田端駅前クリニックスタッフのブログ

真夏の夜の虫たちの饗宴

東京湾花火大会の夜

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8/8(土)は、ここ数週間では珍しく、朝からお天と様が雲に隠れ、蒸し暑さはあまり変わらないものの、ジリジリと焼けるような暑さは和らいだ。
新橋界隈では、夕刻浴衣姿の若い女性をちらほらみかけたが、その日は東京湾花火大会があったようだ。年をとると、夏は苦痛であるが、若者には開放的な夏が必要なのだろう。
ま、夏がないと、アルプス登山もかなわないとすれば夏もいたしかたないということか。
もっとも、35℃以上が常態になるような酷暑は勘弁してほしい。

田端に虫の音が響いた

田端でもここ数日間にくらべ(この間の不快指数があまりに高すぎたというべきだろうが)しのぎやすく感じられた。
夜が更けると、虫の声が聞こえるではないか。
季節的には立秋で、さすがに昔の人は偉いものである。

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このまま、秋らしくなってほしいものであるが、おそらくはそうは問屋はおろしてくれないであろう。

恋の季節の到来か

しかし、やや気温が下がったその一瞬の間に、虫たちが我が秋を謳歌するという、この用意周到さはどうだろうか

秋に鳴く虫たちの一生を見てみると、(小学生の頃の理科の課題研究のようだが)
夏の終わりから秋にかけて繁殖、産卵をする。
厳しい冬の間は、土中や木の中で卵で過ごし、春から夏になると羽化し成虫となって活動する。

鳴き声は秋の産卵に向けてのオスの縄張り示威とメスへの求愛行動のようである。早い者勝ちというのもあるだろうから、やや涼しく感じられる一瞬の隙も逃さず泣いているのかもしれない。

人の社会もよく似たようなもので、盆踊りとか夏祭りは、忙しい収穫の前の農村社会における「無礼講」のようなもので、若者にとっては、大切な恋の季節ということになる。

人の世界は、恋の季節などとオブラートに包んだ麗しい呼び方をしているが、生き物にとっては、厳しい(遺伝子の)生存競争である。

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*なんていう虫か知りませんが・・なんかかわいい

それは厳しい生存戦略だ

企業の事業戦略では、機先を制し、いち早く世の中に新しいサービスや物を提供することが、常に勝つために重要であるとは限らない。
まだ元気のあった頃のソニーは、現在アップルがi-podで作り上げたようなネットによる音楽配信モデルを、アップルに先駆けてウオークマンを使って可能にしていたし、アイボという犬型ロボットをいち早く社会に投入したりした。常に一歩先の技術開発を行い注目を集めていた。

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しかし、時期尚早であったのか、事業戦略がうまくなかったのか、いずれの事業も大きな成功を収めることができなかった(アイボの事業は売却されている)

患者さんが、自らふさわしい医療機関を選択できるようにーOasisの願い

当院でも、透析患者さんが自らのライフスタイルにあわせて、もっとも望ましいと思われる透析施設やサービスを自分で選択できるよう、早くからインターネットを通じてオープンな情報提供をおこなってきたが、その効果が現れるまでには一定の期間を必要とした。

さて、早鳴きのコオロギたちは、首尾よく子孫を残すことに成功するのであろうか?

はて、早鳴きのコオロギたちは、その早鳴き戦略によって子孫を残すことに成功した物たちの子孫なのかもしれない。

しかし、それもいつも成功するとは限らない(かもしれない)

早鳴き行動は、遺伝特性として彼らの遺伝子に刻まれているのであろうか?

秋よ来い!

昼間は相変わらず蝉の声、夜は虫の声と、ここしばらくは一日中賑やかな日々が続くのであろう。

何れにしても、早く虫の音がふさわしい季節になってほしいものだ。

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運命かシュレディンガーの猫のいたずらか

ふたたび「おーい雲よ」

都心で暮らしていると、列車を待つこともない。次から次へとやってくる列車に飲み込まれ、ローラコースターに乗ったように運ばれていく。
もっとも人混みで埃と暑さでむせかるようなホームで待たされるのは地獄の沙汰だ。

このような日常に慣れてしまった身に、前回コメントしたような、何をする術もなくのんびりと山の端が紅色に染まっていくのを眺められるぽっかりと空いた時間は至福の時である。蚊の大群が襲ってこなければもっと良かったが・・
まるで望んで列車におくれたのではないかと、自分を疑いたくなる気分だ。

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ついてない!しまった!というよりも、半ば諦めつつ、喜んでこの状況をうけいれたということかもしれない。

不運の星か、運命のいたずらか

もしこれがもっと重大な事態ならどうであろうか?
また、そんなことが続いて発生したら

運命や、神様を恨むかもしれない。

この運命というものは一体なんだろうか?、存在するのであろうか?

