田端駅前クリニックスタッフのブログ

放任主義の教育とは(その2)

 

さて、前回の「ゴロゴロ体操」の“オレンジ色の彼”をめぐるお話から、考えさせられたことを少し続けさせていただきます。

 

放任主義の教育

オレンジ色の彼が、やんちゃに駆けまわっていながらも、結果的に誰にも迷惑をかけていなかったこと。加えて、母親のあきれ果ててささやくような声がけに、ス〜ッと言うことを聞く姿を見て、『おっ!出来る子!』と思ったのです。

が、しかし、実は。。。

流石(さすが)なのは、「オレンジ色の彼」ではなく「お母さん」だったのかもしれません。

もし「彼」が人に迷惑をかけながら蛇行したりゴロゴロしたりしていたら、きっと『あの子の母親は何をしているんだ!(怒)』という雰囲気になったかもしれません。

しかし、そんな雰囲気にならなかったのは、

 ・オレンジ色の彼が、なんだかんだ人に迷惑をかけていなかったこと

 ・母親が、きちんとさりげなく「見守り」行動をしていたこと

にあるように感じるのです。

私は、単にそれぞれの親子関係の断片を見ているに過ぎないのですが例えば、

金切り声を上げて「いい加減にしなさい」「いい子にしていないと、もうおやつあげないよ」という母親もいれば、子供がどこで何をしようがスマホいじって子供に全く無関心の母親を見かけることもある。

「放任」と「放置」は全く違う。私は国語学者でも文系知識に長けているわけでもないので、2語の違いの議論できないのですが、

しかし「オレンジ色の彼」の母親は、ある一定のところまでは「放任=彼の判断に任せる」ことができる原理原則の教育(しつけ)ができていて、既に信頼関係が築けているように感じたのです。

傾聴

 

社会人教育に放任はあり?それともなし?

「いい加減」ってどんな加減なのか。「いい子」ってどんな子なのか。

親子の間に、その共通理解がないのに「いい子にしなさい」って金切り声で言われても子供はピンと来ていないかもしれない。

「いい子ってどんな子?」(子どもの疑問)

 

さすがに大人はそこまでではない…ことを願うが、

『これをやってごらん。あなたのセンスで。』と言われた時、言われた側の社員は、一体どう思っているのか、ちょっと気になったのです。

「やり方を教えてくれないから、出来るわけないしぃ〜」なのか、それとも

「私のセンスを信頼してくれているのかも。頑張ろ!」なのか。

どちらに転ぶも、「見守り」のあり方は、「原理原則の教育」と「信頼関係」のあり方次第なのかもしれない。

 

「相手の気持ちを考えて行動しなさい」と言われた時、言葉は分かっても何を意味しているのか、本質の理解ができていないことの方が多いかもしれない。

 

 ため息

 

こちらが「こんなこと当たり前」と思っていることに限って、他者にとってはスペシャルなことで、「それって、◯◯さんだから出来るけど、普通の人には無理だよね。」くらい思っているかもしれない。

こうなってくると、どちらの良し悪しの問題ではなく、どちらにも改善ポイントがある。

 ・「できて当たり前」は、指導者の怠慢

 ・「普通の人には無理」は、努力したくない者の言い訳

その溝を埋めるのは、言葉を交わすこと、思いを交わすこと。

やはり『コミュニケーション』なのだと思うのです。

 

やる気ギラギラ

 

そして、透析患者さんと医療者も同様。

「毎日毎回顔を合わせているから、わかっているはず。わかっているつもり。」

そんな「おごり」が私たちにあってはならない。

決してそんな思いを持ってはいけない、行動を取ってはいけないのです。

 

『質の高い医療』を提供するためには、先ず心からの対話を積み重ねることこそが、その基板になる。

そんな事を考えさせられた、ある日の午後でした。


この続きは、また別の機会に。

 

放任主義の教育とは(その1)

皆さん、久しぶりの投稿です(チョコ好きマネージャーです)。

今日は、先日地下鉄の乗り継ぎ通路で、ある親子を見かけた時のお話をひとつ。。。

 ※少し長くなるので、今回は2回に分けて。
  いずれも全編を通して気軽に読み進めていただけたら幸いです。

 

元気が一番!

先日、都内の地下鉄乗り継ぎ通路で、ある親子を見かけました。

その日は、昼過ぎの平日ということもあり人出はまばらで、の〜んびりとした雰囲気。

リッチなランチミーティング(井戸端会議?!)帰りの奥様方や、少し早めの夕食の買い物に出かける主婦、外回り中のサラリーマンなど、それぞれの目的に向かってそれぞれの早さで歩みを進めていたのです。

そんな中、パキッと目の覚めるような鮮やかなオレンジ色の上着を着た子供の姿が通路の先に見えたのです。その子は私の100m位前にいたのですが、それは間違えなく男の子!

