田端駅前クリニックスタッフのブログ

真夏の夜の虫たちの饗宴

東京湾花火大会の夜

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8/8(土)は、ここ数週間では珍しく、朝からお天と様が雲に隠れ、蒸し暑さはあまり変わらないものの、ジリジリと焼けるような暑さは和らいだ。
新橋界隈では、夕刻浴衣姿の若い女性をちらほらみかけたが、その日は東京湾花火大会があったようだ。年をとると、夏は苦痛であるが、若者には開放的な夏が必要なのだろう。
ま、夏がないと、アルプス登山もかなわないとすれば夏もいたしかたないということか。
もっとも、35℃以上が常態になるような酷暑は勘弁してほしい。

田端に虫の音が響いた

田端でもここ数日間にくらべ(この間の不快指数があまりに高すぎたというべきだろうが)しのぎやすく感じられた。
夜が更けると、虫の声が聞こえるではないか。
季節的には立秋で、さすがに昔の人は偉いものである。

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このまま、秋らしくなってほしいものであるが、おそらくはそうは問屋はおろしてくれないであろう。

恋の季節の到来か

しかし、やや気温が下がったその一瞬の間に、虫たちが我が秋を謳歌するという、この用意周到さはどうだろうか

秋に鳴く虫たちの一生を見てみると、(小学生の頃の理科の課題研究のようだが)
夏の終わりから秋にかけて繁殖、産卵をする。
厳しい冬の間は、土中や木の中で卵で過ごし、春から夏になると羽化し成虫となって活動する。

鳴き声は秋の産卵に向けてのオスの縄張り示威とメスへの求愛行動のようである。早い者勝ちというのもあるだろうから、やや涼しく感じられる一瞬の隙も逃さず泣いているのかもしれない。

人の社会もよく似たようなもので、盆踊りとか夏祭りは、忙しい収穫の前の農村社会における「無礼講」のようなもので、若者にとっては、大切な恋の季節ということになる。

人の世界は、恋の季節などとオブラートに包んだ麗しい呼び方をしているが、生き物にとっては、厳しい(遺伝子の)生存競争である。

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*なんていう虫か知りませんが・・なんかかわいい

それは厳しい生存戦略だ

企業の事業戦略では、機先を制し、いち早く世の中に新しいサービスや物を提供することが、常に勝つために重要であるとは限らない。
まだ元気のあった頃のソニーは、現在アップルがi-podで作り上げたようなネットによる音楽配信モデルを、アップルに先駆けてウオークマンを使って可能にしていたし、アイボという犬型ロボットをいち早く社会に投入したりした。常に一歩先の技術開発を行い注目を集めていた。

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しかし、時期尚早であったのか、事業戦略がうまくなかったのか、いずれの事業も大きな成功を収めることができなかった(アイボの事業は売却されている)

患者さんが、自らふさわしい医療機関を選択できるようにーOasisの願い

当院でも、透析患者さんが自らのライフスタイルにあわせて、もっとも望ましいと思われる透析施設やサービスを自分で選択できるよう、早くからインターネットを通じてオープンな情報提供をおこなってきたが、その効果が現れるまでには一定の期間を必要とした。

さて、早鳴きのコオロギたちは、首尾よく子孫を残すことに成功するのであろうか?

はて、早鳴きのコオロギたちは、その早鳴き戦略によって子孫を残すことに成功した物たちの子孫なのかもしれない。

しかし、それもいつも成功するとは限らない(かもしれない)

早鳴き行動は、遺伝特性として彼らの遺伝子に刻まれているのであろうか?

秋よ来い!