招き猫ならよいが、シュレディンガーの猫

このことに示唆を与えてくれるのが、シュレディンガーの猫である。

猫といえば運を託すありがたい招き猫があるが、そうではなく、運が悪ければ毒ガスで殺されてしまう、儚い運命の猫である。

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高名な理論物理学者は、凡人には到底理解できない想像の世界を旅する人で、その思考はきわめて哲学的である。
アインシュタインと並ぶ(功績でいえばそれ以上の)理論物理学者のシュレディンガーは、目で見える世界を記述するニュートン力学(古典力学)に対し、ミクロな世界を記述する「量子力学」を確立した人である。
この量子力学が、現代の科学技術の楚になって、我々はその成果を享受している。

ミクロの世界の運命に翻弄される猫

ミクロの世界は、当然のことながら目に見えない世界である。仙人は姿をくらますことはできても、目に見えないミクロの世界は想像だにできない。
シュレディンガーが量子力学について考察した思考実験に「シュレディンガーの猫」というのがある。量子力学では、粒子の存在場所は決定されておらず、存在の可能性が確率的に表現される。いろんな可能性があるということだ。

粒子がある場所に来れば、毒ガスが発生し、そばにいた猫が死んでしまう。理論的には、猫は生きる可能性も死ぬ可能性もあるわけだが、実験結果は生きるか死ぬかのいずれかに決まってしまい、可能性を表現することができないという矛盾である。

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いろんな可能性があるのに、実験をした途端にいつも決定したことしか観察できない。決定されたことがいわゆる運命になってしまうということだろう。

さすらいのギャンブラー

要するに人生は確率、すなわちギャンブルのようなものである、ということではないか。
たとえば、遺伝、これこそまさに確率である。
しかし、ギャンブルに強い人はいるもんだ。それは相当に入れ込んで探求している。すってんてんになっても次にかけるのだ。

試験も同様に、合格する人はそれなりに努力している。しかし、努力すればかならず合格するとは限らない。確率は高めることができるが、しょせんは当たるも八卦である。そしてまた次のギャンブルへ・・

仙人ごときで人生を語るにはおこがましいが・・

「柿の種」の猫

ノーベル物理学者の朝永振一郎を育てた、日本の物理学者に寺田寅彦がいる。物理学者であると同時に第1級の随筆家である。「柿の種」という随筆集を紐解いてみるとやはり「猫」が登場する。

猫が居眠りするということを、つい近頃発見した。
その様子が人間の居眠りの様に実によく似ている。
人はいくら年を取っても、やはり時々はなにかしら発見をする機会はあるものと見える。
これだけは心強いことである。

「柿の種」寺田寅彦著 より

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寺田寅彦は、私生活ではかならずしも幸福とは言えなかったようだ。一人目の奥さんは、ちいさな子供を残し若くして結核でこの世を去っている。感染を恐れた寺田の実家は、二人をひきはなし、寺田は妻の死に目にもあえていない。

フィジ・ガールの出番ですよ

さて、最近は山ガール、歴女、宙ガール、理系女などと女性がブームを作っているが、次は物(物理)女(フィジガールとでも呼ぶのだろうか)の番であろうか?

おっと、今回もまた、透析とは関係のない話になってしまった。

ごめんなさ〜い。

MISS THE LAST TRAIN AND GET SOMETHING

旅行透析と「透析患者.COM」

当院では透析患者さんが、出張や旅行でご利用いただけるよう臨時透析に力を入れている。
臨時透析をネガティブに考える施設も多いようだが、「患者さんにアクティブな生活を送っていただきたい」という思いとポリシーに基づいて運営している。
同じように、臨時透析患者さんを受け入れている全国の透析施設は、「透析患者ドット・コム」から検索可能である。www.tosekikanjya.com/

新潟県に足を踏み入れる

振り返ってみると、仕事やレジャー、野暮用などでいろんなところへ行っている。全国の都道府県のうちまだ足を踏み入れたことがないのは(バスや列車での通過もありとして・・)、沖縄県、新潟県、秋田県、青森県、茨城県であったが、先日、幸か不幸か止むを得ず新潟県に足を踏み入れることになってしまったのである。

夏の谷川岳

先週末は、都内にいても灼熱地獄で早朝から谷川岳に退避した。2千メートルの頂上付近は、ガスで覆われていてさすがに涼しい。
谷川岳連邦の最高部の峰々はちょうど群馬県と新潟県の県境を形成している。
JR土合駅に降りて登山口まで約30分の道のりを歩く。
標高800mあたりはさすがに暑く、夏の日差しが照りつけ厳しいスタートとなった。

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これほんまに登れるのかいな

さすがに真夏の中程度の高度の登山は厳しく、体力を消耗し、コースタイムを大幅にオーバーしてしまった。
上り列車が18時台にもあることは確認していたが、昨年6月の下山時刻が16:00だったので、さすがに18時までには降りてこれるだろうという楽観と、まさかこれが最終とは思わない甘さから悠然と構えていた。なんといっても上越線である。

頂上から少し下るとガスもなく、眺望もよく、涼しい風にあたりながら「おーい雲よ!』とのんびりしていた。

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天空のお花畑(横向きですが・・)

 

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マチガ沢には、まだ大きな雪渓が残っており雪解け水がゴーゴーと流れている。
下山してマチガ沢で、冷たい雪解け水で体を洗い一息つく。

