田端駅前クリニックスタッフのブログ

運命かシュレディンガーの猫のいたずらか

ふたたび「おーい雲よ」

都心で暮らしていると、列車を待つこともない。次から次へとやってくる列車に飲み込まれ、ローラコースターに乗ったように運ばれていく。
もっとも人混みで埃と暑さでむせかるようなホームで待たされるのは地獄の沙汰だ。

このような日常に慣れてしまった身に、前回コメントしたような、何をする術もなくのんびりと山の端が紅色に染まっていくのを眺められるぽっかりと空いた時間は至福の時である。蚊の大群が襲ってこなければもっと良かったが・・
まるで望んで列車におくれたのではないかと、自分を疑いたくなる気分だ。

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ついてない!しまった!というよりも、半ば諦めつつ、喜んでこの状況をうけいれたということかもしれない。

不運の星か、運命のいたずらか

もしこれがもっと重大な事態ならどうであろうか?
また、そんなことが続いて発生したら

運命や、神様を恨むかもしれない。

この運命というものは一体なんだろうか?、存在するのであろうか?

招き猫ならよいが、シュレディンガーの猫

このことに示唆を与えてくれるのが、シュレディンガーの猫である。

猫といえば運を託すありがたい招き猫があるが、そうではなく、運が悪ければ毒ガスで殺されてしまう、儚い運命の猫である。

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高名な理論物理学者は、凡人には到底理解できない想像の世界を旅する人で、その思考はきわめて哲学的である。
アインシュタインと並ぶ(功績でいえばそれ以上の)理論物理学者のシュレディンガーは、目で見える世界を記述するニュートン力学(古典力学)に対し、ミクロな世界を記述する「量子力学」を確立した人である。
この量子力学が、現代の科学技術の楚になって、我々はその成果を享受している。

ミクロの世界の運命に翻弄される猫

ミクロの世界は、当然のことながら目に見えない世界である。仙人は姿をくらますことはできても、目に見えないミクロの世界は想像だにできない。
シュレディンガーが量子力学について考察した思考実験に「シュレディンガーの猫」というのがある。量子力学では、粒子の存在場所は決定されておらず、存在の可能性が確率的に表現される。いろんな可能性があるということだ。

粒子がある場所に来れば、毒ガスが発生し、そばにいた猫が死んでしまう。理論的には、猫は生きる可能性も死ぬ可能性もあるわけだが、実験結果は生きるか死ぬかのいずれかに決まってしまい、可能性を表現することができないという矛盾である。

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いろんな可能性があるのに、実験をした途端にいつも決定したことしか観察できない。決定されたことがいわゆる運命になってしまうということだろう。

さすらいのギャンブラー

要するに人生は確率、すなわちギャンブルのようなものである、ということではないか。
たとえば、遺伝、これこそまさに確率である。
しかし、ギャンブルに強い人はいるもんだ。それは相当に入れ込んで探求している。すってんてんになっても次にかけるのだ。

試験も同様に、合格する人はそれなりに努力している。しかし、努力すればかならず合格するとは限らない。確率は高めることができるが、しょせんは当たるも八卦である。そしてまた次のギャンブルへ・・

仙人ごときで人生を語るにはおこがましいが・・

「柿の種」の猫

ノーベル物理学者の朝永振一郎を育てた、日本の物理学者に寺田寅彦がいる。物理学者であると同時に第1級の随筆家である。「柿の種」という随筆集を紐解いてみるとやはり「猫」が登場する。

猫が居眠りするということを、つい近頃発見した。
その様子が人間の居眠りの様に実によく似ている。
人はいくら年を取っても、やはり時々はなにかしら発見をする機会はあるものと見える。
これだけは心強いことである。

「柿の種」寺田寅彦著 より

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寺田寅彦は、私生活ではかならずしも幸福とは言えなかったようだ。一人目の奥さんは、ちいさな子供を残し若くして結核でこの世を去っている。感染を恐れた寺田の実家は、二人をひきはなし、寺田は妻の死に目にもあえていない。

フィジ・ガールの出番ですよ

さて、最近は山ガール、歴女、宙ガール、理系女などと女性がブームを作っているが、次は物(物理)女(フィジガールとでも呼ぶのだろうか)の番であろうか?

おっと、今回もまた、透析とは関係のない話になってしまった。

ごめんなさ〜い。

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