさを意識したことはなかった。

りんごの色

もしもりんごがクロだったら

とても食べたいとは思わない。

アダムとイブは楽園を追放されず、キリスト教世界は存在しなかったかもしれない。

パンフレットには、・・・デザインは単に「見える化」することじゃない。何かが「見えて来る化」すること。「気づきに気づく」デザイン・・と記されている。

ハッピーなひとときであった。

透析クリニックの運営も「気づきに気づく」ことが必要かもしれない。

仙人 病院へゆく

ハムレットの心境だ

とはいへ、前回コメントした手術のために探索した病院の外来にかかるだけなので大層なことではないか。

田端からマウンテンバイクを駆って、紆余曲折して迷いながら約30分で到着。

想像していた以上にコテコテ(関西弁?剣道の技ではありません)の下町・下駄ばき病院。

病院の状況は、ホームページや外来に、◯年◯月移転新築とのアナウンスがされていることから容易に想像できるが、期待以上のものだ。

これでは、病室や手術室はどんな状況であろうかと想像すると、思わず躊躇してしまう。引き返すなら今だ・・、だがそこは、アドベンチャー精神で踏みとどまり、受付へ!

コテコテの下駄履き病院

当然のことながら世間のIT化の流れなどはどこ吹く風、事務職員が忙しそうにカルテや会計表の受け渡しをしていた。どうしたものかと、突っ立って様子を眺めていても、誰も気にする様子はなく、諦めて、こちらから声をかけて問い合わせる。

リハビリやインフルエンザの予防接種を希望されるお年寄りが多いようだ。

事務の方に案内されて、外科外来へ。とはいえ、診察室の前の狭い廊下に椅子が置いてあるだけで待合スペースはない。

椅子に座って待っていると、看護師さんの大きな声が聞こえる。そう、高齢の患者さんにお薬のの説明をしているのだけれど、全く要領を得ないのである。大きな声で、ゆっくり、3回くらい説明をしているのだが、患者さんは「はぁー?」とうわのそらの様子である。

看護師さんも大変だ。忍耐とパワーである。が、報われているのか?ほんとうにこれでよいのか?

と疑問に思うのである。

看護師不足の中、人海戦術ではなく、制度的にも、運営的にも何か他の方法があるような・・・、

待合の廊下のすぐ隣が救急外来になっており、医師や看護師、時にはストレッチャーに乗せられた患者さんが前を通り過ぎるが、重症患者さんはいないので緊迫感はない。救急外来の扉は開けはたれており、病院の中も、下町長屋の風情である。

実は多くの病院はこんな感じであるが、なんとなくこれがあたりまえと思っている風でもある。

さすがは専門特化?

てなことに思いを巡らしていると、程なく名前を呼ばれ診察室へ。思っていたより待ち時間は短い。

医師からは丁寧に自己紹介をされ、こちらも症状を説明する。

ここから後はトントン拍子である。

すべての検査がパッケージ化されており、心電図、レントゲン、CT、採血とすべての検査を終え、再度診察を受け、確定診断、手術日を決定するまで1時間もかかっていない。看護師の説明も要領を得ており、ここは、さすが専門特化というべきか。

狭い病院も悪くはない

大病院は、患者さんも多いので当然なのかもしれないが、広い外来ホールがあって立派に見えるが、お年寄りにはホールを渡りきって目的地にたどり着くのも大変だ。仙人も数年に一度はぎっくり腰になって近所の整形外科医院にお世話になるが、そういう状態での移動はほんとうに大変である。

この病院は、玄関、受付、診察室、検査室などがそれぞれ目と鼻の先の位置にあり、移動距離が短く助かる。長居をしない前提であれば狭い病院も悪くはない、かも・・・

何より、専門特化とパッケージ化で、初診で躊躇なく即日に入院日・手術日が決まるのはありがたい。また、手術日も週末近くで希望通り、翌週から仕事ができる(手術がうまくいけばの話だが)。

最初は受診をためらいはしたものの、気をとりなおして、入院することにする。

看護師さんご苦労様、でも・・

どこの病院でもそうだが、看護師さんは走り回っていて大変だ。種々雑多な仕事は引き受けてはさばいている。なんとか工夫はないものか、走り回っていて工夫どころではないというのが実態か。

また、一人暮らしのお年寄りが多くなれば、病院の受診は大変だし、きちんと服薬できなければ本当に効果があるものかも疑問である。制度的に病院ではなく、かかりつけ医やかかりつけ薬局など在宅での医療やケアをすすめているもの理解できる。

慢性透析医療では

さて、慢性透析医療は専門特化、パッケージ化に適した医療で、前回紹介したカナダの病院のように、特定の領域に絞って技術とサービスを磨くことで効率的で質の高いサービスの提供が可能ではないかと思われる。

当院では、患者さんにとって気持ちの良い、また効果性の高い医療サービスを目指して努力をしているが、まだまだ、これが当たり前で、しょうがないと思っているところがないか、もっとブラッシュアップできるところがないか、常に検証し、改善を続ける必要があるのだろう。