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谷川岳の勇姿に別れを告げる。

MISS THE LAST TRAIN

と時計をみると18:00近い。

あわてて土合駅にむかう。

土合駅にたどり着いた時には、列車もすでにホームにいる。
駅舎までには、やたらと広い空き地があってとても間に合わない。

駅にたどり着いて時刻表をみると、上り最終 18:19となっている。
あとは下りが1本だけ、20:51とある。
やれやれである。

おーい雲よ、新潟県よ

まずは、自販機で飲み物を確保し喉を潤す。残念ながらビールはない。
スマホの電源を入れて、時刻表アプリを立ち上げ田端にたどり着けるか確認する。
最終の下りで越後湯沢まで行って、上越新幹線の最終東京行き「たにがわ』に乗れば、OKである。助かった。

というわけで、期せずして新潟県に足を踏み入れることになってしまったのだ。

さて、さっきから不思議に思っていたのだが、駅の待合室に1人の男がいる。列車が行ってしまったのに悠然と構えている様子なので、「おたくもさっきの列車に乗り遅れたのですか」と聞いてみると、今夜はこの駅に泊まって、明日早朝3時に出発し、谷川岳に登ってからピークハントし新潟県の苗場に降りるというツワモノである。

お互いにすることもないので、駅舎の玄関にある階段に腰をおろし、ぼんやりとくれゆく空を眺める。カジカの鳴き声と沢の音に癒されながら、山の話で盛り上がる。

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地中深くにある土合駅ホーム

そもそもこの土合駅は変なところである。
上りのホームは駅舎に連続して地上にあるが、下りのホームは、遠く離れた地下深くにある。スカイウェイで国道をまたぎ、そこから500段近い階段を下ったところだ。

エスカレータもエレベータもなく、途中に申し訳程度にベンチが置いてあるが、登山客以外は利用しない前提としか考えられない。
当然無人駅である。改札口には、「上りのホームは、480段の階段を降りたところにあります。ホームまで10分程度かかりますのでお早めにホームにお越しください」といった内容が掲示されている。

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新潟県に行ったは良いが、車窓から見えるけしきは真っ暗で味気ない。

機会があれば苗場山(新潟県越後湯沢)の頂上でゆっくりと日の出・日の入りを拝み、新潟県を満喫したいものである。

世界を翻弄するギリシャの悲劇と政治の喜劇

「ゆめてれ・ぽぽら」をヨロシク

透析患者さんは、週3回、計12時間以上を透析に費やしている。当院では、この時間を活用できることが患者さんにとって重要なことと考え、「ゆめてれ・ぽぽら」のサービスを無料で提供している。

TVやホテルなどで利用されているVOD(ビデオ・オン・デマンド)、インターネット検索、フェイスブックなどが利用できるタッチパネル式のテレビモニタで、地震を敏感に察知し、患者さんに冷静に対応するよう注意を促すシステムを兼ね備えている。
「ぽぽら」はより「ぽじてぃぶ」に、 より「ぽっぷ」に、 より「らくちん」に、という思いを込めて名付けられたが、イタリア語で「みんなの集まる広場」という意味もあるそうだ。

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時代劇ライムライト

さて最近では水戸黄門が終わるなど、TV番組から時代劇が消えつつある。大河ドラマやNHKのシリーズが細々と放映されているくらいか・・、こういう状況を元に制作された映画に「太秦ライムライト」がある。主人公は、いつもはセリフもほとんどない斬られ役の殺陣師である。活躍の場がなくなっていく映画・TVの世界に生きる昔気質の芸人の悲哀を描いている。

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この映画は、時代劇とは縁遠いハリウッドの映画学校で学んだ新進気鋭の若手日本人監督と、アメリカ人カメラマンが、時代劇の殿堂、太秦に乗り込んで撮影したものだ。

桜吹雪か 印籠か

この映画については、またの機会にするとして、時代劇によく登場するシーンを思い出して欲しい。
母一人子ひとりの貧乏な一家が貧乏長屋で暮らしている。母親の内職でなんとか暮らしていたが、病で伏せってしまった。そこへ、高利貸しが薬代のための借金の取り立てにやってくる。
この高利貸しは、ほかでも悪代官と結託してさらに暴利をむさぶっている。
最後は主人公が、この高利貸しを悪代官をカッコよくやっつける勧善懲悪劇である。

貧乏長屋のかわいそうな家族と時代劇のストーリーはあまり関係ないが、このシーンが高利貸しの悪人ぶりをより際立たせる。
そう、お金を借りて返さない方ではなく、貸した方が悪者なのだ。
こんなに困っていて、払いようがないのだから、金持ちの方が折れて大目に見てやれよというのが庶民感情だ。

同じように落語によく登場する場面を思い出してみよう。ノーテンキで怠け者、おまけに酒付きでお調子ものの店子が、すっとぼけて家賃を払わない。大家は何度も家賃を取り立てに来るのだが、ちっとも話がかみ合わない。ここでも大家は負けている。

ケチでも「貧乏長屋の花見」くらいのほうが愛嬌があってよい。

聴衆は貧乏な庶民の味方である。

ギリシャの丘に桜吹雪はにあわない

さて、ギリシャがユーロから離脱するかどうかを巡って、世界が(かどうかはわかりませんが、少なくとも日本では多くの特集や報道があった。)注目したギリシャの国民投票は、大方の予想に反して、緊縮財政を受け入れないというものだ。