私の目に入ってきたのは、人の間から見え隠れするオレンジ色の上着、上体を右に左にと傾けながら蛇行する様子は、紛れも無く幼稚園位の年代の男の子特有の動きだったのです。

ジェット機のプラモデルを片手に『びゅぅ〜ん』っと叫びながら走り回っているのかしら。。。

そんなことを考えながら、徐々にその男の子との距離を詰めていくと。。。

予想通り、その子は幼稚園位の男の子でビビットなオレンジ色のフリースに渋い紺色のコーデュロイパンツを履いていました。その時、ふと昔母から聞いた話を思い出したのです。

 

 〜回想〜

私には3歳年上の兄がいるのですが、子供の頃それはそれはやんちゃで、ちょ〜っと目を離すと、どこに行ったか分からなくなる。「もぉ〜本当に嫌になっちゃう(母)」

その上、好奇心旺盛でサービス精神満載な可愛い男の子「だった」ものですから。。。行った先々で『ニコッ』の笑顔で一瞬にして人気者になり、その場の雰囲気に同化してしまう。

『そりゃ〜大変だったわよ。何とか見失わないよう少しでも目立つように「赤い色の洋服」を着せたの。だから初孫長男なのにお兄ちゃんは赤い服が多いのよ。』(母、談笑)

赤ちゃん笑顔

 ※誰にでも好かれる笑顔の持ち主。

 

なるほど。。。

地下鉄の乗り継ぎ通路で、真っ直ぐに伸びる通路をワインディング・ロードの如く蛇行を決行しているオレンジの彼に対しても、きっとそんな母親心(苦難)があるのでしょう。

 ※お母さんは大変です。。。

 

 

「しつけ」って。。。

さてさて、そんなことを数十秒間で考えながら歩みを進めていると、オレンジの彼の声が聞こえるエリアに突入!・・・ん?

おやおや??

さぞかし騒がしいのだろうと思っていたのですが、一人で上手に人の迷惑にならないように呟きながら遊んでいる。お行儀の良さすら感じたのです。

「お外では大きなお声で話してはいけません。他の皆さんのご迷惑にならないように。」

そんな、お母さんの言うことをオレンジの彼は彼なりに受け入れているかもしれない…むしろしつけの良さを感じたくらいです。

しか〜し!動きはめちゃくちゃアグレッシブ。

この話だけを聞くと、さぞかし周りに迷惑をかけているのだろう。とご想像の方も多いかと思いますが、実にオレンジの彼は絶妙だったのです。

蛇行して進んだかと思うとお母さんの周りをクルクル。今度は後方へ引き返したと思ったらまたお母さんの元へ戻ってきて、クルクル。。。クルクル。。。

その間、誰一人として彼にぶつかる者はおらず、彼の動きに合わせて道を譲らなくてはならない大人もいない。実に巧みに人の間をすり抜け、「お邪魔にならないように」一人遊びをしているのです。

『小僧、やるな!!』そんな感じなのです。

 ※きゃ〜小僧なんて表現を使ってしまい失礼を致しました。

こども海賊

 

その時、お母さんは。。。

そのアクティブさに限界はなかったのです。

オレンジの彼は、一人でS字道路をスイスイ走行するオートバイの如く、自由走行を存分に楽しんでいたのです。

しかし次の瞬間!! 「彼」が私の視界からスッと消えたのです。

「あっ!転んじゃった!!」と一瞬、ハッとしました。

ところが、ドスンという音も鳴き声もしないのです。

あれあれ???

 

なんとオレンジの彼は、両手両足を上下にピンと伸ばし、広い通路の上で大変姿勢の良い『ゴロゴロ』していたのです。

自分が太巻きの具にでもなったかのように、楽しそうな笑顔で『ゴロゴロ』

通路幅の1m20cmは占領しているはずなのに、奇跡的にも誰にも迷惑をかけずに『ゴロゴロ、ゴロゴロ』

 

 

 

転がるハリネズミ

 

 

・・・クスッ(笑)・・・

さすがの私も、思わず笑ってしまいました。

まぁ、その一連の行動があまりにも自然で、楽しそうで、よくよく観察すると誰にも迷惑をかけていない。「流石」の一言に尽きるのでした。

「やるなぁ〜こいつぅ〜 ただ者ではないぞ!!」

そして私がクスッとした瞬間、オレンジの彼のお母さんが、初めて彼に声をかけたのです。

「・・・もう勘弁してぇ…」

力無げに、乳飲み子(オレンジの彼の妹さんでしょう)を抱っこしながら、荒らげるでもなく声なき声をオレンジの彼に向けて一言発したのでした。

 