昼間は相変わらず蝉の声、夜は虫の声と、ここしばらくは一日中賑やかな日々が続くのであろう。

何れにしても、早く虫の音がふさわしい季節になってほしいものだ。

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運命かシュレディンガーの猫のいたずらか

ふたたび「おーい雲よ」

都心で暮らしていると、列車を待つこともない。次から次へとやってくる列車に飲み込まれ、ローラコースターに乗ったように運ばれていく。
もっとも人混みで埃と暑さでむせかるようなホームで待たされるのは地獄の沙汰だ。

このような日常に慣れてしまった身に、前回コメントしたような、何をする術もなくのんびりと山の端が紅色に染まっていくのを眺められるぽっかりと空いた時間は至福の時である。蚊の大群が襲ってこなければもっと良かったが・・
まるで望んで列車におくれたのではないかと、自分を疑いたくなる気分だ。

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ついてない!しまった!というよりも、半ば諦めつつ、喜んでこの状況をうけいれたということかもしれない。

不運の星か、運命のいたずらか

もしこれがもっと重大な事態ならどうであろうか?
また、そんなことが続いて発生したら

運命や、神様を恨むかもしれない。

この運命というものは一体なんだろうか?、存在するのであろうか?

招き猫ならよいが、シュレディンガーの猫

このことに示唆を与えてくれるのが、シュレディンガーの猫である。

猫といえば運を託すありがたい招き猫があるが、そうではなく、運が悪ければ毒ガスで殺されてしまう、儚い運命の猫である。

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高名な理論物理学者は、凡人には到底理解できない想像の世界を旅する人で、その思考はきわめて哲学的である。
アインシュタインと並ぶ(功績でいえばそれ以上の)理論物理学者のシュレディンガーは、目で見える世界を記述するニュートン力学(古典力学)に対し、ミクロな世界を記述する「量子力学」を確立した人である。
この量子力学が、現代の科学技術の楚になって、我々はその成果を享受している。

ミクロの世界の運命に翻弄される猫

ミクロの世界は、当然のことながら目に見えない世界である。仙人は姿をくらますことはできても、目に見えないミクロの世界は想像だにできない。
シュレディンガーが量子力学について考察した思考実験に「シュレディンガーの猫」というのがある。量子力学では、粒子の存在場所は決定されておらず、存在の可能性が確率的に表現される。いろんな可能性があるということだ。

粒子がある場所に来れば、毒ガスが発生し、そばにいた猫が死んでしまう。理論的には、猫は生きる可能性も死ぬ可能性もあるわけだが、実験結果は生きるか死ぬかのいずれかに決まってしまい、可能性を表現することができないという矛盾である。

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いろんな可能性があるのに、実験をした途端にいつも決定したことしか観察できない。決定されたことがいわゆる運命になってしまうということだろう。

さすらいのギャンブラー

要するに人生は確率、すなわちギャンブルのようなものである、ということではないか。
たとえば、遺伝、これこそまさに確率である。
しかし、ギャンブルに強い人はいるもんだ。それは相当に入れ込んで探求している。すってんてんになっても次にかけるのだ。

試験も同様に、合格する人はそれなりに努力している。しかし、努力すればかならず合格するとは限らない。確率は高めることができるが、しょせんは当たるも八卦である。そしてまた次のギャンブルへ・・

仙人ごときで人生を語るにはおこがましいが・・

「柿の種」の猫

ノーベル物理学者の朝永振一郎を育てた、日本の物理学者に寺田寅彦がいる。物理学者であると同時に第1級の随筆家である。「柿の種」という随筆集を紐解いてみるとやはり「猫」が登場する。

猫が居眠りするということを、つい近頃発見した。
その様子が人間の居眠りの様に実によく似ている。
人はいくら年を取っても、やはり時々はなにかしら発見をする機会はあるものと見える。
これだけは心強いことである。

「柿の種」寺田寅彦著 より

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寺田寅彦は、私生活ではかならずしも幸福とは言えなかったようだ。一人目の奥さんは、ちいさな子供を残し若くして結核でこの世を去っている。感染を恐れた寺田の実家は、二人をひきはなし、寺田は妻の死に目にもあえていない。

フィジ・ガールの出番ですよ

さて、最近は山ガール、歴女、宙ガール、理系女などと女性がブームを作っているが、次は物(物理)女(フィジガールとでも呼ぶのだろうか)の番であろうか?

おっと、今回もまた、透析とは関係のない話になってしまった。

ごめんなさ〜い。