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ギリシャ国民の意向は、ユーロは離脱したくないけれど、緊縮財政はまっぴらというもの。それはそうだけれど、それは都合が良すぎるだろう、と言いたいところ。

借金をしておいて、返さない。しかも自分たちの生活が悪くなるのはまっぴらで、やや怠け者に見える(あくまでも個人的な印象です。失礼)ギリシャ人はけしからんと思う人もいるのではないか?実は仙人もそのように思っていたのだが・・・

問題こそが商機の専門家たちの太刀周り

国民投票の前日には、TVの特集番組が組まれ、国際経済、ユーロ経済、ユーロの政治、ギリシャ現代史などの専門家が議論していた。いくら議論が白熱しても、結果は遠く離れたギリシャの国民に委ねられ、結果とはなんのかかわりもござんせんが
彼らの中に、単純にギリシャを避難するものはおらず、歴史的経緯や、それぞれの専門領域での現状分析を踏まえ、どうすればよいかという答えは見つからないにしろ、一定の借金棒引きをしてギリシャが立ち直れる道筋をさがすというのが大方の意見であった。

チプラス首相が、決定を国民投票に委ねたことに、日本では無責任政治と一部避難もあったが・・
直接民主主義発生の地、ギリシャでは当然のことで国民にとって違和感はあまりないという見解
安全保障関連法案を採決した日本の政治よりましか・・

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一定の借金棒引きは仕方がない。
ない袖は振れないし、苦境に追い込むと何をしでかすかわからないし、そもそも借金のかたに国を占領することはできない。第一次世界大戦後の過大な債務負担がドイツにおいてヒットラーの台頭を許したという経験から、第2次世界大戦の戦後処理について、日独伊の3国に対しては比較的寛大な措置が取られたという歴史的事実もある。
本来ならもっと早い段階で一定の借金棒引きがあっても良かったが、リーマンショック後の混乱で、欧州中央銀行にもそのような余裕がなかったというのが大方の認識で、何れにしても、ギリシャが立ち直るのを支援するしかないということのようである。

ユーロ問題は日本の課題の鏡

日本国内なら、自己財源で賄えない自治体には地方交付税が交付されるが、そういうわけにもいかない。

東京都は地方交付税を支給されたことがなく、都民はもっと文句をいってもよいと思うが・・・

話題になっている国立競技場のような巨大な国家プロジェクトが都の経済を潤すことは間違いない。その他、原子力発電所の立地市町村も交付税を必要としない財政状況のようだ。

政治が絡むお金の流れは複雑だ。

ギリシャの国民投票から2週間がたち、ユーロ各国はギリシャへの追加支援を、ギリシャは一定の緊縮財政制作を受け入れるという常識的な妥協点におちついた。

政治家たちの喜劇と太刀周り

お互いに、庶民から嫌われる役回りを巧みに避け、妥協点にたどりついた、職業政治家たちの見事な太刀周りだったのか・・

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さて、観光資源以外にこれといった資源も産業もないギリシャがこれからどう立ち直るかは困難を極めるが、ギリシャとは比べものにならない膨大な借金をかかえ、いまなお放漫な財政政策を続ける日本はどうなることやら・・

しかしギリシャは魅力的ですね

一度は行ってみたいものです。

そうか、みんなミラーマンだったんだ!

診療録の電子化三原則

当透析クリニックでは、電子カルテを導入し、レントゲンの画像情報も電子化している。

カルテを電子化する時の要件は、難しい表現であるが
1 真正性
2 見読性
3 保存性
が確保されていること、とされている。

真正性とは、容易に改竄(かいざん)できないことである。

従来の紙のカルテも、修正液や消しゴムはいけない。筆跡が書いた主の証なら代筆もいけないはずである。

電子カルテでは、他の人の知らないはずのパスワードを使って本人がログインして、入力し、確定後は修正できない仕組みになっている。したがってログインパスワードの管理がキーになる。

見読性は、判読できること。

実は紙カルテの見読性はかなり怪しいようだ。多忙な医師は急いで走り書きをする。仙人も自分の書いた文字が読めないことは日常茶飯事時だ。中には英語、ドイツ語などを駆使して走り書きをする医師もいて、そのカルテに書かれた指示を見て看護行為をする看護師は大変である。カルテに書かれていることが見読できればその病棟では一人前になったなどと訳の分からぬことも以前はあったような。

保存性は、消失しないこと。

紙のカルテだって火災にあったり、誰かが借りて返し忘れれば保存性はおぼつかない。電子化では、サーバーの二重化、ミラーリングの技術が必須とされた。最近では、さらに災害時に備えて、地震の少ない地域にクラウドサーバを設置することもあるようだ。岡山県が比較的地震がすくなく、クラウドサーバの設置場所として選ばれている。

電子カルテが普及する前は、このように、変化に抵抗する勢力が、難癖をつけて電子化に反対したが、紙カルテにしても三原則を満たしているかどうかはかなり怪しい、ケースもありそうだ。三原則を100%満たすことは困難だが一定の条件をクリアすることが必要をされている。

ミラーニューロンとミラーマン

ちょっと難しい導入となったが、本日はミラーリングの話である。とは言ってもコンピュータ技術とは違って、人の脳の中にミラーニューロンと呼ばれる神経があるそうな・・ということである。そう、みんなミラーマンなんですよ。
と言われても、ミラーマンなるウルトラヒーローを知る人は少ないか。
半世紀も前のころにウルトラマンの後継としてちょっとだけ登場したウルトラヒーローである。