「いやいや、そんなヤワな声掛けに応じる「彼」ではなかろう。。。」

他人の私は勝手にそう思ったのですが、なんと!何も見えない、何も聞こえていない体(てい)で『ゴロゴロ』していた彼が、す〜っと母親の側に寄り添い、母親の腰辺りの洋服を握って一緒に歩き始めたのです。

その一連の光景を目にした時、ふと「放任主義」の教育。。。という言葉が脳裏によぎったのです。

少し長くなりましたので、続きは次回に。

 

 

寄り添うチューリップ

組織のハーモニーを高めるコツとは?

引き続き、たまらんうまいは、焼きナスは!

またまたナスの話で恐縮だが、私は大のナス好きである。

漬物、焼き物、油との相性も抜群だし、和風にもイタリアンにもあう。

料理は、様々な素材のハーモニーだ。どんなに高級な素材も組み合わせがまずければ台無しである。

焼きナスには、ポン酢(願わくはすだちがよい)におろししょうが、そして削り節だ。ゆらゆらとゆれている削り節をなすを覆うようにしてはしでつまみ口に入れる。ほのかに甘い茄子の肉汁としょうがの刺激が口のなかで混ざり合う。ああ、至福の時!

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日本酒をちびりちびりやっても、ビールをぐびぐびとやっても、これがまたよく合うのである。

料理は素材同士の関係、調味料、調理方法等で絶妙なハーモニーが生まれる。

よくよく考えると、組織においても「この考え方は当てはまるのでは?」と思う。

「いや、いや何言ってるの料理と組織は全くの別物だろ!」とツッコミ覚悟で話を進めたい。トク・トク・トク・・

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働きアリの2割が実はサボっているという事実!!

組織論では、仕事のできない人(しない人?)をどう処遇するかが問題になる。2対8、2対6対2の法則などと言われ、2割はポジティブだが、同じように2割がネガティブ、残りの6割は中間層でいずれかに引っ張られる。勢い仕事をしない2割の人は排除したくなる。

蟻の社会も同じだそうで、働きアリの中にも2割は働かない怠け者がいるそうだ。そして、その怠け者を取り除いてもまたあらたな2割の怠け者が発生するといわれている。排除を続けていったら誰もいなくなったという顛末になってしまう。

著者によると、しんどくなったら怠けられるということがコロニーの安定に必要なのだそうだ。

蟻たちに

あいつらはけしからんとか、働いてばかりでああ~しんどとか、わてらばっかりやってられまへんな~

といった感情や意識があるとは思えないので、自然の摂理とはなかなか奥深い。

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組織のハーモニー

では、2割は怠け者のままでどうしようもないのか?

ある中小企業の社長さんは、中小企業に優秀な人材が来ないとなげいてもしょうがない、とおっしゃっている。

そして障害のある人を積極的に採用する。みんなが一生懸命面倒をみてチームワークが良くなるからだといっている。人を分類するのではなく、どのようなチーム・組み合わせの時にパフォーマンスが上がるのか、それを見極めよといっている。

高級食材はそれだけで十分おいしいものだが、高級食材を組み合わせてもおいしい料理になるとはかぎらない。焼きナスに高級食材はないが・・至福の料理である。

そして、焼きナスのてっぺんには一つまみのおろしショウガが自慢げな顔をしてのっかっているではないか

どのような組み合わせにすれば、みんなが輝けるのか、そして良い成果をだせるのか?

当透析クリニックは、小さな組織でありネガティブな2割は存在しないことを願うが、チームワークは重要である。

そういえば、一般的には若い人はナスが嫌いという人が多いようであるが、新人ながら「なすび」が大の好物(好きなもののベスト3に入るらしい。。。)という変わったスタッフがいる。

※ちなみにこの新人、なすに次いで好きなモノの2位がホタルイカ、3位が。。。ホットドック(笑)

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このスタッフはどこか奥が深く・・時々鋭い輝きを発するのである。仙人力ではとても太刀打ちできない。

焼きナスはがんばれベアーズ

尾久銀座の八百屋さん

秋ナスは嫁に食わすな・・と言われるが、昨今こんなことを閣僚がくちばしったものなら、即座に謝罪の上辞職であろうか。

美味しいものを嫁に食わすなということはあるかもしれないが、これは、秋口になって若い女性に体を冷やす夏野菜を食べさせてはいけないという薬膳の思想からきている。(確か??)

