田端駅前クリニックスタッフのブログ

Category Archives: 旅行透析

MISS THE LAST TRAIN AND GET SOMETHING

旅行透析と「透析患者.COM」

当院では透析患者さんが、出張や旅行でご利用いただけるよう臨時透析に力を入れている。
臨時透析をネガティブに考える施設も多いようだが、「患者さんにアクティブな生活を送っていただきたい」という思いとポリシーに基づいて運営している。
同じように、臨時透析患者さんを受け入れている全国の透析施設は、「透析患者ドット・コム」から検索可能である。www.tosekikanjya.com/

新潟県に足を踏み入れる

振り返ってみると、仕事やレジャー、野暮用などでいろんなところへ行っている。全国の都道府県のうちまだ足を踏み入れたことがないのは(バスや列車での通過もありとして・・)、沖縄県、新潟県、秋田県、青森県、茨城県であったが、先日、幸か不幸か止むを得ず新潟県に足を踏み入れることになってしまったのである。

夏の谷川岳

先週末は、都内にいても灼熱地獄で早朝から谷川岳に退避した。2千メートルの頂上付近は、ガスで覆われていてさすがに涼しい。
谷川岳連邦の最高部の峰々はちょうど群馬県と新潟県の県境を形成している。
JR土合駅に降りて登山口まで約30分の道のりを歩く。
標高800mあたりはさすがに暑く、夏の日差しが照りつけ厳しいスタートとなった。

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これほんまに登れるのかいな

さすがに真夏の中程度の高度の登山は厳しく、体力を消耗し、コースタイムを大幅にオーバーしてしまった。
上り列車が18時台にもあることは確認していたが、昨年6月の下山時刻が16:00だったので、さすがに18時までには降りてこれるだろうという楽観と、まさかこれが最終とは思わない甘さから悠然と構えていた。なんといっても上越線である。

頂上から少し下るとガスもなく、眺望もよく、涼しい風にあたりながら「おーい雲よ!』とのんびりしていた。

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天空のお花畑(横向きですが・・)

 

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マチガ沢には、まだ大きな雪渓が残っており雪解け水がゴーゴーと流れている。
下山してマチガ沢で、冷たい雪解け水で体を洗い一息つく。

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谷川岳の勇姿に別れを告げる。

MISS THE LAST TRAIN

と時計をみると18:00近い。

あわてて土合駅にむかう。

土合駅にたどり着いた時には、列車もすでにホームにいる。
駅舎までには、やたらと広い空き地があってとても間に合わない。

駅にたどり着いて時刻表をみると、上り最終 18:19となっている。
あとは下りが1本だけ、20:51とある。
やれやれである。

おーい雲よ、新潟県よ

まずは、自販機で飲み物を確保し喉を潤す。残念ながらビールはない。
スマホの電源を入れて、時刻表アプリを立ち上げ田端にたどり着けるか確認する。
最終の下りで越後湯沢まで行って、上越新幹線の最終東京行き「たにがわ』に乗れば、OKである。助かった。

というわけで、期せずして新潟県に足を踏み入れることになってしまったのだ。

さて、さっきから不思議に思っていたのだが、駅の待合室に1人の男がいる。列車が行ってしまったのに悠然と構えている様子なので、「おたくもさっきの列車に乗り遅れたのですか」と聞いてみると、今夜はこの駅に泊まって、明日早朝3時に出発し、谷川岳に登ってからピークハントし新潟県の苗場に降りるというツワモノである。

お互いにすることもないので、駅舎の玄関にある階段に腰をおろし、ぼんやりとくれゆく空を眺める。カジカの鳴き声と沢の音に癒されながら、山の話で盛り上がる。

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地中深くにある土合駅ホーム

そもそもこの土合駅は変なところである。
上りのホームは駅舎に連続して地上にあるが、下りのホームは、遠く離れた地下深くにある。スカイウェイで国道をまたぎ、そこから500段近い階段を下ったところだ。

エスカレータもエレベータもなく、途中に申し訳程度にベンチが置いてあるが、登山客以外は利用しない前提としか考えられない。
当然無人駅である。改札口には、「上りのホームは、480段の階段を降りたところにあります。ホームまで10分程度かかりますのでお早めにホームにお越しください」といった内容が掲示されている。

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新潟県に行ったは良いが、車窓から見えるけしきは真っ暗で味気ない。