ミラーマン

カエルの子はカエル

このミラーニューロンは、脳科学の実験から明らかになったもので、人が他人の真似をする時に活性化するのでこのように名付けられた。考えてみれば、子供はなんでも大人の真似をすることで成長していく。言葉はまさにそうだ。

0歳児は、何にでもなれる、何語でも操れる高い可能性を持っているスーパーマンだが、可能性の芽をつみながら、大人の真似をし、生まれ落ちた環境に適応しているのだ。
遺伝子を受けつぎ、親の真似をして成長すれば、親に似るのはやむを得ない。この子だけは自分のようになって欲しくないという願いは、概ね叶えられないということか。

成人まで親元で暮らすようになった現代では特に難しいかもしれない。

ちゃっかりしているミラーニューロン

さて、このミラーニューロンは、目の前で、近しい人が喜んでいる時にも、激しく活性化しているというのである。喜びを分かち合うことで、人との関係性はより親密になる。
では、悲しみ、苦しみはどうであろうか。
実験によると(恐ろしいことになんでも実験済みである)、悲しみや苦しみに対しては、喜びに対するほどは、ミラーニューロンの活性化が見られないということだ。

困難に首をつっこむことになるのは難儀だし、そもそも自分も悲しくなるのは割に合わないので、そういうことは避けたいという本能なのであろう。経済合理性にかなっている。
遺伝学者の手にかかればなんでも、遺伝子の自然選択によるものとなってしまう。

医療スタッフはウルトラ・ミラーマン

患者さんは、当然のことながら身体的な痛み、苦しみを抱え、精神的にも苦しく、辛い気持ちを持っている。多くの人はそのことを避けて通りたいのだが、医療職者は、そのことを察し、共感できなければいけない。

人一倍、ミラーニューロンを発達させ、優れたミラーマン・ミラーウーマンでありたいものだ。

「人イヌにあう」ならぬ「ひとイスにあう」

人イヌにあう

「人イヌにあう」は動物学の碩学、コンラッド・ローレンツの著作である。

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犬好きの貴兄には、ぜひお勧めしたい1冊である。学生の頃読んだもので内容についてはほどんど記憶にないが、とても面白ったことは記憶している。全くええ加減な推挙である。

犬は人生の良き友とはよく言われる。
我が家にも愛犬がいる。もう15・6歳なので老犬である。
最近では耳も遠くなり、呼んでもやってこない。
残念ながら犬の寿命は人の10分の一ほどである。
物語になるような賢い名犬でもない、ただの雑種であるが、その間抜けな行動に家族が一喜一憂する。雨や雷が嫌いである。

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*横向きになってしまったが、ゴロゴロ言い出して中に入れろという催促である

嫁さんは、最近、腹に据えかねることがあると、この犬に不満をぶちまけ、同意を求め溜飲を下げている。犬もこの後にはおやつがもらえるのでおとなしく聞いている。
家庭の平和にも不可欠な存在となっている。

「シエ」

浅田次郎の短編に「シエ(けものへんに解と書いていた)」という作品がある。
愛犬家のようであるが、犬ではない、ペットショップで勧められた奇妙な動物の話。
どんなペットフードも食べないがちゃんと生きている。飼い主は失恋をしたり、なかなか幸せを感じられないでいる。そう、飼い主の不幸を、涙を食べて生きているのである。
シエは心の中でつぶやいている「不幸の分だけちゃんと幸せになれるよ、ほんとだよ・・」と
そして、飼い主がしあわせになって、シエも死んでいくのである。

雑種の言い分

これから犬を飼おうという人には、是非雑種を勧めたい。
何世紀か忘れたが、オランダでチューリップが投機の対象となり、人々は珍しいチューリップに群がり、育種が盛んになり黒いチューリップが作られた。
犬も同じで、人が育種によって作ってきたものだ。珍しい犬、特殊な技能を持った犬、血統書付きの犬はそれだけ近親相姦の状態になっており、遺伝的に不健全で、精神疾患や持病を持っていることが多いということだ。雑種は幾分そのリスクは低く、しかも全くのユニークな存在ではないか。

人イスにあう

前置きが長くなったが、
今日は、犬ではなくイスの話である。(全く関係ないか)

仙人は、若い時から腰痛に悩まされ、30年ちかくこの椅子を愛用してきた。

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確かに腰痛には良い。優れものであるのだが、くつろぐという感じではない。

オフィスワーカーは、少なくとも1日8時間は同じ椅子に座っていることになるが、行動の不自由さからいうと、透析患者さんはもっと大変である。
入院経験からわかったことだが、病院のベッドはなかなか厳しい環境だ。長時間寝たきりにさせられると褥瘡ができることは容易に想像できる。
そのため、当院では可能な限り快適な椅子をということで、低反発素材を使用したフルフラットのリクライニングチェアを用意している。

快適さとプライバシーの確保を兼ねて、旅客機のファーストクラスに使われているフルフラットシートを活用したいと考え、メーカーの調査をしたこともあるが、1客1000万円近くするとのこと(他の業種には売りたくないということかもしれないが)で、さすがにこれは断念した。