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街の「魚屋さん」「八百屋さん」「お肉屋さん」などいわゆる食材の専門店がなくなりつつある。

田端界隈では「田端銀座」や「尾久銀座」など、地元の商店街がいまだ健在でにぎわっている。田端銀座はTVでも紹介されたそうである。だからと言ってその後特別なことが起こるわけでもなく、昨日と同じ毎日が続いているようだ。

「八百屋」では、スーパーなどのパッケージには到底収まりきらないくらい大きく育ったいわゆる規格外の長ナスがザル盛りで売られていてトレーやビニールの包装を省くことができエコでもある。

大きいだけのいわゆる「ボケナス」の可能性は否定できないが・・

ここは店主の勧めに乗ってみることにした。なすびごときでたいそうな話であるが・・

焼きナス(8割方電子レンジで加熱する、なんちゃって焼きナスであるが)にするとジューシーかつ濃厚でビールがすすむ。絶品である。

さすが、長年野菜を見続けててきた店主の眼力はさえている。一見、見た目が揃っている方が商品としてよいようにも見えるが、実は規格外の力はなかなか侮れない。


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がんばれベアーズ

ことはナスや野菜ばかりではなく、人の世も実は同じである。

人の世も規格品ばかりではつまらない。

しかし、規格外の(と思しき)人材を見抜きうまく活用するのは生鮮食品の比ではなく難しい。

がんばれベアーズという映画をご存じだろうか

町の政治家が自分をアピールするために作った、野球などまともにやったことがない子供たちからなるガラクタチーム・ベアーズ。そこへ元マイナーリーグの選手であった飲んだくれのオヤジが監督に就任する(呑んだくれ監督を演じるウォルターマッソーがとてもよい)。ジーンとくる涙か、笑いすぎの涙かわからなくなるほど顔がクシャクシャになる、痛快スポーツコメディである。

初戦、チームは当然のことながらとんでもない大敗を喫っするが、飲んだくれ監督が奮起し曲がりなりにも練習を始める。

相変わらずのガラクタメンバーであるが、監督が才能ある2人をスカウトすることで、チームは勝つことを知る(この2人もアウトローである)。グランドには9人の選手がいるが、勝つためにこの2人が中心となってプレーする。

勝ち進んでいく中でガラクタチームの子供たちの気持ちや意識が変化し、チームも一人ひとりもともに変化、成長していく。

そして飲んだくれの監督も・・

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チームがピンチのとき、「負けたくないから、僕を出さないで」と言う補欠の少年を、

「ベンチを暖めるために生まれてきたんじゃないだろ」

といってダイアモンドにたたき出す監督。直後この少年がファインプレーでチームを救う。

ストーリーそのものについては、「現実はそんなもんじゃないよ!」というむきもあるかもしれないが、いくつもの現実の一端を描き出していて、虚構ではあるけれど、たった2時間ではあるけれど、いい映画には侮れないリアリティがある。そして大いに泣き笑いできるのである。

「映画って本当におもしろいですね~」というのは私だけか?

 

医療は科学にささえられたアート

アメリカの著名な内科医であるウィリアム・オスラー先生は

「医療は科学にささえられたアートである」

という有名な言葉を残されている。医療は進歩する科学の成果を人に適用する技であるということであるが、このアートには、科学では説明しきれないという意味を含んでいる。そして技術ということとハートということの両方の意味があり、もちろん技術には、手技だけでなくコミュニケーションということも含まれるのであろう。

医療技術の進歩は目覚ましく、透析の医療機器もこの数十年で大きく改良されてきた。

我々透析医療機関としては、最新の医療技術の導入し的確に適用していくことに努めることはもちろん必要であるが、患者さんと日々対話や、ケアをさせていただき、時にはお叱りの声やお褒めの言葉頂いたり、一緒に泣き笑いする中で、医療機関としても職員一人ひとりとしても成長させていただいているのではないかと考えている。

またこのことをこれからも大切にしていきたいと考えている。

私たちもがんばれベアーズのように、前進するスピリットを忘れないようにしたい。

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新人類ならぬ新老人の時代

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年輩の方から見ると、いつの時代も若者は不可解なもので「新人類」などと呼ばれている。

そして、その時代の特徴を表し「〇○世代」「〇○症候群」などと表現する。私が、とりあえず社会人となった時代は、卒業してもすぐに就職せずにインドを放浪してみたりと、人生の決断を避けのらりくらりとしているものが多く「モラトリアム症候群」と呼ばれていたように記憶している。当時も新人類は旧人類からは異端の眼で見られていたようだ。

普段はあまり気づかないが、ITの進化でこどもたちの身近な環境が大きく変わっている。

今のこどものおもちゃであり教育ツールはスマホやタブレット端末であり、小学1年生ともなれば大人からみても達人の域に達している。しかし、彼らにとってはそれが当たり前なのである。

「最近の若者は・・」などと思い始めたら精神が老化してきた証拠かもしれない。

要注意である。

当透析クリニックにも20代のスタッフがいるが、彼らから見るとこの仙人などは、やはり仙人としか見えないのであろう。

 

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新老人登場

さて、みなさんは「新人類」ならぬ「新老人」をご存じであろうか?