機会があれば苗場山(新潟県越後湯沢)の頂上でゆっくりと日の出・日の入りを拝み、新潟県を満喫したいものである。

ポニョならぬ「崖の上の酔っ払い仙人」

再び下町へタイムスリップ

クリスマスシーズンも終わり、キラキラとした高級店から再び下町へトリップ

というよりも昭和へのタイムスリップでしょうか

・・酔っ払いの安全地帯 「谷・根・千」 いい話でしたね。

で・・

万葉の時代の港町 「鞆の浦」

谷根千の酔っ払い爺さんで思い出したのが万葉の時代から港町として栄えた広島県福山市の「鞆の浦」。

我妹子(ワギモコ)が 見し鞆(トモ)の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき(我が妻が、あの日眺めていたこの鞆の浦のむろの木は、こうして変わらずにあるけれど・・・このむろの木を眺めていた妻はもういない・・・)

大伴旅人など万葉の歌にも詠みこまれている漁村(都人には物寂しい代名詞のように詠まれている)である。

何年か前に放映されたジブリの映画「崖の上のポニョ」をご覧になった方も多いのではないか。

この舞台の原型となったとのが、鞆の浦だそうだ。

また、鞆の浦は「崖の上のポニョ」の舞台になる前から一部の業界の人の間で有名になり、視察が絶えない地でもあった。

その業界とは・・・

介護福祉の世界である。

介護福祉の世界では、鞆の浦は高齢になって、認知症になっても、地域で、在宅で、いつまでも日常生活を続けられる街として知られている。

今、手元にそのレポートがないので、ええかげんであるが

港が見える路地の階段の途中に、てんぷらを揚げる小さな店がある。そのベンチに座って揚げたての天ぷらをほおばるおばあさん。認知症で一人暮らし、徘徊中である。

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店の人は、どこどこのおばあちゃんであることがわかっているので、声をかけ緩やかに見守りをしている。おばあさんも厳しい周辺症状*を発症することなく緩やかに日常を過ごしている。

そう、谷・根・千の〇○食堂の酔っ払いじいさんを心配そうに見守るおばあちゃんのような人たちが暮らす街なのだ。

確かに、万葉の時代から、代々この地で暮らしている人達だとすると、簡単にはまねできない。

複数の街で認知症の進行状況、周辺症状や一人暮らしの可能性などを比較したレポート(確かいつかの厚生労働科学研究だったか??)では、鞆の浦のような街とは反対に、高齢になって認知症になるともっとも不幸な(早い段階で厳しい周辺症状を発症し、社会生活が困難になる)街が、東京近郊の、文化度も不動産業界での人気も高いと考えられているH市であると報告されている。

気取っているけど冷たい、というよりも、みんな郊外へ移り住んできて、人との縁がない。日々情報処理と判断を強いられて暮らしているのであろう。認知症になって、それができなくなると暮らせなくなるのはもっともである。

益々高齢化が進む地方では、近い将来、認知症の人の方が、そうでない人よりも多くなるなんてこともあり得るかもしれない。

認知症であるのは別にふつうのこと、これはユートピアであろうか?はたまた・・・

さて、鞆の浦を紹介するこんなページがあった。

http://tomomonogatari.com/

ポニョ効果か、なかなか洗練されている。

昔ディスカバージャパンなんていうJRの旅キャンペーンがあったが

日本はなかなか美しく、捨てたものではない。

鞆の浦の風景は、同じく瀬戸内海の小さな町で育った仙人には懐かしい限りである。

さざ波に日の光が反射してきらめいている。ポンポンポン・・のどかな漁船のおと。さざ波をわって舟の波紋が広がる。

こんなのどかな光景を眺めながら、とれたてのうまい肴で一献

ポンポンポン、トク・トク・トク・・・、くいっ

たまらんだろうなあー

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結局落ち着く先はここか・・

認知症になっても、これだけはかわらないのではないか。崖の上の酔っ払いじいさんである。

atukan

*認知症の周辺症状(認知症フォーラム.comより転載)

認知症には「中核症状」と呼ばれるものと、「周辺症状」と呼ばれるものがあります。「中核症状」は脳の神経細胞が壊れることによって、直接起こる症状です。具体的には、直前に起きたことも忘れる記憶障害、筋道を立てた思考ができなくなる判断力の障害、予想外のことに対処できなくなる問題解決能力の障害、計画的にものごとを実行できなくなる実行機能障害、いつ・どこがわからなくなる見当識障害、ボタンをはめられないなどの失行、道具の使い道がわからなくなる失認、ものの名前がわからなくなる失語などがあります。

一方、周囲の人との関わりのなかで起きてくる症状を「周辺症状」といいます。幻覚を見たり、妄想を抱いたり、暴力をふるったり、徘徊したりといった行為はいずれも「周辺症状」の一つです。「周辺症状」はその人の置かれている環境や、人間関係、性格などが絡み合って起きてくるため、症状は人それぞれ表れ方が違います。

透析医療は誰のためにあるのか?