東京ステーションギャラリーでイスにあう

東京で出会ったお気に入りの椅子は、東京ステーションギャラリーにある。
3階から作品を鑑賞し、煉瓦造りの回廊を螺旋階段を降りて2階へ、そして最後のビデオギャラリー兼休憩室に置かれている2客の木製の椅子。

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やや低い、大きめの座面と広がりのある肘掛、背もたれもちょうど良い位置にフィットする。
歩き疲れて腰を下ろすと、全身の力が抜けてゆったりとした気持ちになる。
シンプルでおおらかな椅子である。

世界は夜つくられる

今日は、丹沢登山で、ホウホウの程となったお話しである。

丹沢山系へ

5月10日午前4:00 不思議とスカッと目が覚めた。天気も上々、さすが関東、この時間でもう外は明るい。

5時前に山手線に乗って、小田急で丹沢山系の麓、新松田駅へ。リュックを背負った登山客が一斉に下車し、駅の階段を上っていく。駅前の狭いロータリーにはすでに行列が。

2台の路線バスに登山客が詰め込まれる。バス会社のかかり員も慣れたもので手際がよい。

ここからバスにのって登山口まで1時間以上の行程である。やれやれ

一抹の不安・・

5月になって日が長くなってきたので、丹沢主脈走破に挑戦である。1月末に奥多摩・雲取山に登って以来なので、足腰が心もとなく、一抹の不安はあるが・・

バスは夜8時台まであるし、ヘッドランプも装備しているのでなんとかなるか

ということで、9:00より檜洞丸へ登り始める。空気は澄んでいて登山日和だ。ゴーゴーという沢の音、鳥のさえずり、気分は上々である。ゆっくり自然を満喫しながらといきたいところだが、標準コースタイム11時間なので、普通に歩いても日没である。うかうかしておれず、ペースを上げて歩く。

絶景富士山

登り始めて約2時間、富士山が良く見える。

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いつも比較的好天(予報では晴れ)の日を選んで登山をしているが、奥多摩や丹沢から富士山が望めるチャンスはそれでも少ない。ラッキー

檜洞丸山頂で30分ほど休憩をし、これから縦走である。せっかく稼いだ高度であるが、一気に尾根を下っていく。

これから先を目指す人はごくわずかのようだ。

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丹沢最高峰蛭が岳

アップダウンを繰り返し(約3時間の行程)、丹沢山系最高峰の蛭が岳頂上へは、400mの急な登りが待っている。

丹沢山系最高峰で山頂での眺望も素晴らしいというのになんという不名誉な名前でしょう。

確かに丹沢には蛭が多いらしく、夏になると登山口には蛭対策の塩が置いていあるし、実際蛭につかれたこともある。

丹沢山より百名山にふさわしいと思うのだが・・。名前が悪いのではないか

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*3月 蛭が岳山頂から富士山を望む

ところがである。すでに檜洞丸を下る段階で、膝の裏の筋肉が釣りだした。これはまずい。登りは問題ないのだが、時間を稼ぐべき下りに時間がかかってしまう。引き返すにも追う遅い、ここまでくれば前に進むしか手はなさそうだ。

蛭が岳、丹沢山を経て、塔の岳にたどり着いたのは、すでに午後5時をまわっている。夕暮れの相模湾を一望する景色はすばらしい。三浦半島もよく見える。

が、これからが大変、足を引きづり約1200mの高度差の大倉尾根をひたすら降りなければならない。

世界は夜つくられる

塔の岳にはまだ若者2人ずれがいたが、さすがにヤングマンである、スタスタと下っていった。標準タイムは2時間半、おちおちしていられない。下手をすると終バスに間に合わない。(もっともタクシーを呼んでも、小田急渋沢までは大した距離ではないが)

仕方がない、こちらは2本のストックを松葉杖のように使いながら、そろりそろりと下っていく。

下りが厳しい。

下山半ばで日もとっぷり暮れてしまい、視界不良。ヘッドランプの登場である。

大倉尾根は道が良く整備されて、何回か通っているので道に迷うことはないが・・・

夜の山中は、全く違う景色である。(というか真っ暗である)

鳥のさえずりは鳴りを潜め、時々フクロウの声が聞こえる。

森のあちこちで命をかけた狩りが繰り広げられているのであろう。

良く見るとヘッドランプの明かりにてらされて、まるで霧雨のように空中を無数の白いものが舞っている。

木々の種や花粉が、種の繁栄のため次なる生き場所をさがして舞っているのだろうか。

昼間にはわからなかったが、山の中の木々の生命活動もにぎやかなものである。

人にはよく見えるはずの昼間には見えないものが見えて来る。

世界(森)は夜つくられる。(もちろん昼間も種は舞っているのであろうが・・)

やれやれ・・

足を引き擦りながらホウホウの程で、大倉バス停にたどり着く。

時計を見ると20:00である。

それでも最終バスにはまにあった。やれやれ

当然だれもいない。

1600mの山頂付近ならわかるが、5月というのに下山をしても風が強く、やけに寒い。

ヒートテックのシャツに着替え、レインウェアを身につけ暖をとる。

バス停のベンチに仰向けに寝転がって空を見上げると一面の星空である。

だから登山は止められない。

大地に身を任せ、みあげる空、清明な森の空気、頂上に登り着いた時の眺めと達成感もよいが、なんといっても下山した時の、やれやれという安堵感と、めちゃうまいビールには何物にも代えがたい快感がある。