聖路加国際病院理事長の日野原重明先生は、103歳の現役医師としていまだ講演活動など積極的に活躍されている。この日野原先生が3つのモットーと1つの使命を掲げ「新老人の会」を結成し、新老人の普及に努められている。

3つのモットーは①愛すること(to love)②創めること(to commence or to initiate)③耐えること(to endure)である。(ユダヤ人でゲットーを生き延びられた哲学者のビクトール・フランクル博士も同じことを指摘されている。)

日野原先生は、ご自身はかなり前からFace Bookをはじめられ、多くの新老人にFace Bookを普及させている。

①    ②はさておき、③の耐えることとは・・、

じっと耐えることはどうも健康に悪そうだし、耐えなければ周囲と軋轢を生んでこれまたストレスフルで健康に悪そうである。

「やり過ごす技」とか「受容する力」とでもいえばよいのであろうか?

老人力は仙人力?

数日前に、赤瀬川原平氏が亡くなられたという記事を目にした。

十数年前、日本が高齢化社会だ、大変だと騒ぎ始めたころの赤瀬川原平氏の著書に「老人力」がある。具体的な内容はあまり記憶がないが、いたく同感しニンマリしながら読んだという記憶がある。

あいにく手元に著書がないが、便利になったものでAmazonの書評にたよると、「老人力とは、物忘れ、ボケ味、アバウト、よいよい、溜息にポジティブな価値を与えてみたものである。負け惜しみに限りなく近いがやや異なる。」とある。

なんだ「仙人力」とあまり変わらないではないか。仙人もそれなりに老人力を身に着けてきたということか?喜ばしいことかどうか・・・

新老人にも、日々できなくなること、わけがわからなくなることが当然あるはずだ。しかし、それはそれとして受容し、それでも何か新しいことを始めよう、それも、好奇心を持って、ほかのひとと一緒に、楽しみながらはじめようというのである。

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自由になる時間を有効に

日野原先生はまたこのようなことをおっしゃっている。

「いのちとは自分の自由になる時間のことである。」と

当透析クリニックでは、週12~15時間の透析時間を、患者さんに自由に使っていただきたいと思っている。もちろん、透析中であるのでできることには一定の制約がある。

リクライニングチェアとネット環境を整備し、ご自身のITツールでお仕事やネットサーフィンをしていただく、インターネットTVを用意し、テレビの視聴、ビデオオンデマンド、TVでのネットサーフィンなどを活用していただくことが可能である。

もちろんリクライニングチェアを倒してゆっくり休息していただくことも可能である。

今後とも患者さんのこのようなニーズには可能な限り対応していきたいと考えている。

青山でホスピタリティ研修?!(その3)

 

※前回の青山でホスピタリティ研修?!(その2)からの続き(ラストです)。。。

 

歓迎されている感、満載!

さてさて、Wating Spaceで「凄ぉ〜い」なんて感じながら店内をさり気なく見回していると、『こちらへどうぞ』とシャキッとしたスタッフに誘(いざな)われ奥のテーブルに案内されたのです。

 

そこで、まず目に入ってきたのは完璧なテーブルセット。決して仰々しいものではなく、可愛かったりキュートだったり、ちょっとな感じのセッティングでした。

そして、その並びにポストカードくらいの大きさのメニューリストが置かれていたのですが、ここまでの流れからすれば皆様もご想像の通り、メニューリストに各人の名前がそれぞれ印字されていたのです。

ここでもダメ押しの『歓迎されている感、満載のお出迎え』。

 ※「さりげない」けれど、さすがです。

 

食事がスタートしても、このホスピタリティ溢れるおもてなしは続き、皆で感動しまくりだったのです。

 

感激のおもてなし

飲み物の好みを短時間で見極め、「サービスです」とフレッシュで可愛いドリンクをサーブしてくれたり、食事中に上着を羽織ると、「空調を弱めておきましたので」と、すかさず先回りの対応。

丁寧な言葉遣いでありながら、かしこまり過ぎず、快適な距離感を保ちながらユーモアを交えた小気味の良い会話。

スタッフ同士も、常に声がけや目で合図を送ったりと意思疎通をを心がけ、テーブルの状態、振る舞いなどを気遣っている姿は、「最高のホスピタリティを提供するために必要かつ重要な行動です」というお店の姿勢。