仙人の病院選びの巻

仙人も寄る年波には勝てず(年寄りだから仙人だから当たり前か・・ン?いやまてよ・・年寄は仙人の必要条件であろうか?・・おっと仙人論はまた次の機会にしよう)、昨年末には入院する羽目に。

がんなどの悪性疾患とは違って、標準的な手術をすれば完治する良性疾患であり、2泊3日の短期入院である。

これはその時の記録である。

エクセレントなカナダの専門病院

まずは医療機関を探すところから

実は、その治療では世界的に有名な専門病院がカナダにある。またその病院は「*選択と集中」を実現し成功している事例として経営学の領域でも世界的に有名で、アメリカのハーバード大学の経営大学院の発行するハーバードビジネスレビューでもレポートされている。

その病院のホームページへ

えっ  これが病院ですか? まるで、貴族の屋敷のよう

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日本でもメディカルツーリズムばやりで、官民一体で旅行を兼ねた海外の患者の獲得に力を入れ始めている。

カナダへ一飛び・・ときたいところであるが・・・

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さすがに雲トーンを駆使し、偏西風にのってもカナダまでは簡単には飛べない。そもそも冬の太平洋は寒そうだし

良性疾患なので、待たされる、いったんかかりつけ医を受診して紹介状をもらうなどと面倒くさい大病院は避け、カナダの病院とまではいかなくても、その領域に特化して力を入れていそうな、中小の専門病院と思われる医療機関を探すことにする。

「安(日本は医療保険で大きな差はないと思うが)・近・うま」狙いである。

病院にかかるのも大変

日本の医療政策では、大病院はがんや心疾患、脳卒中などの重篤な患者を治療するところとされており、通常、患者はいったんかかりつけ医を受診して、大病院を受診する必要性の有無の判断をしてもらうことが推奨されている。

もちろん、紹介状がなくても受診し、治療を受けることは可能だが、特別の費用(実は、かかりつけ医を受診してもやはり同等の費用がかかる)が必要になり、また、長時間待たされることになる。これにはうんざりである。

  • ここでチョット諸外国の医療制度に脱線するが

医療資源は限られているのでやむをえない。みんなが大病院に集中すれば、重篤な患者の治療も困難になる。合理的な制度ではある。

イギリスはノンビリ

イギリスのように極端なケースでは、医療費は100%税で賄われ病院は国営である。大病院の受診には家庭医の受診が必須で、しかも、大病院で手術を受けようとしても、病院はのんびりしているので1年くらい待たされる場合もある。そうな・・

経済的に余裕のある人は、海外(インドや東南アジア)で治療を受ける、優秀な医師が海外に流出するなどという問題も起きているようである。

アメリカは医療費が高く、そう簡単に病院に行けない。

中国は人口が多く、とても安易に病院にかかれそうにない。ハルピンでさえ人口4千万人で東京都の4倍である。

最適化された・・地獄の沙汰も金次第?

シンガポールやタイは、これらの先進国の状況を学びつつ制度を整備しているようで、一般庶民は比較的低額で最低限の医療が受けられる。入院する病室は大部屋になるが、日本の小さな民間病院の6人部屋に比べるとずっとゆったりしていて明るく快適そうである。一方富裕層は、民間の医療保険などを活用し、負担に見合ったグレードを選択できる。

タイのある病院などはアラブの王族、世界の富裕層を積極的にう治療し、そこで得た利益を医療スタッフの教育に活用し、国の医療レベルのUPに貢献しようとしているようである。

シンガポールでは、東京でいえば銀座の真ん中にあたる高級ブランドがはいるファッションビルに、多くの専門クリニックが入居し、高額な賃料を負担しながらも患者獲得にしのぎを削っている。画像診断専門のクリニックもある。

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民間病院の著名な医師は、どこかの王族から大枚を受領したのに、自ら執刀しなかったということで訴えられれていた。

一般庶民が受ける公的医療と、富裕層を対象にした市場原理にもとづくサービスが適度にミックスされているようだ。

すべてを満たすことはできないので何を優先して、何をあきらめるか・・ということになる。

エイヤの病院選び

飲食店の評価も行ってみなければわからないが、医療機関の「うま」は外部からはなかなかわからない。客観的な情報は症例数・実績、スタッフ数などである。こういう情報がオープンになっていることも大切だ。また、厚生労働省のホームページでも症例数などは公表されている。

あとは、施設の状況、ホームページなどから伝わってくる印象、口コミなどに頼らざるを得ない。実際に患者になってみると医療機関の選択もなかなか大変である。

ということで、とりあえず、お江戸はバリバリの下町にあるA病院にたどり着く。仙人のカンピュータである。

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長くなりそうなので、A病院でのことは次回以降にゆずるとして

 大切な患者さんへの情報提供

透析患者さんもネットを活用し、自ら医療機関を選択するようになってきた。患者になってみると病院選びも大変で、適切な情報が少ないことがよく分かる。当院も透析患者さんの立場になって、必要とされる情報を、わかりやすく提供していかなければならない。

*選択と集中

企業経営、経営戦略に関して用いられる。特定のことに絞って(他のことは捨てて)、人・モノ・金といった経営資源を集中し、専門特化させ、そこでは他の企業の追随を許さないようにすること。