ビール乾杯

ネットで膝裏の痛みについて調べると、それは筋力・脚力不足のせいで

足の筋肉を鍛えるか、コースを改めるかすべしとのこと

やれやれ

ということで、本日のキーワードは、世界は夜つくられる

夜間透析は重要ということで・・

”帰ってきた酔っ払い”も真っ青、恐るべし尾久銀座

帰ってきた酔っ払い

帰ってきた酔っ払いという、歌をご存知だろうか

半世紀も前に、日本レコード大賞に輝いた(と思うのだが・・)、フォーク・クルセダーズの曲である。

フォーク・クルセダーズは、加藤和彦、はしだのりひこ、北山修の3人によるフォークグループである。

と言っても、もはやフォークグループやフォークソングそのものが死語となっている。

本日のお話は、フーク・クルセダーズとも、「帰ってきた酔っ払い」という歌とも関係がない。ただの酔っ払いである田端仙人が、華やかな東京銀座から帰ってきて、尾久銀座をチャリンコでぶらついていてそのバイタリティに驚いたというお話である。

生物学の法則を地で行く尾久銀座

法則その1 群知能ー集団から生まれる知性

ある日、尾久銀座の空き店舗に出現した八百屋さん

新玉ねぎ、新じゃが、そらまめ・・旬の野菜が無造作に並べられている。共通項は、旬のものであること、恐らくは規格外の物であること、国産であること(輸入コストもかけられないとことか)、そして(安全性はわからないが)やすいということ。(上記の条件からすると当然か)

面白いことに、いつ出現したかはしらないし、仙人の知る限り土曜日限定のようであるが、仙人が確認して1ヶ月後には、人だかりになっていた。

皆さんは、或る日突然、家の中に一糸みだれぬアリの行列が出現しているのを見て、甘い物を放置してしまったことを後悔した経験をお持ちではないだろうか?

アリたちは、自分の巣から餌場まで最も効率的な経路をたどって行進しているらしい。

群れをなす生物は、前の物に従う、隣との距離を一定に保つという行動をとる。

魚群も同じで、特に目的地があるわけでもリーダーがいるわけでもない、らしい。

アリはさらに移動中にその痕跡を示すフェロモンを分泌する。

それは、自分が最短距離の道筋を知っていることを示すような物ではなく、単に痕跡を示すだけである。多くのアリが様々な経路を通ると、時間の経過ととも結果として、最短距離の経路にのこされたフェロモンの濃度が最も高くなり、最短の経路が明らかになる、ということらしい。

もちろん、人も同じである。流行のファッションのよさなどには何の根拠もなく、ただこの性質を利用して売りまくっているだけである。尾久の人たちも忠実にこの法則に従っているのであろう。

しかし、多くの場合は、生存のために有効な原理のようであり、生物学的には群知能と言われている。

ニッカウイスキー「竹鶴」の値上げ報道から、ウイスキーを買うときは自然と「竹鶴」に手が出てしまう仙人行動も同じか。

法則その2 合理的な縄張り行動

尾久銀座にはアーケードはない。

地方の銀座もどきにはアーケード街が多い(調査をしたわけではない勝手な推論だが)ようだが、本家本元の東京銀座にはアーケードなんてない。

さすが尾久銀座である。

雨の降らない日は(雨の日に通過したことがないが)、どの店も、公道に大きく張り出して商品を並べ商売をしている。

たくましいのだ(このたくましさは東京銀座にはない)。

道路交通法違反などと訴える人もいないし、訴えられても警察も困るだろう。

魚屋と八百屋が隣り合っていて、いつもはそこも比較的賑わっている。今日は魚屋がお休みらしく、また上述の店に客をとられたか、人だかりはほとんどなさそうだ。

ところがである。

今日は魚屋の前も、八百屋に変身しているではないか。しかも、全面的にではなく、占拠といわれない程度の按配のよさである。公道であるから誰にも所有権はなく、文句のつけようもないはずだが・・

しかし、やっぱり、自分の門前は自分のものという縄張り意識はあるのだろう。

それでも、恐らくは魚屋は八百屋に文句を言ったりしないのだろう。今度八百屋が休業のとき、魚屋の店先がどのように広がっているかが楽しみだ。

そう、お互いに利用しあったほうがハッピーなのである。

鮎は石についたコケなどを餌とし、比較的広い縄張りを持っているが、個体数が多くなると、縄張り行動(侵入者への威嚇)をしなくなるのだそうだ。

侵入者が多くなると、威嚇行動に追われ、餌をとるひまがなくなってしまうというのがその理由(単なる理由付けであるが)らしい。

いやはや、たくましくも合理的な尾久銀座でありました。

法則その3 尾久銀座の活力

高齢者の多いこの地域であるが、なんと、若者が経営する、若者向けの衣料・雑貨やさんが新しく開店したようだ。

よく見ると、この界隈は、若いアジア人や、子供連れの家族も多いのである。

しかも、子供づれの家族に一人っ子はほとんどいない。若いお母さんは、下の子を抱きかかえ、2番目の手を引いいて、走り回る上の子を怒鳴り散らしている。これが標準の家族の姿である。

世界経済を牽引する新興国のように、この地は活力を取り戻すのであろうか

楽しみである。

今日もまた、透析医療や患者さんのためのホスピタリティーには関係のないことをつぶやいてしまった。

またそのうちに、乞うご期待!