そんなおもてなしを受けながら、私たちはとても心地よいひと時を過ごしたのです。

そして、食事も終盤。女子の楽しみはディナーの最後に訪れる。

そう、デザート♥〜゜

そんなウキウキ気分の時、スタッフの方が声をかけてくれたのです。

『よろしければテラス席が空きましたので、風にあたりながら。いかがですか』

 

“最後の最後まで、最高の時間を過ごしていただきたい”

 

そんな、言葉ではない「おもてなしの心」を感じたのでした。

 

マンハッタン夜景

 

 

私たちの気付き、そして透析施設でできること

さて、感動の研修を終えた後、先の「青山でホスピタリティ研修?!(その2)」でお伝えした「研修レポート」でコンシェルジュ達は、様々な気付きと学びがあったことを伝えてくれました。

 

「患者さんにお薬をお渡しするときなど、今まで意識したことのなかった状況で、笑顔と姿勢を気をつけることで、とても印象が変わることに気づいた」

「シャキシャキした歩き方はとても美しく、自分も目指したい」

「患者さんをお迎えする時やご案内する時、透析室内を歩く時など、服装の整え方や姿勢がしっかりしているだけで十分好印象かつ質の良さが伝わるのだと感じた」

「今までは、声をお掛けしたらご迷惑かな。。。とか、気を使わせてしまうかな。。。と気が引けていたことも、気遅れせずチャレンジしてみたい」

「作りこんだものより『にじみ出るようなもの』の方が気持ち良いので、心からできるような人間性を持てるよう成長していくことが大切と思った」

「相手の立場に立った接客の立ち居振る舞いをクリニックで実践したいと思う」

 

私たちならでは…のホスピタリティ

ホスピタリティを考え始める最初の頃は、ともするとやり過ぎではないかと心配になることもあります。

良かれと思ってして差し上げたことが「余計なお世話」だったのでは。。。と心配して、気にして、気になって。。。なんて経験、誰しも1度や2度はあるのではないでしょうか。

また一方で、「こんなこと言ったらお嫌かな、ご迷惑かな。。。」って心配し続けるあまり、結局何も出来ずじまいになることも、日々多々遭遇する経験です。

しかし思うのです。

結果として余計なお世話になってしまったり、思い切って行動したことを後悔したとしても、大切なのは『行動すること』と、そこにある『気持ち』『心』だと思うのです。

 

透析患者さんは、1日おきにクリニックにいらっしゃいます。頻繁に顔を合わせていると「また他愛もない会話をしたらご迷惑かも」って考えが頭によぎったりしてしまうのです。

慢性疾患である透析と共に人生を送られている患者さんは、これまで様々な葛藤や悩みを繰り返し、乗り越えられ、また今もなお抱えていらっしゃる。そんな思いと共に生きられている患者さんに、どんな声をお掛けしたら良いのか躊躇することも多々あるのです。

しかし、そんな時こそ「患者さんの快適のためにできること」を真剣に考え、そこに「誠実で、真面目で、本当の心」があるのならば、きっとその思いは通じる、そう信じているのです。

 

先のホスピタリティ研修先でのサービスですが、

一方的に「サービスです」と持ってきてくれたフレッシュフルーツのカクテルが好みでなかったとしても、私たちを思って提供してくださったサービスは、決して不快なものではないのです。恐縮することはあっても「迷惑だ!」ってことにはならないと思うのです。

そこには間違えなく、嬉しい思いが “ほんわ〜か♥”と心と記憶に残る。

そう思うのです。

 

トロピカルドリンク

 

 

 透析施設におけるホスピタリティとは何か。。。

 

日々考え、日々チャレンジではありますが、異業種の最高のホスピタリティに触れ、学び、日常の何気ないサービスに気づくことができるアンテナを育み、バリ3※状態を保持することが重要と思うのです。

 

 

『心』を育む努力を止めないこと!

 

人は弱い生き物ですから。。。

 

 

 

 ※バリ3(ばりさん):携帯電話のアンテナが「バリバリ3本立ってる」という古語
(古〜い!なんて声がちらほら。。。「バリィさん」ではございませんので悪しからず。失礼致しました(^^);)

バリィさん

 

 

青山でホスピタリティ研修?!(その2)

 

※前回の青山でホスピタリティ研修?!(その1)からの続き。。。

 

立ち居振る舞いは「質」を物語る

まずはWaiting Spaceに着座。

「社長との会食」というシチュエーションで、コンシェ2名は緊張の面持ち。

そんな中にあっても、彼女たちは後の研修レポートでこんな第一印象を語ってくれました。

 

・自然でスマートなお出迎えに感動

・一つ一つの行動が、とても丁寧

・立ち姿、歩き姿がシャキッとしている

・これらがとても好印象で『質の高さ』を感じた。。。と。

 