 

たまには、真面目な話を一席。

 

最近患者さんのライフスタイルに合わせて、様々な透析の方法がいくつかのクリニックで導入されています。

 

例えば、田端駅前クリニックは、東京の山手線内でもっとも夜遅くまで夜間透析を行っている透析施設です。

 

夜間透析をうたっている施設は徐々に増えてきましたが、先鞭をつけたのは田端駅前クリニックだと自負しています。

 

透析施設の検索サイト、透析患者.comでは夜間透析専門の透析施設検索が出来ますから確認してみてください。

http://www.tosekikanjya.com/

 

夜間透析に加え、在宅血液透析や深夜寝ている間に透析を行う、オーバーナイト透析等も、未だに件数は少ないですが、増加してきています。

 

田端駅前クリニックが夜間透析を始めようとした理由は、

当時夜間の透析をしてくれる透析医療機関がなく、

そのために、仕事を持っている患者さんは、

透析開始とともに、

仕事をやめたり、

あるいは透析日には仕事を休んだり、

早退したり、

といった患者さんにとっては不便且つ不利益な事態を解消しよう

と考えたからです。

 

患者さん中心の医療とは何か?

 

透析医療機関側の当時の考え方は、

夜間に透析を行うと、

スタッフの給与の夜間割増をしなければならず、

利益を圧迫するという理由や、

職員が集まらない、

単純に医師が大変だからといった、

医療機関側の都合に依るところが多かったと記憶しています。

しかし、

近年患者さんのライフスタイルに合わせようとする透析クリニックが増え、ラ

イフスタイルに合った透析が可能になってきたというのは

非常に良いことだと思います。

先日、病院でもオーバーナイト透析の取り組みが始まったと ニュースにもなっていました。

http://prw.kyodonews.jp/prs/release/201410014237/

これまで医療機関は、患者さんを一つの集団とみなし、

取り扱ってきましたが、

患者さん個人個人に合わせた透析をすることが出来る時代の到来

です。

 

このような環境はとても素晴らしいと思います。

 

東京の奥座敷はなぜ凋落したのか?

 

その昔、日本が高度成長時代の頃、我が国の多くの企業は「イケイケドンドン」で成長に次ぐ成長という時代を迎えていました。

 

この時代は、慰安旅行といえば東京で言えば奥座敷と言われた、熱海でした。

 

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熱海のホテルは、会社の宴会を受け入れるために、

大規模で大きな宴会場を備え、企業の需要に応えました。

 

ところが時代が変わりました。

 

日本は不景気を迎え、東京の奥座敷といわれた、

熱海のホテルは企業の宴会や会議の需要が激減し、

多くが赤字に陥りました。中には売りに出しり、倒産したホテル

もあります。

しかし、その一方で

個人の旅行客のニーズは、

大規模宴会場を備えた観光ホテルではなく、

小さくても個性的な旅館やホテル、個人にとって融通がきく、

ホスピタリティの高い旅館・ホテルが人気となりました。

 

旧態依然とした、東京の奥座敷の熱海の観光ホテルは、凋落の一途をたどりました。

 

サービスの原点を忘れないよう戒める

 

この例を少し客観的に眺めると、このようなことではないでしょうか?

これまでは、

お客さんを集団として扱ってきた→企業ニーズが激減

→時代とともに、

お客さん一人一人に対応する事が求められるようになってきた。

 

考えるな!巨人の教えを受け入れてみる。

 

経営学の巨人である、P.ドラッカーはその著書の中で、

「組織はニーズからスタートしなければならない」

とニーズの存在を何度も説いています。

 

先ほどの例で言えば、ニーズが変化してきているのに、

ホテルや旅館はそれに対応することができなかったというケース

でしょう。

 

私たちは巨人の教えを信じて透析医療機関として、患者さんのニ

ーズに対応することを第一義としています。

 

例えば、田端駅前クリニックでは夜間透析に加えて、

ビジネスマンの方が東京に来るときのために積極的に臨時透析を

打ち出しています。

 

また、東京駅から近い透析クリニックという場所柄、

透析患者さんが東京や関東圏に旅行するときの臨時透析も積極的

に受け入れています。

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その結果ですが、臨時透析の患者さんが飛躍的に増加してきています。

 

そのエリアは何と、北は北海道から沖縄まで。この広さに改めて驚きました。

 

ニーズに対応するということは、こういうことなのだと改めて思いました。

 

私たちのクリニックがどこまでお客さんのニーズに対応できるか判りません。

 

私たちは万能ではありませんし、私たちは卓越しているわけでもありません。

 

しかし、私たちが他の透析クリニックと違うのは

皆が情熱を持っていることでしょう。

 

私たちは、チャレンジすることによってのみ、存在意義を示すことができると考えています。