世界は一冊の本

世界を支配する虫たち

緑輝く新緑の季節
虫たちが世界を支配する季節
そう、虫たちが湧いてくるのだ

人は「虫けら」というけれど
人はこの虫たちがいなければ生きていけない

少なくとも、みずみずしい果実を口にすることはできない

この世界を支配しているのは人ではなく
微生物と虫たちなのだ

いや、世界には支配者がいないのだ

「たちどまる」

立ちどまる
足をとめると
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば。
雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?

立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。

何もないところにしか
見つけられないものがある。

そして空白のページ

長田 弘 「世界は一冊の本」より

空白のページ

「そして空白のページは」もちろん詩の一片ではない。
本の一ページをめくった時に現れた空白のページである。

ジョン・ケージが明らかにした沈黙の音のように
毎日の眠りのように
大切な空白のページ

空白を楽しんだ画家

ダウンロード

空白を埋めつくそうとする画家

ダウンロード (1)

そして 空白と対峙した画家

ダウンロード (2)

空白には色彩さえない。

世界は一冊の本

七色に輝く虹のように美しい蝶のはね
彼らはその色を所有しない。

太陽の光を反射しているだけなのだ

富も成功も貧困も
幸福も不幸も
人は所有することはできない

感じることができるだけだ

その一瞬に

そう
世界は一冊の本

また めくる空白のページ

しかし、残念ながらブログには空白のページがない

それはあなたの世界にゆだねることにしよう

銀座で盆栽

GWのニュース

今年のGWは連日好天にめぐまれた。

ダウンロード

これは50年ぶりのことらしく、行楽地は連日人出で賑わったようだ。そのあおりをくらったのが百貨店、来客数は予想を大幅に下回ったとのニュースがあった。

また、人々を驚かせたのは、箱根山の火山活動が活発になり、あたりが立ち入り禁止になったことだ。昨年の御嶽山の噴火に続いてのニュースである。いきなり噴火せずに良かった。

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「東京新橋透析クリニック」がオープン

GWの5月1日に、人気もまばらになったビジネスマンの街新橋に密かにオープンしたのが「東京新橋透析クリニック」である。

明治から続く老舗の牛鍋屋「今朝」、そのビルの7階にある。

ホテルオークラ風の落ち着いた待合スペース

柔らかな間接照明に包まれた透析室

ここで白神山地の鳥や虫の音などの環境音に包まれていると、日常の喧騒を忘れ、ついうとうとしてしまう。

オット、東京新橋透析クリニックについては、ホームページにお任せするとしよう。

http://www.toseki.tokyo/

仙人は再び銀座へ

さて、のんびりとした気配の休日の新橋と比べ、隣の銀座は、連日歩行者天国で大いに賑わっている。特に、中国からの観光客が大型バスを連ねて大挙してやってきている。

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しかし、銀座も通りをひとつ中に入ると、昼間はひっそりとしている。

その銀座の片隅に不思議な空間を演出している店がある。

銀座に盆栽?

覗いてみるとなんと盆栽屋ではないか。

銀座はまだ、呉服屋さんが普通に営業をしている街であり、さすがと思ったものだが、盆栽屋とはさらなる驚きである。この盆栽屋「雨竹庵」というらしい。

「MATSUYA GINZA の銀座まちがたり」http://www.matsuya.com/m_ginza/about/ginza/

によると、雨竹庵は、先祖代々ここで盆栽屋を営んでいた老舗ではなく、一代でここに「雨竹庵」を構えたとのこと。もっともオーナーは江戸時代から将軍家に仕えてきた由緒正しい造園業の家系であり、盆栽職人ではあったらしい。

銀座だから、高価な盆栽もよく売れるのだろうとは思うけれど、単に愛好家に販売するだけでなく、ここで盆栽をショーアップして、料亭や割烹などに季節や設えにあった盆栽をレンタルしているとのこと。

ネットによる販売もしている。(ま、これは普通か)

自然の中で運よく成長できると、100年もすると二抱えもある大木に育つものが、小な鉢の上で相似形のような形で生きている。

高山で森林限界を超えたあたりに育っているハイマツはいつも下から吹き上げてくる強風にさらされているため低くねじ曲がって、地を這うように成長している。

むしろ、成長しないことが生き残る条件のようにも思える。地中の養分も少なく幹も細い。樹齢について考えたことはないが、盆栽のようなものなのかもしれない。

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*写真はさいたま市の盆栽美術館のページより転載

さて、実はこの仙人、盆栽のことはよく知らないし、わかっていないのである。

マンガ「サザエさん」で、磯野波平が、パチパチハサミを入れている・・ぐらいのもので、盆栽を語るとはおこがましいが、これを機会に、少しは仙人らしく盆栽に興味をもって、鉢の上の生き物と対話を始めてみますか。