身だしなみや立ち居振る舞いは、雄弁に「質」を物語る。

 

よく「見た目は重要」といいますが、体裁を整えるだけの見た目は、本来の「見た目の重要性」を語れないと思うのです。

むしろ形ばかりの見た目は、場合によっては滑稽に映ったりすることもある。

 

人の内なるものが見た目に反映される。

 

見た目を綺麗に着飾っても、内なる怠慢はカバーしきれない。

すなわち内面が育まれれば、自ずと「見た目」が変化するのではないでしょうか。

 

良い緊張感を持って仕事をしていれば、自然と行動がシャキッとする。

温かい心を持って対応していれば、自然な笑顔が現れる。

 

未熟さを補うために形から入ることも、成長のステージの一時には重要であり必要なことです。

 ※一般的にそれをマニュアルというのではないかと思っておりますが。

 

しかし、人は怠惰で弱い生き物ですから、いずれ府の習慣が顔を出し楽な方向へと流されれる。。。そうなる前に(マニュアルに沿って行動する中で)心が鍛えられる必要がある。

そういうことだと思うのです。

 

センスは育つか。。。

さて、私達はまだWating Spaceに通されただけなのですが。。。

ここで、ひとつ問題提起!

「素晴らしいことを直感的に『素晴らしい!』と感じることができるセンス」

私たちは、日常的にこのように感じることができる「センス」を持っているでしょうか。

 

このセンスがあれば「人間力の成長」に限界はないと思うのです。

その「センス」を育てるためには「素晴らしいもの」に触れ、感じる機会が必要。

その機会は、高級なものの中にのみあるものではなく、ごくごく日常にもたくさんあふていているのです。

 ※本ブログに登場する、社食やSバックスがその一例

 

しかし、そのセンスが成長段階にある時期は、圧倒的なホスピタリティに触れる機会を設けることで「センス」を喚起することも時には必要。

今回の研修は、そんな趣旨も含んでいるのです。

 

さてさて、本研修の本題はこれから。。。

一流のホスピタリティとは何か?

コンシェルジュ達は、この後さらに何を感じたのでしょうか。。。

 

ガーベラピンク

この続きは、次回と致します。

リーダーになるひと、名前だけリーダーのひと

何処にいても、誰といても、たとえ自分一人だったとしてもリーダーシップは重要です。私たちは自分のリーダーだからです。

四人の人の物語

 

みなでやらなければならない

重要な仕事があった

誰かがきっとやるだろう

と皆が思った。

誰でもやることができただろうに、

だれもやらなかった。

皆の仕事なのに

と誰かが腹を立てた。

誰でもやれることだと

皆が思った。

しかし、誰もやらないだろうとは、

誰も気づかなかった。

誰かに頼んだ人は

誰もいなかったのに、

最後にはみなが誰かのせいにした。

(引用:新将命「経営の処方箋」)

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程度の差こそあれ、よくある話だと思いませんか?あなたの組織ではどうでしょうか?

誰かのせいにしていませんか?

同僚のせい?

上司のせい?

組織のせい?

患者さんのせい?

 

その原因は何でしょうか?

残念ながら、どのような言い訳をしてもその責任はリーダーにあると言わざるを得ません。

 

自分を蚊帳(かや)の外に置く至福

 

でも、ここだけの話、人のせいにすると楽でいいですよね。

「だって私は関係ないもーん」「私は悪くない」「上司が悪い」「部下の能力がない」「組織が悪い」と理由をつけて涼しい顔をしていられますから。

いやはや、不謹慎な話ですが。

 

しかし、逃げ回っているうちに最終的には付けが回ってくることになり、楽した分だけ損をするのですけどね。

 

そして、人に依存し責任を取ろうとしない人は、そのうちに誰からも当てにされなくなり、それこそ組織の蚊帳(かや)の外です。

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さて、話を元に戻すと各部門のリーダーが、部下に対して率先垂範し主体的な行動をとっていれば自ずとこのような事にはならないでしょう。

 

私たちのクリニックではいつも参考にしている本があります。「7つの習慣」です。

その中の「第一の習慣 主体的である」という項目があります。

著者のコヴィー博士は、仕事でも人生においても、よりよい結果をえるためには、最初に主体的に行動することが必要と指摘しています。

確かに職員一人一人が主体性を発揮すればこのような事態は避けられるでしょう。

しかし、言うのは易し、本質的に組織に根付かせるのは根気がいることです。

 

本当に大事な事は実行されないという事実

 

組織の変革は一朝一夕にはできません。

それは、透析施設でも同じです。

 

