田端駅前クリニックスタッフのブログ

放任主義の教育とは(その2)

 

さて、前回の「ゴロゴロ体操」の“オレンジ色の彼”をめぐるお話から、考えさせられたことを少し続けさせていただきます。

 

放任主義の教育

オレンジ色の彼が、やんちゃに駆けまわっていながらも、結果的に誰にも迷惑をかけていなかったこと。加えて、母親のあきれ果ててささやくような声がけに、ス〜ッと言うことを聞く姿を見て、『おっ!出来る子!』と思ったのです。

が、しかし、実は。。。

流石(さすが)なのは、「オレンジ色の彼」ではなく「お母さん」だったのかもしれません。

もし「彼」が人に迷惑をかけながら蛇行したりゴロゴロしたりしていたら、きっと『あの子の母親は何をしているんだ!(怒)』という雰囲気になったかもしれません。

しかし、そんな雰囲気にならなかったのは、

 ・オレンジ色の彼が、なんだかんだ人に迷惑をかけていなかったこと

 ・母親が、きちんとさりげなく「見守り」行動をしていたこと

にあるように感じるのです。

私は、単にそれぞれの親子関係の断片を見ているに過ぎないのですが例えば、

金切り声を上げて「いい加減にしなさい」「いい子にしていないと、もうおやつあげないよ」という母親もいれば、子供がどこで何をしようがスマホいじって子供に全く無関心の母親を見かけることもある。

「放任」と「放置」は全く違う。私は国語学者でも文系知識に長けているわけでもないので、2語の違いの議論できないのですが、

しかし「オレンジ色の彼」の母親は、ある一定のところまでは「放任=彼の判断に任せる」ことができる原理原則の教育(しつけ)ができていて、既に信頼関係が築けているように感じたのです。

傾聴

 

社会人教育に放任はあり?それともなし?

「いい加減」ってどんな加減なのか。「いい子」ってどんな子なのか。

親子の間に、その共通理解がないのに「いい子にしなさい」って金切り声で言われても子供はピンと来ていないかもしれない。

「いい子ってどんな子?」(子どもの疑問)

 

さすがに大人はそこまでではない…ことを願うが、

『これをやってごらん。あなたのセンスで。』と言われた時、言われた側の社員は、一体どう思っているのか、ちょっと気になったのです。

「やり方を教えてくれないから、出来るわけないしぃ〜」なのか、それとも

「私のセンスを信頼してくれているのかも。頑張ろ!」なのか。

どちらに転ぶも、「見守り」のあり方は、「原理原則の教育」と「信頼関係」のあり方次第なのかもしれない。

 

「相手の気持ちを考えて行動しなさい」と言われた時、言葉は分かっても何を意味しているのか、本質の理解ができていないことの方が多いかもしれない。

 

 ため息

 

こちらが「こんなこと当たり前」と思っていることに限って、他者にとってはスペシャルなことで、「それって、◯◯さんだから出来るけど、普通の人には無理だよね。」くらい思っているかもしれない。

こうなってくると、どちらの良し悪しの問題ではなく、どちらにも改善ポイントがある。

 ・「できて当たり前」は、指導者の怠慢

 ・「普通の人には無理」は、努力したくない者の言い訳

その溝を埋めるのは、言葉を交わすこと、思いを交わすこと。

やはり『コミュニケーション』なのだと思うのです。

 

やる気ギラギラ

 

そして、透析患者さんと医療者も同様。

「毎日毎回顔を合わせているから、わかっているはず。わかっているつもり。」

そんな「おごり」が私たちにあってはならない。

決してそんな思いを持ってはいけない、行動を取ってはいけないのです。

 

『質の高い医療』を提供するためには、先ず心からの対話を積み重ねることこそが、その基板になる。

そんな事を考えさせられた、ある日の午後でした。


この続きは、また別の機会に。

 

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