先ほども言いましたが、根気のいることですから、どうしても後回しになってしまいます。

人は目の前にある仕事、急いでいる仕事を優先してしまいます。

日常の忙しさにかまけているうちに

だんだんと忘れてしまいます。

本当に大事なことを忘れ去ってしまいます。

放置してしまいます。

本当に大事なことが放ったらかしになってしまいます。

 

各部門のリーダーが後回しにし、わかってはいるものの誰かがやるだとうと思ってしまいます。

 

だから行動が起きません。

 

行動が起きないので、何も変化が起きません。

 

その結果、1月前、半年前と何も変わりません。

 

そして、ある時、変化が起きていないことに気がつきます。

 

その理由を探し始め、リーダーは他のリーダーのせいにしはじめます。

 

アレレ!これどこかで聞いた話し!

そう先ほどの「四人の人の物語」

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ウーん、ここに「わかっちゃいるけど出来ない」といったパラドックスの構造があります。

ああ、リーダーシップとはかくも難しく、忍耐が必要なものです。

 

少なくても、第一の習慣だけでも忘れないようにしたいものです。

青山でホスピタリティ研修?!(その1)

 

今回は、先日実施したサプライズ研修のお話を、3話連続でお届けします。

 

体感型ホスピタリティ研修

今回の研修の目的は、

ホスピタリティを体感することで、ホスピタリティとは何かというインスピレーションを再起すること。もちろん職場に戻り、その体験を日常業務に活かすこともメインテーマの1つでもあります。

加えて社長との懇談会も兼ねています。

とかく立場上の距離が遠くなればなるほど、トップの考えが浸透しづらくなり、かつ現場の声が届きにくくなるもの。掲げたミッションに向けて活動するためにはこれも重要な機会なのです。

 

サプライズスタート

さて、当事者2名にはホスピタリティ研修とだけ伝え、終業後に青山の駅で待ち合わせ。

既に現場で待っている社長から電話で誘導されながら現場へ(徹底してブラインド)。

歩くこと5分。間もなく現場に到着。

すると2人は少々戸惑い気味の表情。何故ならそこは青山通りに並ぶ普通の雑居ビルの前だったのです。

 

おそらく「研修」と聞いていた2人は、椅子と机が並ぶ部屋に通され、ホワイトボードの前に立つ、姿勢と言葉使いと表情が誰が見ても完璧なマナー講師から、立ち居振る舞いや言葉使い等の指導・講義を受けると想像していたことでしょう。

しかし、私たちの社長は奇想天外。その辺の経営者とは違うのです!

 

『最上級のホスピタリティを習得するためには、

      最高のホスピタリティを体感することが重要』

 

そこでホスピタリティに定評のある、とあるレストランを研修の場に選んだのです。

ちなみに私も主旨は聞かされていたものの、お店の名前は聞かされていませんでした。

随行する私は、この学習機会をどのようにして現場スタッフ教育に活かしたら良いか。。。と思案する一方で、美味しいお食事をちょっとだけ楽しみにしていたのでした

 

 ※社長、ごめんなさい。私の飽くなき食に対する興味は尽きないのです。

 

体感型ホスピタリティ研修、スタート!

さあ、ここから体験型ホスピタリティ研修のスタートです。

 

先ず驚かされたのは、ビルの入り口で突然見知らぬ男性から掛けられた言葉でした。

「〇〇様、お待ち致しておりました!」

「???」

(うちの上司は顔パスになるくらい頻繁に来店しているのだろうか。。。)

 

Butler Presenting Blank Card on Silver Tray

 

後から聞いた話ですが、上司が過去に来店したのは数回程度。決して顔なじみではないらしいのです。では何故名前を言い当てたのか。。。

あくまでも想像ですが、来店時間や人数、予約時の内容から瞬時に判断する、この店独自の対応のよう。

ここでのポイントは、

①上階にあるレストラン入り口ではなく共有スペースであるビル1階のエレベーター前で、既におもてなしがスタートしていること

②「ご予約のお名前は?」と尋ねるのではなく、「〇〇様、お待ち致しておりました」という声掛け

 ※名前を呼ぶ行動に全く躊躇がなかったのにも驚かされました。

 

間違いなく『歓迎されている』空気感が一気に高まるホスピタリティです。

 

そんなことを考えているうちにレストラン階に到着。もちろんエレベーターの扉が開くやいなや、爽やかな笑顔が私たちを迎えてくれたのです。

「〇〇様、ようこそお越し下さいました!」

私たちは、少し背中がむずがゆく感じながらも、背筋がピンとした笑顔の黒服スタッフに誘われるままに、店内へと足を踏み入れたのでした。

 

 

花束1

(次号に続く)